EP 7
「眩しい夢の話」
黒字が見えてきた夜、ニャングルが酒を出した。
「祝いや。兄さんの分は経費で落としたる」
「経費で落ちるんですか」
「接待交際費や。文句あるか」
猫が上手くなっていた。俺のせいだ。
村の広場に、机が三つ並べられた。おばちゃんたちが漬物を持ってきて、団員たちが樽を運んでくる。キャルルが飴玉を配って回っている。
大した宴会じゃない。でも、村の人間が笑っている。
俺は端の席で、木のコップを持ったまま、それを見ていた。
夜が更けて、人が減った頃だった。
隣に、リーザが座った。
手に、酒ではなく水を持っている。
「マコト様。喉、乾きません?」
「大丈夫です」
「そうですの」
しばらく、二人で黙っていた。
遠くで、団員たちが下手な歌を歌っている。
「……マコト様」
「はい」
「私、歌が好きなんです」
知っている。毎朝みかん箱の上で叫んでいるのを、村の全員が知っている。
「そうですね」
「とっても、好きなんです」
リーザは、月を見上げていた。
さっきまでの、金貨を数えるような目じゃなかった。
「私が歌うと、下を向いてる人が、顔を上げるんです」
彼女は、コップの水を見ていた。
「仕事で嫌なことがあって、明日のことを考えたくなくて、それでもどうしようもなくて、下を向いてる人が。私が歌ってる間だけ、上を向くんですの」
「……」
「その瞬間、その人の時間を、私が奪ってるんです」
俺は、彼女の横顔を見た。
「奪う」
「はい。奪います」
リーザは、当たり前のように言った。
「その人が本当は考えなきゃいけないこと、悩まなきゃいけないこと、全部。私が歌ってる間だけ、全部奪って、私だけを見せるんです」
彼女の目の奥に、火みたいなものが揺れていた。
「私が運命になって、私が物語になって、その人の世界そのものになるんです。視線も、お金も、心も、全部いただきます。その代わりに——」
コップを、両手で握りしめた。
「その代わりに、宇宙で一番幸せな時間を、味わわせてあげるんです。それが取引ですわ。私、ちゃんと等価交換のつもりでいますの」
俺は、しばらく何も言えなかった。
普通なら、引く話だ。
歌姫の綺麗な夢じゃない。もっと生々しくて、強欲で、少し狂っている。
でも。
「……ああ」
俺は、思わず声に出していた。
「なんですの」
「いえ」
俺の会社に、それがなかった、と思っただけだ。
十二年間、俺は誰かの時間を奪う側にいた。奪って、奪って、その代わりに何も返さなかった。予算のない発注書を通して、業者の夜を潰して、それで「なんとかしてくれてありがとう」の一言もなかった。
奪った分だけ、返す。
たったそれだけのことを、この女は当たり前だと思っている。
「リーザさん」
「はい」
「それ、正しいと思います」
リーザが、目を丸くした。
「え」
「奪うなら、対価を払う。当たり前のことです。当たり前のことを当たり前だと思ってる人は、そんなに多くないですよ」
「……マコト様」
「引かないんですか、って顔してますね」
「してますわ」
「引きません」
俺は、コップの酒を少し飲んだ。安い酒だった。
「ただ、一つだけ聞いていいですか」
「なんですの」
「その夢、いくらかかりますか」
リーザが、また目を丸くした。
「……いくら、って」
「衣装。舞台。音を届ける仕組み。人を集める告知。移動と宿。全部です」
俺は、指を折った。
「歌が上手いだけで人が集まるなら、世の中の歌手は全員食えてます。集めるには、金がかかる。あなたが今、みかん箱の上に立ってるのは、みかん箱がタダだからですよね」
リーザの表情が、固まった。
そして、うつむいた。
「……そう、ですわ」
小さい声だった。
「私、それが分かってて。分かってるから、お金にがめついんです。お金がないと、夢のところまで行けないって、知ってるから」
「なのに、村のみんなは私が守銭奴だって笑いますし、実際そうですし、たまに自分でも、私は歌が好きなのかお金が好きなのか、分からなくなって——」
「順番は逆じゃないでしょう」
俺は言った。
「歌うために生きていて、そのために金が要る。前に自分でそう言ってましたよ。逆にしたら人生が濁る、と」
リーザが、はっと顔を上げた。
「言いましたわ」
「じゃあ、濁ってません」
俺は空を見た。
でかい月が出ていた。
「俺には、夢がありません」
「え」
「三十五年生きて、一つもないです。学生の頃は、なんとなく大企業に入ってなんとなく偉くなるんだろうと思ってて。気づいたら、発注書を通すだけの機械になってました」
自分でも驚くほど、するっと出た。
「あなたの夢は、眩しいです。正直、まぶしすぎて、直視できない」
「マコト様……」
「だから」
俺は、リーザを見た。
「あなたの夢の経費は、俺が持ちます」
リーザが、息を止めた。
「金の計算は、俺の仕事です。舞台がいくらで、衣装がいくらで、告知にいくらかかって、それを回収するのに何人集めなきゃいけないか。全部、俺が出します」
「あなたは歌ってください。金の心配で、歌が濁らないように」
「……」
「投資じゃないです。経費です」
長い沈黙があった。
リーザは、コップを持ったまま、微動だにしなかった。
それから、ぽろっと、水面に何かが落ちた。
「……ずるいですわ」
声が、震えていた。
「マコト様。それ、ずるいです」
「そうですか」
「私、そういうこと言われたことないんです」
彼女は顔を覆った。
「みんな、歌はいいねって言うんです。夢は素敵だねって。応援してるよって。でも誰も、いくらかかるかなんて聞いてくれないんですの」
「……」
「聞かない人は、本気じゃないんですわ。私、ずっと知ってました」
リーザは、顔を上げなかった。
肩が、震えていた。
俺は、何も言わずに座っていた。
慰めなかった。慰めは、俺の仕事じゃない。
代わりに、頭の中で計算を始めていた。
(衣装。舞台。音響。この世界に拡声の仕組みはあるか。魔導通信石とやらは使えるか。集客は駐屯地の三国分で二千人。単価を銅貨三枚として——)
しばらくして、リーザが顔を上げた。
まだ目が赤い。
でも、笑っていた。
「マコト様」
「はい」
「必ず、儲けさせて差し上げますわ」
「期待してます」
「ちなみに初期投資はいくらまで出せますの?」
「一万九千八百三十円です」
「うまい棒何本ですのっ!?」
「千八百本くらいですね」
「それで銀河の果てまで行けますかっ!?」
行けるわけがなかった。
でも、その夜、俺は初めて、この村で稼ぐ理由を一つ増やした。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




