第8話 青い花の庭と、何かの跡
砕けた壁の向こうは、さっきまでいた黒い洞窟の続きには見えなかった。
散った花びらの奥で、青い光がゆっくり揺れている。
「……えっ」
こよみが、ぴたりと止まる。
俺も止まった。
ぬれた石床が、その光を薄く返している。
洞窟なのに、夜の水面の上を歩いているみたいだった。
同じ押し入れダンジョンのはずなのに、空気の色だけがごっそり入れ替わっている。
「うわ、うわ、うわ……! 見て、キューちゃん!」
こよみが一気に弾けた。
「なにここ、すごい! 押し入れの先で急に神秘スポット引いた!」
『うわ綺麗』
『何ここ』
『急に絵が強い』
『別エリアでは?』
『さっきまでと空気違いすぎる』
フライがふわっと上がる。
視界の端のホログラムに、青い空間が丸ごと収まった。
いい。
悔しいけど、配信として強い。
サムネ一枚で人を呼べるやつだ。
こういうのは、元裏方の目でもわかる。
わかるけど、だから安心とはまったく繋がらないのが困る。
「キュ……」
「うんうん、わかる!」
こよみが勢いよく振り返る。
「『美しい場所は何よりも美しい』だよね!」
腹痛が激痛みたいになってる!
いや、それは良いのか……?
『よくわからなすぎる』
『護衛位置だ』
『キューちゃん頼れる』
『綺麗だけど怖いのわかる』
そう。
怖いんだよな、これ。
俺は自然に、こよみより少し前へ出た。
そのまま進むと、壁の下の方に妙な平たさが見えた。
自然の岩肌にしては整いすぎている。
足元の石床にも、細いふち取りみたいな線が残っていた。
崩れて、埋もれて、それでもまだ『昔は何かだった』とわかる程度の人工感。
「うわ、見て!」
こよみの目がさらに輝く。
「ここ、ただの洞窟じゃないよ! 絶対、神域の庭園!」
飛ぶなあ。
でも、人の手が入っていたのはたぶん本当だ。
『庭園跡?』
『神域の庭園は盛ったな』
『でも映える』
「ここ、めちゃくちゃ絵になる! ちょっと来て!」
いや、今そういう空気じゃないだろー!
と思ったのに、コメント欄まで乗ってくる。
『スクショタイム』
『こよみちゃん映える』
『キューちゃんも入れ』
『これはサムネ確定』
『並んだら回る』
俺がしぶしぶ寄ると、こよみはさらに嬉しそうになった。
左右の青い花。
花の光を受けた石床。
その中に立つ、白い俺と、白いローブのこよみ。
構図としては強い。
強いんだけど、それと安全は別なんだよな!
「見て、この構図!」
こよみがきらきらした顔で言う。
「もう完全に『神域の奥で祈りし神獣と巫女』じゃん!」
だいぶ違う!
しかもその『巫女』側、危機感が薄い!
そこで見えた。
青い花が、途中でごっそり途切れている。
「キュー」
「え?」
こよみの声が止まる。
さっきまで整って見えていた『道』の先で、青い発光花の群れがまとめて潰れていた。
花びらは泥に沈み、茎はへし折れ、ぬれた黒い土がむき出しになっている。
一定の間隔で、大きく、重く、何度も押し潰されたようなあと。
『あれ?』
『途中だけおかしくない?』
『花が潰れてる』
『ちょっと待って』
近づくと、違和感はもっとはっきりした。
足跡じゃない。
潰れたあとの先が、五つに分かれている。
細長いえぐれが並んで、その先だけ深く刺さっていた。
爪。
反ったかぎ爪が、岩と土に食い込んで、そのままずるりと引かれたような傷。
中央は、重いてのひらを押しつけたみたいに広い。
その少し先に、また五つ。
「……これ……道じゃない……?」
俺も黙って、その並びを見る。
てのひら。
五つの指。
かぎ爪。
壁に食い込む傷。
手をついて、引きずったような跡だった。
『手だ』
『足跡じゃない』
『でかすぎるだろ』
『無理無理無理』
『這ってる系?』
『急に生々しい』
さっきまでの神秘スポット感が、一気に剥がれ落ちる。
こよみが、てのひら跡の横にしゃがみ込む。
手を伸ばしかけて、途中で止めた。
潰れた青い花の汁が、まだ弱く光っている。
壁の傷のひとつからは、白い石の粉がさらりと落ちた。
古い傷じゃない。
ついさっきまで、何かがそこに力をかけていたみたいだった。
帰りたい。
今すぐ帰りたい!
でも、見てしまった以上、こよみをそのまま前へ行かせるのは危ない。
「キュ、キュ」
少し強めに声を出す。
こよみが顔を上げた。
頼むから、ここは普通に危機感を持ってくれ……!
「うん」
こよみが頷く。
「『危険が尾を引いておる』って感じだね」
お、珍しく近い。
「いや、違う」
こよみは俺を見る。
「『ここは余にまかせよ!』の方だ」
だいぶ足された!
いや、結果だけ見れば近いんだけど、そこまで格好よくは言ってない!
『盛ったなあ』
『でも気持ちはわかる』
『キューちゃんめっちゃ帰りたそう』
『こよみちゃん前出ないで』
そう。
前にはあんまり出てほしくない。
ここはたぶん、映えスポットじゃない。
綺麗な隠し庭でもない。
何か大きいものが、好きな時に来て、好きな時に手をついて、好きな時に通る場所だ。
その時だった。
ダンジョンが、低く震えた。
すぐあとで、奥の暗がりから音がした。
ギィィィィィィィ!
石を引っかくみたいな、硬い音。
それから、ずる、と重いものを引く気配。
こよみが止まる。
フライのマイクが、その音だけを妙にはっきり拾った。
コメント欄が、一瞬止まった。
そして——。
『今の何』
『いる』
『撤退しろ』
『マジでやばいやつ』
一気に流れ出す。
俺は暗がりの奥を見る。
さっきまで、ここは綺麗な隠し庭に見えていた。
でももう違う。
青い花は飾りじゃない。
潰れた道も、傷だらけの壁も、全部が同じことを言っている。
ここは、庭園なんかじゃない。
縄張りだ。




