EP 6
「弁当は、冷めると価値が下がる」
翌朝、事務所の隅でリーザが草を食べていた。
「……何食ってるんですか」
「サラダですわ」
「それ、そこの土手に生えてたやつですよね」
「タンポポは食べられます」
胸を張って言うことではない。
俺はため息をついて、発注書を出しかけて、やめた。
発注可能残高:222円
うまい棒二十本。二人で分ければ十本ずつ。
「……今日、飯を稼ぎに行きます」
「わたくしもご一緒しますわ! 労働は嫌いですけど、お金は大好きなので!」
正直な女だった。
ニャングルの弁当事業は、村の一番大きな建屋でやっていた。
朝五時から、村のおばちゃんたちが十二人。三国の駐屯地に、昼の弁当を届けている。
「兄さん、見てくれ言うたから見せるけどな」
ニャングルが煙管をくわえたまま、木箱を指した。
「これが今日の分や。二百四十食」
俺は現場を一時間、黙って見ていた。
作る。詰める。荷車に積む。運ぶ。
そして、帰ってきた荷車を見た。
「ニャングルさん。この残り、どうするんですか」
荷台に、三十食ほど余っていた。
「捨てる。夏場は持たん」
「毎日ですか」
「毎日や」
俺は帳簿を開いた。
一食あたりの材料費と、廃棄の数を掛ける。
「……月で、金貨十一枚です」
猫の煙管が止まった。
「捨ててるだけで、キャルルさんが薬を作らずに済む回数分の金が消えてます」
「なんで二百四十食なんですか」
「そのくらい出るからや。長年の勘や」
「勘ですね」
「勘や」
「昨日は何食売れました」
「……二百くらいか」
「一昨日は」
「二百二十くらい」
「その二日、何食作りましたか」
ニャングルが黙った。
「二百四十や」
俺は紙に線を引いた。
「作る数を、売れる数より先に決めてます。順番が逆です」
「せやかて、足りんかったら怒られるやろ。相手は兵隊やぞ」
「だから、先に注文を取ればいい」
俺は書いた。
「前の日の夕方までに、駐屯地で注文を集めます。名前と数を紙に書いてもらう。翌日、その数だけ作る。廃棄はゼロになります」
「兵隊がそんな面倒なこと——」
「代わりに、前金にします」
猫の耳が、ぴくりと動いた。
「ニャングルさん、代金の回収率、いくつですか」
「……八割五分ってとこや。非番で街に降りたきり払わん奴もおる」
「前金なら十割です。しかも金が一日早く入ります」
ニャングルの目が、細くなった。
「……兄さん。それ、こっちが有利すぎやろ。向こうが飲むか」
「飲ませます」
俺は発注書を出した。
『アルミ保温シート 30枚』
『輪ゴム 1袋』
『ラベルシール 500枚』
『油性ペン 5本』
締めて、四千二百円ほど。
残高不足。発注できません。
「……ニャングルさん」
「なんぼや」
「四千二百円です」
「安っ」
「安いです。帰ってきます」
猫は少し笑って、帳簿に一行書いた。
やったことは、四つだ。
**一つ。**弁当箱をアルミシートで包んで、輪ゴムで留める。それだけで、駐屯地に着いた時に、飯がまだ温かい。
**二つ。**箱の蓋に、ラベルシールを貼る。名前を書く。「ゴルド商会 ポポロ村製」と、下に小さく入れる。
**三つ。**注文票を作った。名前、数、大盛りか普通か。大盛りは銅貨二枚増し。
**四つ。**それを前日に集めて、前金でもらう。
「なんで名前を書くんや」
ニャングルが不思議そうに聞いた。
「自分の名前が書いてある飯は、捨てられません。それに、次も自分の分があると思えます」
三日目の昼だった。
ルナミス帝国の駐屯地の門で、荷車を下ろしていると、若い兵士が寄ってきた。
「おい、ポポロ村の」
「はい」
「これ、あったけぇんだよな。最近」
「シートで包んでます」
兵士は自分の弁当箱を見て、蓋のシールを指でなぞった。
「……名前、書いてあんだよな。俺の」
「注文いただいてますから」
その兵士は、しばらく黙っていた。
「俺さ。こっちに来て八ヶ月なんだけど」
「はい」
「名前で呼ばれたの、久しぶりだわ」
彼は箱を抱えて、行ってしまった。
翌日の注文票は、三百十二食だった。
七日目。
ニャングルが事務所に飛び込んできた。煙管をくわえていない。落としたらしい。
「兄さん! 三国の全部から、追加の注文来とる! ワイズの隊長が『大盛りを恒常で四十食』言うてきよった!」
「廃棄は」
「ゼロや。七日連続でゼロ」
「回収率は」
「十割! 前金やからな! しかも金が一日早う入るから、仕入れの支払いが楽になっとる!」
猫は帳簿を広げて、両手で押さえた。
手が震えている。
「兄さん。今月……今月、黒字になるかもしれん」
事務所が、静かになった。
「ワテがこの村来て、六年や。六年、一回も黒字になったことないんやぞ」
ニャングルは、そこで言葉に詰まった。
そして、顔を逸らして、煙管を探すふりをした。
その夜。
俺は事務所で、発注書を出した。
数字が、変わっていた。
発注可能残高:19,830円
一万九千八百三十円。
数字が動いた。
たった二万円だ。この村の赤字からすれば、砂粒みたいなものだ。
でも、動いた。
俺は椅子の背にもたれて、天井を見た。
十二年、俺は数字を通す仕事をしてきた。**通した数字が、誰かを助けたことは一度もなかった。**予算を捻り出しても、その先で何が起きているのか、俺は最後まで知らなかった。
今は、知っている。
この一万九千八百三十円は、輪ゴムとシールと、名前を呼ばれた兵士の顔でできている。
「……悪くないな」
扉が開いた。
「マコト様! 私、閃きましたわ! 弁当に私の歌の券をつければ、単価がもっと——」
「却下です」
「なぜですのっ!?」
「原価がゼロのものを付けると、価値もゼロだと思われるからです」
リーザが、う、と詰まった。
そして、真剣な顔になった。
「……じゃあ、いくらならいいんですの」
「銅貨三枚」
俺は言った。
「あなたの歌には、それだけの値段をつけます」
リーザが、ぽかんと口を開けた。
その顔が、みるみる赤くなって、それから、めちゃくちゃに歪んだ。
「マコト様ぁ……!」
「泣かないでください。あと、営業時間は十時までです」
窓の外、村の広場で。
痩せた男が一人、荷車の列と、増えていく弁当の箱を、じっと見ていた。
その男が誰なのか、この時の俺は、まだ知らなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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