EP 4
「鍵は、変えてください」
ポポロ・コーポA301での初日は、快適だった。
家具はない。床に寝た。それでも、久しぶりに七時間眠れた。
二日目の夕方、俺は村の共同浴場に向かった。
三国の兵士が使うこともあるらしく、施設としては妙に立派だ。番台のおばちゃんに銅貨を一枚払って、脱衣所の鍵をかけて、湯船に浸かった。
(生きてるな)
天井を見上げて、そう思った。
湯から上がって、脱衣所の扉を開けた。
そこに、リーザがいた。
俺の脱いだ服の前に、しゃがんでいた。
「あら、マコト様。お早いお戻りで」
「……なにしてるんですか」
「椎茸を栽培しています」
「してないでしょ」
リーザの手には、俺のズボンが握られていた。正確には、ズボンのポケットに突っ込まれていた。
俺は静かに扉を閉めた。
そして、開けた。
まだいた。
「鍵、かけましたよね。俺」
タオル一枚で仁王立ちしながら、俺は言った。
リーザは悪びれもせず立ち上がって、胸を張った。
「かかっていましたわ」
「じゃあ、どうやって入ったんですか」
「昨日、マコト様が居眠りされている間に、お部屋の鍵を石鹸で型取りしまして」
「は」
「その型に、落ちていた釘を溶かして流し込んで、複製を」
「共同浴場の鍵は」
「同じ要領です。この村の錠前、全部同じ形なんですの」
俺は黙った。
三十秒ほど黙った。
「……あなた、その技術で真っ当に稼げませんか」
「稼げますけど、それだと私が歌う時間がなくなります」
即答だった。
そして、なぜか誇らしげだった。
「私、お金は好きですけど、お金のために生きているわけじゃありませんの。歌うために生きていて、そのためにお金が要るんです。順番が逆だと、人生が濁りますわ」
哲学が濁っている。
だが、一つだけ引っかかった。
「今、なんて言いました」
「人生が濁ると」
「その前」
「この村の錠前、全部同じ形だと」
翌朝、俺はニャングルの店に行った。
「兄さん、朝から何や。ワテはこれから兵舎に弁当を——」
「村の錠前、全部同じ形なんですか」
煙管が止まった。
「……せやな。二十年前に、村ができた時に一括で入れたやつや。同じ鍛冶屋の、同じ型」
「じゃあ、一本あれば全戸開きますね」
「まあ、理屈ではな」
「リーザさんが実演済みです」
ニャングルは煙管をくわえたまま、しばらく天井を見た。
「あのアホ、そんなことしとったんか」
「ニャングルさん。ここ、三国の緩衝地帯ですよね。役人も兵士も来る」
「来るな」
「兵士が非番で村に降りてきて、酔って、ちょっと出来心を起こしたとき。この村の全戸は、同じ一本で開きます」
猫の耳が、ぺたりと寝た。
「……今まで、そんなん起きたことは」
「起きてないなら、運がよかっただけです」
俺は発注書を出した。
発注可能残高:222円
「二百二十二円しかないんですが、いくらか立て替えていただけませんか」
「なんぼや」
「シリンダー錠。一つ千八百円として、村の全戸で——」
俺は世帯数を思い出した。
「四十二戸。予備を入れて四十五個。八万千円です」
ニャングルの手から、煙管が落ちた。
「八万!? アホか! 何も生まん物に八万も——」
「生みます」
俺はニャングルの目を見た。
「兵士が一人でも問題を起こしたら、この村は三国のどれかに『治安維持』を口実に踏み込まれます。そうなったら、駐屯費という名目でいくら取られますか」
猫が、口を閉じた。
「八万で買えるのは、鍵じゃありません。その口実を、先に潰す権利です」
長い沈黙のあと、ニャングルは帳簿を開いた。
そして、一行書いた。
「……『防犯設備 八万一千円』。科目は村費や。ワテのポケットからやないぞ」
「助かります」
「兄さん」
猫が顔を上げた。
「あんた、金の使い方が上手いんやなくてな。使う理由の作り方が上手いんや。それ、詐欺師の才能やで」
「購買部です」
その日の午後、俺は村中を回って錠前を交換した。
ドライバーも一緒に発注した。四百八十円。
「まあ、便利な道具だねぇ」
「兄ちゃん、うちも頼むよ」
「これ、前の鍵じゃ開かないのかい」
四十二軒目を終える頃には、日が沈んでいた。
最後の一軒は、村長の家だった。
「ありがとうございます。……本当に、こんなことまで」
キャルルが、新しい鍵を大事そうに握った。
「ずっと、気になってはいたんです。でも、優先順位を考えると、いつも後回しで」
「後回しにしていい案件と、してはいけない案件があります」
俺はドライバーをしまった。
「壊れてから直すものと、壊れる前に潰すもの。後者を後回しにする組織は、必ず一回死にます」
キャルルの兎耳が、少し傾いた。
「……大野さん」
「はい」
「あなた、前の職場で、たくさん後回しにされてきたんですね」
俺は答えなかった。
キャルルはそれ以上聞かず、代わりにポケットから飴玉を出して、俺の手に押し付けた。
「お疲れさまでした」
部屋に戻ると、扉の前にリーザが座っていた。
「マコト様。新しい鍵、私の複製で開きません」
「開いたら困るんですよ」
「ひどいですわ! 私、締め出されてしまいます!」
「玄関から来てください。ノックして」
リーザは目を丸くして、しばらく考えて、それから、はっとした顔をした。
「……いいんですの? 私が、玄関から来ても」
妙な間だった。
この女は、たぶん人生で一度も、正面から入れてもらったことがないんだろうと思った。
「どうぞ。営業時間は夜十時までです」
「マコト様ぁ♡」
「あと、俺のポケットを漁るのはやめてください」
その夜、俺は初めて、部屋の鍵をかけずに眠った。
発注可能残高:222円
残高は、一円も増えていない。
でも、この村で四十二個の鍵が今日から違う形になったことは、たぶん、いつか数字になる。
そう思うことにした。
読んでいただきありがとうございます。
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