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第五章「足りない」

母の薬が、あと三日ぶんしか、なかった。


俺は棚の前にしゃがんで、小さな布袋の中の乾いた薬草を指でかき分けていた。袋の底に、薄く残っているだけだった。これで三日。長く見積もっても四日。それで終わりだった。


それから先は、また買わなきゃならない。ミラの父さんが薬草を分けてくれることもある。けれどいつもただで分けてもらってばかりはいられない。母の薬は毎日いるものだ。途切れさせるわけにはいかなかった。


俺は袋の口を締め直した。


竈の湯はもう沸いていた。その湯でまず母の薬を煎じる。残り少ない薬草をいつもより少しだけ惜しんで椀に入れた。苦い青くさい匂いが湯気と一緒に立った。この匂いにはもう慣れている。慣れているはずだった。


それなのに今朝はその匂いを嗅ぐと胸の奥が少し重くなった。あと三日と思うと重くなった。慣れていても足りないものは足りない。


奥の一間から、咳が聞こえた。


いつもの朝だった。煎じた薬を運んで、椀を母の口元へ。母は少しずつ苦い薬を飲んだ。いつもと違うのは薬の残りだけだった。冬が近づくと母の病は重くなる。去年もそうだった。冬のあいだは薬がいつもよりたくさんいる。切らすわけにはいかなかった。


「ラウィス。あんた、ちゃんと、食べてるの」


母が椀から口を離して、言った。


「食べてるよ。心配いらないって」


「あんた、自分のぶんを、弟に……」


「平気平気。俺、もう大人だから。子供ほど、食わなくたって、いいんだ」


母がもう一度、口元を動かした。


何か言いかけたようだった。けれど、声になりかけて、また咳に紛れた。母は最近、よく、こうだった。何か言いかけて、咳にする。あるいは咳のあいだに、息が言葉の形に漏れる。それが本当に言葉なのか、ただの咳なのか、俺には分からなかった。分からないから俺はそれを咳だと思うことにしていた。


母は咳をしているだけだ。俺は空になった椀を受け取った。


「無理しないで、寝てて。俺、出るから」


母は頷いた。


俺は奥の一間を出た。出るとき、後ろでまた軽い咳が聞こえた。


◇◇◇


板の間で、弟が靴を、履こうとしていた。


「兄ちゃん、これ、はけない」


弟が片方の靴を俺に差し出してきた。五つの弟の小さな靴だ。見ると靴底が剥がれかけていた。爪先のところがぱっくりと口を開けている。中の薄い詰め物がはみ出していた。もう長いこと履いている靴だった。


妹のお下がりで、その前はたぶん近所の誰かのお下がりだ。何人もの子供の足を通って、いよいよ寿命が来ていた。


「ああ……こりゃ、だめだな」


俺はその靴を手に取った。


剥がれた靴底を指で押してみた。糊ではもうつかないだろう。縫うにしても革が薄くなりすぎていた。針を通したらそこからまた裂ける。直すより新しいのを買ったほうがいい。


けれど、と俺は思った。子供の靴もただじゃない。母の薬代があって、家のみんなの食い扶持があって、そこに弟の靴。冬が近い。素足で外を走り回らせるわけにはいかない。冬の地面は冷たい。子供の足はすぐしもやけになる。


「新しいの、いるなあ」


「あたらしいの、かってくれる?」


弟が目を輝かせた。


俺はその顔を見て、すぐには答えられなかった。買ってやりたい。当たり前だ。けれど今、財布の中にある銅貨を頭の中で数えてみる。母の薬。弟の靴。家のみんなの毎日の飯。ぜんぶは足りない。どれか一つを買えばどれかが足りなくなる。


「……ああ。そのうち、な」


俺は言った。


「そのうち。兄ちゃんが、稼いだら。それまで、こっちの、でかいほうの靴、履いとけ。妹の、お古の。ちょっとでかいけど、紙でも詰めときゃ、履けるだろ」


弟は少し不満そうな顔をした。それでも頷いた。妹の一つ大きい靴に足を入れて、ぶかぶかと土間を歩いてみせた。俺はその後ろ姿を見ていた。


そのうち、と俺は言った。


そのうち、稼いだら。けれど、その「そのうち」はいつだろう。浅いところで二つ三つの魔石を採って、それを売って銅貨に換える。その銅貨は母の薬でほとんど消える。


残りで飯を買う。靴のぶんは残らない。明日潜っても明後日潜っても、たぶん残らない。「そのうち」はこのままだとずっと来ないんじゃないか。


俺はその考えを頭から追い払った。


来る。そのうちは来る。少しずつ上手くなれば。深く潜れるようになれば。父も最初はこうだったはずだ。誰だって最初は。そう自分に言い聞かせた。けれど言い聞かせる声はこの前より少しだけ弱くなっていた。


◇◇◇


その日、俺は浅いところに、潜った。


ミラと市の前で待ち合わせた。ミラはいつもの静かな顔で待っていた。腰に治癒の道具の小袋を提げて。俺たちは迷宮の口から降りた。一層の浅いところ。血の匂いのする湿った洞窟だ。狼が二頭出た。俺が前に出て剣で頭を叩く。一頭。それからもう一頭。ミラは後ろで構えている。何かあったときのために。


連携は前より少しはましになっていた。


俺が出すぎない。ミラが間に合う間合いを保つ。何度も潜るうちになんとなくつかめてきた。それでもまだぎこちなかった。二頭くらいならいい。


けれどもし三頭、四頭といっぺんに来たら。あるいはもっと強いのが出たら。そのときはたぶんこの連携では間に合わない。俺にはそれが分かっていた。


二頭を倒して、魔石を二つ採った。


ことり、ことり、と、腰の革袋に入った。二つぶんのほんの少しの重み。俺はその重みを確かめた。


けれどもう昨日までのように嬉しくはなかった。二つ。たった二つだ。これを売っても銅貨に換えても、三日か四日ぶんの薬。弟の靴には届かない。


「ラウィス。もう上がる?」


ミラが聞いた。


「ん……あと、一回。もう一回、奥のほう、見てみる」


「奥?」


ミラの声が、少し変わった。


「いつもより、奥? それ、大丈夫?」


「大丈夫だって。ちょっとだけだから。すぐ戻る」


俺はそう言って、いつもより少しだけ奥へ進んだ。浅いところのいちばん奥。そこまではまだなんとか行ける。けれどその先は急に暗くなる。降り口が下へ続いている。二層へ続く道だ。俺はその暗い降り口の前で立ち止まった。


その先に何がいるんだろう。


二層には、もっといい魔石が出る。店主が言っていた。もっと深く潜れば、もっといい魔石が出る、と。けれど深いところは危ない、とも。父も言っていた。無理な依頼は受けるな、と。連携が命だ、と。俺はその暗い降り口をしばらく見ていた。


「ラウィス」


後ろから、ミラの声がした。


「行かないよね。そっちは」


「……行かないよ」


俺は降り口に、背を向けた。


「行くわけ、ないだろ。まだ、早いって。ちょっと見てみただけ」


ミラは何も言わなかった。ただ俺の顔を見ていた。静かな目だった。その目が何か言いたそうだった。けれどミラは言わなかった。


俺もそれ以上何も言わずに降り口に背を向けて引き返した。腰の革袋の中で、二つの魔石が、ことり、と鳴った。


◇◇◇


その晩、家に帰ると、妹が奥の一間から、出てきた。


「お兄ちゃん。お母さん、今日、ずっと、咳してた」


妹が言った。八つの妹はしっかりした子だった。母のことを半分くらい分かっている。その妹の顔がいつもよりこわばっていた。


「今も?」


「さっき、寝た。でも、苦しそうだった」


俺は奥の一間に入った。母は眠っていた。けれどその寝息は浅く、ときどき咳に切れた。額に手をやると熱はなかった。ただ咳が止まらないのだ。


冬が近づいている。寒くなると母の咳はひどくなる。薬を切らさなければ少しはましになる。けれどその薬があと三日ぶん。


俺は母の枕元にしばらく座っていた。


それから棚のほうを見た。薬草の袋。あと三日。弟の剥がれた靴。妹のこわばった顔。──足りない。何もかも、足りなかった。


浅いところで少しずつ稼ぐ。そのやり方では追いつかない。母の咳は待ってくれない。冬は待ってくれない。弟の足は待ってくれない。


俺は胸のポケットに、手をやった。


弟がくれた川の石が入っていた。指でつまみ出して握ってみた。つるりとした丸い石。ただの石だ。けれど握ると少し落ち着く。落ち着いてどうする。石を握って落ち着いたって、薬は増えない。靴は買えない。落ち着いている場合か。


俺はその石を、胸のポケットに、戻した。


そうだ。落ち着いている場合じゃない。何かしなきゃならない。今の稼ぎじゃ足りない。もっと稼がなきゃ。もっとたくさん。──どうやって。


俺にはまだ、その答えがなかった。


◇◇◇


次の日、市で、魔石を売ったあと、俺は酒場に、足を向けた。


冒険者の集まる、古い酒場だった。昼間から安い酒を飲んでいる連中がいる。依頼の貼り紙が、壁にたくさん貼ってあった。俺は酒を飲みに来たわけじゃない。ただ貼り紙を見に来た。どんな依頼が、出ているのか。どれくらいの稼ぎに、なるのか。それを、知りたかった。


俺は壁の貼り紙を一枚ずつ見ていった。


低難度の依頼は、知っている。浅いところの、薬草採り。一層の、狼の間引き。それくらいだ。稼ぎは、知れている。けれどその奥に別の貼り紙があった。それは見たことのない依頼だった。中級難度、と隅に書いてあった。報酬の額が書いてあった。俺はその額を見て、思わず二度見た。


──桁が、違った。


低難度の依頼の何倍もあった。一回でこれだけ貰えるのか。これだけあれば。母の薬も何ヶ月ぶんも買える。弟の靴も買える。ちゃんとした新しい靴を。それからいつか、ちゃんとした装備も。俺はその額を見つめていた。見つめていると胸の奥が妙にざわついた。


「兄ちゃん、それ、見てんのか」


横から、声がした。


振り向くと、年長の冒険者が立っていた。三十くらいだろうか。日に焼けたいかつい顔をしていた。腰にそれなりの剣を提げている。革鎧も安物じゃなかった。一人前の冒険者だった。手に酒の椀を持っている。


「中級か。お前、潜るのか、そんなとこ」


「いえ……ただ、見てただけで」


「ふうん」


男は俺を上から下まで見た。それからふん、と、鼻で笑った。


「お下がりの剣に、お下がりの鎧か。駆け出しだな。──やめときな。中級は、お前にゃ、まだ早い。死ぬぞ」


「……はい」


俺はうつむいた。


死ぬぞ、と男は言った。早い、と。分かっている。分かっているけど。この額。この額があれば。俺はもう一度、貼り紙の報酬の額を見た。男は俺のその目を見ていたらしかった。酒をひとくち飲んでから言った。


「まあ、稼ぎたい気持ちは、分かるけどな」


男が言った。


「中級ってのは、要するに、二層から下だ。一層の浅いとこと違って、魔石の質が、ぜんぜん違う。一個で、低難度の依頼、十回ぶんになることもある。だがな、そのぶん、危ねえ。出るやつが、違う。一頭で、駆け出しのパーティを、全滅させるようなのが、いる。だから、ちゃんとした人数と、ちゃんとした腕がいるんだ」


「ちゃんとした、人数……」


「ああ。最低でも、四、五人。前で、受けるやつ。後ろから、射るやつ。そんで、まともな神官だ。中級から下は、怪我が、洒落になんねえ。指がもげる、足が裂ける、内臓やられる。そんなのを、その場で、治せる神官が、いなきゃ、話になんねえ。──お前、神官の当ては、あんのか」


俺はミラのことを思った。


ミラは神官見習いだ。初級の奇跡しか使えない。止血と痛みを和らげるのと、それから熱を下げるくらい。重い傷は治せない。指がもげるとか、足が裂けるとか、そんなのはミラには無理だ。


ミラは見習いだからこれくらいしかできないけど、といつも言う。──そうだ。ミラじゃ、足りない。中級に潜るには、まともな本職の神官がいる。


「……いえ。当ては、ないです」


「だろうな」


男はまた、ふん、と笑った。


「やめときな。お前みたいなのが、欲かいて、中級に潜って、それっきり帰ってこねえのを、俺は何人も見てる。──まあ、たまには、当てる馬鹿もいるがな。先に、いい場所の見当を、つけといた馬鹿が」


男はそれだけ言うと、俺の肩を、ぽん、と叩いた。それから椀の酒を飲み干して、奥のほうへ行ってしまった。


俺は貼り紙の前に、一人で、残された。


中級難度。報酬の桁違いの額。四、五人の人数。まともな本職の神官。一個で、低難度十回ぶんの魔石。俺の頭の中でその言葉がぐるぐる回っていた。


◇◇◇


帰ろうとして、酒場の戸口で、俺は一人の男とぶつかりそうになった。


「あ、すみません」


向こうが先に謝った。


見ると、俺とそう変わらない年に見えた。いや、もしかしたら俺より下かもしれない。痩せた小柄な体に革鎧を着ていた。その上から丈の長いローブを羽織っている。革鎧とローブ。妙な取り合わせだった。腰には細い杖を提げていた。冒険者なのか何か別の見習いなのか、ぱっと見よく分からない格好だった。


「いや、こっちこそ」


俺は言った。


男は戸口で、もじもじとしていた。中に入ろうか、どうしようか、迷っているみたいだった。酒場の騒がしい中を覗き込んでは、また引っ込める。そういう感じだった。気の弱そうな顔をしていた。


「えっと……ここ、冒険者の、酒場で、合ってますか」


男が俺に、聞いてきた。


「ああ、合ってるよ。依頼の貼り紙も、あそこに、ある」


「そう、ですか。──ありがとう、ございます」


男は頭を下げた。それでもまだ中に入りあぐねていた。一人で来て中に入れずにいる。その感じはなんとなく分かった。俺も最初はそうだった。冒険者の集まる場所はなんだか敷居が高い。みんな自分より大人で強そうで。


「あんた、冒険者?」


俺は聞いてみた。


「あ、はい。一応……まだ、駆け出しですけど」


「俺も駆け出しだよ。最近、登録したばっかりだ」


そう言うと、男の顔が少しほぐれた。同じ駆け出しだと分かって安心したらしかった。


「俺、ラウィス。あんたは?」


「ファビウス、です」


ファビウス、と男は言った。俺はその名前を、口の中で一度繰り返した。ファビウス。──いや、ファ……なんだっけ。もう半分忘れかけていた。覚える気が、なかったわけじゃない。ただ頭の中が、さっきの中級依頼のことでいっぱいだったのだ。


「ファビウスな。よろしく」


俺は適当に、言った。


はい、と、ファビウスは小さく言った。それから腰の細い杖に手をやった。何か確かめるみたいに杖を握った。それから革鎧の合わせのところに手をやって、またすぐ離した。落ち着かない手つきだった。何かしっくりこないものを確かめては、また確かめ直しているような。


「ファビウスは何、使うんだ」


俺は聞いた。剣か、弓か。それとも、その杖で、何か、やるのか。


「えっと……灯火、とか。あと、ちょっとした、火が」


ファビウスが言った。


「火?」


「はい。指先に、こう……」


ファビウスは片手を上げた。指先に意識を集めるみたいにした。少しして、その指の先に小さな火が灯った。蝋燭の炎くらいの、ちろちろとした小さな火だった。明かりにはなる。けれどそれだけだ。何かを燃やすには頼りない。


「これくらい、しか。──まだ、これくらい、しか、できなくて」


ファビウスは灯した火を見ながら言った。火種とは少し違った。竈に火を起こすときの、あのただ点くだけの火じゃない。指の先で大きくしたり小さくしたりできるみたいだった。火を操っている。生活魔法の火種とは、別物の、火属性の初歩の素養だった。


それからふっとその火を消した。それからまた灯した。消して、灯して、また、消す。指先で火を点けたり消したりしていた。何か手持ち無沙汰なときの癖みたいだった。点けて、消して、点けて、消して。


小さな火がファビウスの指先で現れては消え、また現れた。


「器用だな、それ」


俺は言った。


「いや、そんな……これくらい、誰でも」


「俺は灯火は、使えるけど。そういう、火を、操るのは、できない。すげえよ」


そう言うと、ファビウスは照れたように頭を下げた。それから指先の火を、消した。今度は、灯し直さなかった。


そのとき、酒場の中から、さっきの年長の冒険者の声が聞こえた。誰かと大声で笑っている。その声にファビウスがびくり、と肩をすくめた。中の騒がしさに、また気後れしたらしかった。戸口で、もじもじとしている。一人で、入れずに、いる。


俺はそれを、見ていた。


なんとなく放っておけなかった。俺だって駆け出しだ。何も持っていない。お下がりの剣に、お下がりの鎧。


さっき年長の冒険者に、上から下まで見られてやめときな、と笑われた。けれどこのファビウスは俺よりもっと頼りなく見えた。


痩せていて小柄で、革鎧の上にローブなんか羽織って、灯火くらいの火しか出せない。一人で酒場に入ることもできない。俺より年下かもしれない。俺より何も持っていなさそうだった。


そう思ったら、なんだか自分が少し大きくなった気がした。


「おい、入んないのか」


俺はファビウスに、言った。


「貼り紙、見に来たんだろ。一緒に、見ようぜ。中、そんな、こわくないって。ほら」


俺はファビウスの肩を軽く押した。さっき年長の冒険者が俺の肩をぽんと叩いたみたいに。俺が押されたみたいに、今度は俺が押した。ファビウスは押されて、おっかなびっくり酒場の中へ足を踏み入れた。


「あ……ありがとう、ございます」


ファビウスが言った。


俺はなんでもないことのように、肩をすくめてみせた。けれど内心、少しだけいい気分だった。誰かを庇うとか、引っ張ってやるとか、そういうのは、初めてだった。いつもは俺がいちばん下っ端だった。年長の冒険者に笑われる側だった。それが今は、自分より、頼りないやつを前に押し出してやっている。こういうのも、悪くない、と思った。


俺たちは二人で、貼り紙を、見た。


ファビウスは低難度の依頼を指でなぞっては、これなら、できるかな、と、つぶやいていた。けれど俺の目はさっきからあの中級難度の貼り紙に戻ってしまう。桁違いの報酬の額。一個で低難度十回ぶんの魔石。


「ファビウスはこれから、どうすんだ。仲間とか、いるのか」


俺は聞いた。


「いえ……まだ、一人で。仲間は、これから、探そうと、思って。でも、誰を、誘えばいいのか、まだ……決まってなくて」


ファビウスは濁すように言った。決まってなくて、と。それ以上は言わなかった。たぶん本当に、まだ何も決まっていないのだ。誰と組むのか。どこに潜るのか。何も。それも俺と同じだった。俺だってミラと二人。それだけだ。


中級に潜るには、人数が、足りない。腕が、足りない。神官が、足りない。


足りないものだらけだ、と、俺は思った。


◇◇◇


その晩、俺は土間の藁の寝床で、なかなか、眠れなかった。


頭の中で、あの中級難度の貼り紙の報酬の額が回っていた。あれだけあれば。母の薬が何ヶ月ぶんも。弟の靴も。冬の薪も。ぜんぶ買える。一回潜れば。たった一回。


無理な依頼は、受けるな、と、父は言った。


俺は寝返りを打った。父の声が耳の奥で聞こえた。父が遠征に出る前、俺の目を見て言った言葉だ。無理な依頼は、受けるな。連携が、命だ。覚えている。父の声で覚えている。


だから俺は無理はしない。浅いところで少しずつ。少しずつ。


──少しずつで、間に合うのか。


母の薬はあと三日。弟の靴は剥がれている。冬はもうそこまで来ている。少しずつなんて、悠長なことを言っていられるのか。母の咳がひどくなる前に。弟の足がしもやけになる前に。──間に合うのか。少しずつで。


俺は目を、閉じた。


そうだ。父は無理な依頼は受けるな、と言った。でも、と俺は思った。父だって。父だって最初は駆け出しだったんだ。父だって最初から深いところに潜れたわけじゃない。


最初は浅いところから。それから少しずつ深く。そうやって一人前になったんだ。父もきっとどこかで最初の一歩を踏み出したはずだ。少し無理をして。


父さんも、こんな依頼から、始めたんじゃないか。


そう、思った。


俺は寝床の中で、目を、開けた。


胸の奥がさっきまでとは違う鳴り方をしていた。怖さと、それから何か熱いものが混じっていた。中級難度。桁違いの報酬。


無理だと、思ったら、と、父は言いかけた。


ふいにその記憶が浮かんだ。父が遠征に出る前、無理な依頼は受けるな、連携が命だ、と言って、それからもう一つ言いかけた。無理だと、思ったら……と。


けれど父はその先を言わなかった。少し黙ってから、いや、と首を振った。


気をつけてな、とだけ言った。無理だと、思ったら、どうしろ、と言いたかったのか。あのとき俺には分からなかった。今でも分からない。父は最後までそれを言わなかった。


無理だと、思ったら。


俺はその続きを、自分で、考えてみようとした。無理だと、思ったら──やめろ、と言いたかったのか。引き返せ、と。それとも、別の、何かか。分からなかった。父が言わなかったんだから、分かるわけがない。


──だったら俺が無理だと思わなければ、いい。無理だと思わなければ。やれると思えば。それは無理な依頼じゃない。ただのちょっとした背伸びだ。父もしたはずの。


俺はそう、自分に、言い聞かせた。


胸のポケットに手をやった。弟の川の石が入っていた。指でそれをつまみ出して握った。つるりとした丸い石。あぶないとこ、いくんでしょ、と弟は言った。だから、お守りと。


ああ、と俺は思った。あぶないとこ。弟は知っていたのか。兄ちゃんがあぶないところへ行くことを。だからお守りをくれたのか。


俺はその石を、強く、握った。


行くよ、と俺は心の中で言った。あぶないところへ。お前の靴を買うために。母さんの薬を買うために。ちゃんとした冒険者になるために。大丈夫だ。お守りがあるから。父さんもきっと、こうやって始めたんだ。


俺はその石を、また胸のポケットに、しまった。


◇◇◇


次の日、俺はミラにその話をした。


市の前で待ち合わせて、潜る前にミラに言った。中級難度の依頼の話を。報酬が桁違いだということ。一回潜れば母の薬も弟の靴もぜんぶ買えるということ。ミラの顔が聞いているうちにだんだん曇っていった。


「ラウィス。それ、中級って……二層から、下でしょう」


ミラが言った。


「ああ。でも、いちばん、浅い、中級だ。二層の、入り口あたりの。そんな、深くは、ない」


「でも、二層は、二層だよ。一層とは、出るものが、違うって」


「分かってる。だから、ちゃんと、人を、集めてからだ。一人で、行くわけじゃ、ない」


「人……」


ミラの声が、小さくなった。


「ラウィス。あなたのお父さん、言ってたよね。無理な依頼は、受けるなって。連携が、命だって。──これ、無理な依頼じゃ、ないの?」


俺は一瞬、言葉に詰まった。


無理な依頼。そうかもしれない、と思いかけてやめた。昨日の晩、決めたことだ。無理だと思わなければいい。やれると思えば。


「無理じゃ、ないって」


俺は言った。少し早口に、なった。


「ちゃんと、人を集めて、ちゃんと、準備すれば、いける。それに、父さんだって最初はこういう依頼から始めたんだ。誰だって、最初は、ちょっと、背伸びをする。それを、乗り越えて、一人前になるんだ。父さんも、きっと、そうやって……」


「ラウィス」


ミラが俺の言葉を遮った。


「あなたのお父さんは、一人前の、冒険者だよ。深いところまで、潜れる。でも、ラウィスはまだ二層を知らない。一度も行ったことがない」


ミラはいつものように、途中で、止めなかった。今度は、言い切った。俺の顔を、見て、引かずに、言い切った。


俺は何か、言い返そうとした。


──けれど言葉が出てこなかった。ミラの言うとおりだった。俺は二層を知らない。一度も行ったことがない。言い返したい言葉は口に出す前から薄っぺらく聞こえた。本当のことには言い返せなかった。


だから、俺は別のことを、並べた。本当のことだけを。


「……でも。母さんの薬が、あと、三日ぶんしか、ない。弟の靴は、剥がれてる。冬が、来る。冬になったら、母さんの咳は、もっとひどくなる。薬が、もっといる。今の稼ぎじゃ、足りない。ぜんぜん、足りないんだ。──少しずつ、なんて、言ってられないんだよ、ミラ」


それはミラへの言い返しではなかった。ただの家の事情だった。けれど俺にはそれしかなかった。並べているうちにミラは何も言えなくなった。それが分かって少し後ろめたかった。


俺はミラを言い負かしたわけじゃない。ただ家のことを盾にして黙らせただけだった。


ミラは何も、言わなかった。


俺の顔を見ていた。静かな目だった。その目に心配が滲んでいた。けれどミラは俺を止める言葉を持っていなかった。家のことを、ミラは知っている。母の咳も。弟の靴も。だから止められないのだ。


止めたい。でも止めたら家が立ち行かない。それをミラも分かっていた。


「……人は、集まるの」


しばらくして、ミラが言った。


「集める。これから、探す。前で受けるやつと、後ろから射るやつと、それから──神官だ。まともな、本職の神官が、いる」


俺は言った。それからミラの顔を見た。


ミラは神官見習いだ。初級の奇跡しか、使えない。中級には、足りない。それを、俺もミラも、分かっていた。だから俺は本職の神官、と言った。ミラじゃない、本職の。言ってから、少し悪い気がした。ミラの治癒では、足りない、と、言ったようなものだった。


ミラはうつむいた。


それから小さく、頷いた。


「……分かった」


ミラが言った。


「分かった。でも、ラウィス。一つだけ」


ミラが顔を、上げた。


「一人では、行かないで。絶対に。どんなに、稼ぎが、よくても。一人で、無茶を、しないで。──私も行く。あなたが、行くところには、私も行く。神官として、足りないかも、しれないけど。それでも、私は行く。一人で、行かせない」


ミラの声は、静かだった。けれど、その奥に、引かないものが、あった。


俺はミラの、その顔を見ていた。


ミラはこういうとき絶対に引かない。子供のころから知っている。静かなくせにこういうところだけ頑固だった。弟が熱を出したときもそうだった。


いいよ、そんな、と俺が言っても、いいから、と言って聞かなかった。今も同じだった。一人で、行かせない、と。


俺は何か、温かいものが、胸に、込み上げるのを、感じた。


それからすぐにそれを押し込めた。ミラは心配してくれている。仲間として。幼馴染として。それだけだ。そう自分に言い聞かせた。


今は家のことでいっぱいだ。それどころじゃない。ミラの気持ちがどうとか、自分の気持ちがどうとか、そんなことを考えている場合じゃない。母の薬。弟の靴。それをなんとかするのが先だ。


「……大丈夫だ」


俺は言った。


「無茶は、しない。ちゃんと、人を集めて、ちゃんと、準備する。一人でなんか、行かないって。ミラも来てくれるんだろ。だったら、心強いよ」


ミラは俺の顔を、見て、それからまた小さく、頷いた。


その目にはまだ心配が残っていた。けれどミラはもう止めなかった。止められないことをミラは知っていた。俺も知っていた。俺たちはその日、いつものように浅いところに潜った。狼を二頭倒して魔石を二つ採った。ことり、ことり、と、袋に入った。


その二つの魔石が、その日いつもより軽く感じた。


たった二つ。これじゃ足りない。ぜんぜん足りない。俺の頭の中にはもうあの中級難度の貼り紙の桁違いの報酬の額が焼きついて離れなかった。


◇◇◇


家に帰る道で、俺はミラと並んで歩いた。


日が傾きかけていた。すり鉢状の街の西の縁に夕日が当たっていた。通りにはいつもの賑わいがあった。油の匂い。何かを焼く煙。武具屋の金槌の音。俺たちはその通りを、二軒隣の家まで並んで歩いた。子供のころから何度も歩いた道だった。


「ラウィス」


ミラがふと、言った。


「ん?」


「あなたのお父さん、いつ、帰ってくるの」


俺は少し、黙った。


「……分からない。遠征は、長いんだ。半年とか、一年とか。前のときも、そうだった。いつ、帰ってくるか、手紙も、来ない。──でも、帰ってくる。前も、帰ってきたから。今度も、帰ってくる」


そう言った。


帰ってくる、と。けれどそれまで家を支えなきゃならない。父が稼いで帰ってくるまで。母の薬代も、弟の靴も、家のみんなの飯も。父がいないあいだは俺が稼ぐ。父のように。父がいつもそうしてきたように。


「ラウィスはお父さんに、似てきたね」


ミラが言った。


俺はその言葉に、少しどきりとした。


「……そう、かな」


「うん。剣の構え方とか。それから……無理を、しようとするところも」


ミラが言った。最後のところは、少し寂しそうに、言った。


俺は何も言えなかった。父に似てきた。それは嬉しいことのはずだった。


俺は父のようになりたい。父のように稼いで家を支えたい。それなのに、ミラのその言い方は嬉しそうじゃなかった。無理をしようとするところ、と。それも父譲りだ、と。ミラはそれを心配していた。


「父さんは、無理なんて、しなかったよ」


俺は言った。


「父さんは、ちゃんと、生きて、帰ってくる。何度も遠征に出て、何度も帰ってきた。無理なんか、しないから、帰ってこられるんだ。俺もそうする。無理は、しない。ちゃんと、準備して。ちゃんと、人を集めて」


ミラは何も、言わなかった。


ただ隣で歩いていた。俺たちの影が夕日に長く伸びていた。前で、俺が。少し後ろで、ミラが。子供のころ、木の剣で遊んだときと同じだった。前で、俺が。後ろで、ミラが。


いつか討伐祭で、と俺は子供のころ夢を語った。いつか、討伐祭で、名を上げるんだ。俺たち、と。ミラも隣で頷いた。あのころはただの夢だった。


その夢が、ふと頭に、浮かんだ。


討伐祭。三十年に一度の、主を討つ祭り。三年後だ。三年後に討伐祭がある。あそこで名を上げれば。大勢の冒険者のいちばん前で。


──そうだ、と俺は思った。中級の依頼で実績を作る。腕を上げる。いい仲間を集める。そうやって討伐祭までに、ちゃんとした冒険者になる。そうすれば討伐祭で名を上げられる。名を上げれば、もう家のことで苦労しなくて済む。母にもいい医者を。弟にもいくつでも靴を。


それはいい考えだ、と、俺は思った。


中級の依頼。それはただの無茶じゃない。討伐祭への第一歩だ。子供のころから夢みてきた討伐祭。その夢へ近づくための一歩。そう考えると、中級の依頼が急に正しいことのように思えてきた。


怖さが少し薄れた。これは夢のための必要な一歩なんだ。父もきっと、こうやって夢を追ったんだ。


「ミラ」


俺は言った。


「覚えてるか。子供のころ、討伐祭で、名を上げるんだって、二人で、言ってたの」


「……覚えてるよ」


「あれ、まだ、諦めてないんだ、俺。三年後に、討伐祭が、あるだろ。それまでに、ちゃんとした冒険者に、なる。中級の依頼で、実績を作って、腕を上げて。そんで、討伐祭で、名を上げる。そうすれば、もう家のことで、苦労しなくて、済む。母さんにも、弟にも、ちゃんとしたものを、してやれる」


ミラは俺の横顔を見ていた。


それからほんの少し笑った。寂しそうな笑い方だった。


「ラウィスは昔から、そうだね」


ミラが言った。


「夢を、見るのが、上手」


それが誉め言葉なのか、そうじゃないのか、俺にはよく分からなかった。ただミラのその笑い方がなんだか胸に残った。寂しそうな笑い方。けれどミラはそれ以上、何も言わなかった。俺たちは二軒隣のミラの家の前まで来ていた。


「じゃあ、また明日」


ミラが言った。


「ああ。明日も、潜ろう。それから、神官のことも、考えなきゃな。本職の」


ミラの顔が、その言葉に、一瞬、また曇った。けれどミラは頷いた。


「……うん。考えよう」


ミラは戸を開けて家の中へ入っていった。俺は戸口でその背中を少しのあいだ見ていた。それから二軒隣の自分の家へ向かって歩いた。


◇◇◇


家に入ると、弟が駆け寄ってきた。


妹の大きい靴をぶかぶかと履いていた。紙を詰めた靴だ。それでも嬉しそうに駆けてきた。


「兄ちゃん、おかえり!」


「ただいま。おい、転ぶぞ、その靴で、走ると」


「だいじょぶ! ねえ、兄ちゃん、あたらしい靴、いつ?」


弟が俺の顔を見上げて言った。あたらしい靴、いつ、と。俺はその顔を見てしゃがんだ。弟の目の高さになった。


「すぐだ」


俺は言った。


「すぐ買ってやる。ちゃんとした、新しい靴。お前の、足に、ぴったりの。兄ちゃんが、今度、いい仕事を、するからな。それで、買ってやる。靴も、それからいろいろ。母さんの薬も、たくさん」


「ほんと?」


「ほんとだ。兄ちゃんが、約束する」


弟はぱっと顔を輝かせた。それからやったあ、と言って、ぶかぶかの靴で土間を走り回った。妹が奥から出てきて、転ぶよ、と言って弟を捕まえた。俺はその様子を見ていた。


すぐだ、と、俺は言った。約束する、と。


──約束した。弟に。すぐ買ってやると。だったらもう後には引けない。すぐ稼ぐ。たくさん稼ぐ。そのためには中級の依頼だ。それしかない。浅いところで二つ三つの魔石を採っていたって、すぐにはならない。すぐにするには中級だ。


俺は立ち上がった。


胸の奥が決まっていくのを感じた。怖さはまだあった。父の戒めも耳の奥に残っていた。無理な依頼は、受けるな、と。


けれどその声より、弟の輝いた顔のほうが大きかった。母の苦しそうな咳のほうが大きかった。ミラの心配そうな目のほうが──いや。ミラのことは今はいい。今は家のことだ。家を支えること。それが先だ。


夜になって、俺は土間の寝床に、横になった。


奥の一間から母の咳が聞こえた。弟の寝息も。妹の寝息も。みんな眠っていた。俺は天井の暗がりを見ていた。明日からだ、と思った。


明日から中級の依頼に向けて動く。まず人を集める。前で受けるやつ。後ろから射るやつ。それから神官だ。本職のまともな神官。それがいちばんの問題だった。


神官が、いる。


ミラじゃ、足りない。ミラは見習いだ。


初級の奇跡しか使えない。中級の怪我は治せない。だから本職の神官を探さなきゃならない。


けれど本職の神官が、駆け出しのお下がりの装備の俺なんかと組んでくれるだろうか。分からない。けれど探すしかない。探して頼んで頭を下げて。なんとか一人見つける。それから前で受けるやつ。後ろから射るやつ。一人ずつ集めていく。


足りないものを、一つずつ、埋めていく。


金が、足りない。だから中級の依頼に行く。けれど中級には人が足りない。腕が、足りない。神官が、足りない。足りないものだらけだ。


けれどそれを一つずつ埋めれば。埋めていけばいつかぜんぶ揃う。揃ったら潜る。中級に。そして稼ぐ。たくさん。母の薬を。弟の靴を。それから討伐祭。三年後の。


俺は胸のポケットに、手をやった。


弟の、川の石が、入っていた。指で、それを、握った。お守りだ。あぶないところへ、行くための。行くよ、と、俺はもう一度、心の中で、言った。あぶないところへ。みんなのために。


それから俺はもう片方の手を、伸ばして、壁際の、剣を、手探りした。


暗がりの中で、父からもらった、古い片手剣の、柄に、手が触れた。俺はその柄を、握ってみた。指の隙間に、握りきれないぶんの、わずかな隙間が、残った。


俺はその柄を、しばらく握っていた。


握っていると、少し、落ち着いた。父も依頼の貼り紙の前で、難しい顔をして、柄を、握っていた。ぎゅっと、握って、それから、離した。あのとき、父も迷っていたのか。難しい依頼を、受けるかどうか。


俺は柄から、手を、離した。


それから目を、閉じた。決めた。中級の依頼に、行く。人を、集める。神官を、探す。揃ったら、潜る。──怖い。けれど、やる。


大丈夫だ、と、俺は自分に、言い聞かせた。


父さんも、こんな依頼から、始めた。父さんも、きっと──


そこで、ふと、言葉が、つかえた。父が言い淀んだときみたいに。無理だと、思ったら、と言いかけて、いや、と首を振った、あのときみたいに。


父さんも、きっと、こうやって。──その先を、俺は言い切れなかった。言い切れないまま、もう一度胸の中で繰り返した。父さんも、きっと。繰り返すと、少しだけ怖さが薄れた。少しだけ。


──完全には、消えなかった。けれどそれで、いい、と俺は思った。明日から、動く。神官を、探すんだ。まず、それからだ。


奥の一間で、母がまた、咳をした。


俺は目を、閉じたまま、その咳を、聞いていた。冬が、近い。母の咳が、ひどくなる前に。弟の足が、しもやけになる前に。──間に合わせる。俺が間に合わせる。父がいないあいだは、俺が。


革袋には、明日売る、二つの魔石が、入っていた。たった二つ。足りない。けれど明日からは、違う。明日からは、足りないものを、埋めていく。一つずつ。そう、決めた夜だった。


体の芯に、まだ小さく、熱が残っていた。その熱ごと、俺は眠りに落ちていった。


◆◆◆

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