第7話 キューちゃん、また壁を壊す
俺が一歩、踏み出す。
足先の少し前で、青白い花がふわりと開いた。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
踏んだ場所じゃない。
俺が進もうとする先を、待っていたみたいに、順番に咲いていく。
綺麗だ。
綺麗なんだが、なんか背中がぞわぞわなんだよなー!
「見て見て、キューちゃん!」
後ろで、こよみの声が跳ねた。
「これもう歓迎とかじゃないよ! 凱旋だよ!」
花の道を見回して、目をきらきらさせている。
「完全に『主の帰還に合わせて道が開く』やつ! 『うむ、道を開け』って顔だね!」
実際の顔は「ひえぇー」である。
「キュー!」
「うんうん、わかる!」
こよみが元気よくうなずく。
「『これが王の帰還だ』だよね!」
わかってなーい!
違うんだよなー!
『白い謎生物の花道』
『歓迎されすぎてて草』
『主の帰還は言いすぎだろ』
『でも道できてるの意味わからん』
『押し入れの先、毎回おかしい』
ほんとにそうだ。
うちの家賃、ワープ機能込みじゃないはずなんだが!?
さらに進むと、通路は少し広がった。
左右の壁は黒い。
濡れたみたいに鈍く光る岩肌に、青白い花が張りついている。
入口近くの花は淡い青。
けれど奥へ行くほど、花の光に紫が混ざり始めている。
花は、俺が進む時だけ開いた。
こよみが近づいても、フライが寄っても、ただ揺れるだけ。
あまりにも露骨だ。
『選ばれし白もふ』
『なんでそんな施設みたいなんだよ』
『普通に怖くない?』
わかる。
ただ咲いているだけなら綺麗で済む。
でも、咲き方に意思があるっぽいのが落ち着かない。
その時だった。
花の光が、壁に揺れた。
影も揺れる。
……はずなのに、一か所だけ、遅れた。
俺は足を止める。
「キュー」
「え?」
こよみが俺を見る。
「なに? 壁に神の印でもあった?」
だいぶ違う。
俺は壁際を指した。
黒い岩肌。
発光花の影。
その影が、ぬる、と壁から剥がれた。
「うわっ!」
こよみが声を漏らす。
岩じゃない。
壁に張りついていた何かだ。
黒く、薄く、脚が多い。
花の影に紛れていたせいで輪郭がわからなかったが、動いた瞬間に虫だとわかる。
『え?』
『壁じゃないの?』
『虫!?』
『普通に無理』
『急にホラーやめろ』
すごいわかる。
虫は俺に飛びかかってこなかった。
壁から剥がれると、そのままするすると横へ走る。
速い。
岩肌をなぞるみたいに、音もない。
こよみの頭上へ動いている!
『うわあああああああ!』
『こよみちゃん頭上!』
『油まみれのカブトムシモスキートみたいなのが!』
考えるより先だった。
俺はこよみの前へ体を入れる。
そのまま、ふわふわの拳を上へ払った。
どんっ。
破砕音。
虫型魔物は壁へ叩きつけられた。
それだけのはずだった。
けれど次の瞬間、そいつが張りついていた黒い壁が、ごっそり崩れた。
「えっ」
こよみの声と同時に、割れていく壁。
発光花がいっせいに散った。
黒い粉と青白い花びらが舞い上がり、フライの映像を包む。
『うわっ!?』
『また壊した!』
『いや虫を払っただけでは?』
『見えねええええ』
『キューちゃん加減を覚えて』
そう。
虫を払っただけだ。
壁を壊すつもりはなかった。
なかったんだが、結果として大事そうなものまでいった気がする!
「今の、そうなる!?」
こよみが花びらの向こうで目を丸くしている。
どうしてこうなった!
俺も聞きたい。ほんとに聞きたい。
崩れたところから、冷たい風が流れてきた。
花びらがその風に乗って、さらに奥へ吸われていく。
俺たちは自然とその先を見た。
「新しい場所……?」
通路があった。
いや、通路というより、裂けた壁の向こうに、もうひとつ空間がある。
ただ、その崩れた壁の断面を見た瞬間、俺は動けなくなった。
ダンジョンの壁を壊した、というより。
何かで塞がれていた場所を、うっかり割った感じがする。
「……あれ、壁」
こよみも気づいたらしい。
「普通の岩じゃない……?」
それから、顔を上げる。
目が輝く。
「じゃ、隠し扉!?」
違う気がする!
「つまりこれ、歓迎ルートの先にある正式入口だったりする!?」
崩れた壁と俺を見比べて、こよみが真剣に言う。
「やっぱりキューちゃん、ちゃんと通行資格があったんだよ!」
いやいやいや!
資格があるやつの通り方じゃない!
壁を壊してる!
『資格ある人の入場方法ではない』
『正規ルート(物理)』
『隠し扉を暴力で開くな』
『でも開いたぞ』
『進行条件ガバガバで草』
コメント欄が少し元気を取り戻した。
こっちはそんな余裕ないんだけどな!
俺は一歩だけ、崩れた先へ近づく。
そこにも花はあった。
同じ発光花だ。
青白くて、奥へ行くほど黒紫を混ぜている。
ぱっと見は、さっきまでの道と変わらない。
だから、また開くと思った。
でも、開かない。
俺が近づいても。
向こうの花は、光るだけだ。
じっと閉じたまま、何も知らない顔でそこにある。
「……あれ?」
こよみが小さく言う。
さっきまでの勢いが、そこで少しだけ落ちた。
「あ、ここからは一斉開花するタイプかも」
前向きだな!
「ほら、二段階認証みたいなやつ。こっち入った瞬間に、ばーって——」
何も起きない。
風だけが、向こうから静かに吹いてくる。
花びらが一枚、足元を転がって、そこで止まった。
「……開かない」
こよみが、閉じた花を見つめる。
「歓迎、終わってる」
その言い方は、少しだけ怖かった。
さっきまで主の凱旋だの資格だのと言っていたのに、そこだけ急に現実へ戻る。
「ここ、続いてるのに……さっきまでの場所じゃない」
さっきまでの花は、俺が来るのを知っていた。
でも、こっちは違う。
俺は奥を見た。
同じ青い花がある。
同じ黒い岩がある。
なのに、そこだけ明らかに別の場所だった。
こよみが、ゆっくり息を呑む。
「キューちゃん」
俺はそちらを見る。
「ここから先は……入っちゃいけない場所かも」
その声で、ようやくはっきりした。
俺たちは花の道を進んだんじゃない。
花の道の終わりを、壊してしまった。
閉じていた場所の入口を、開けてしまった。




