第6話 朝の部屋と、花のダンジョン
朝、目が覚めて最初に思ったのは、あ、いる、だった。
寝室の真ん中。昨夜こよみが敷いた簡易布団。
そこに本人がちゃんと収まっている。白銀っぽい淡い髪が、カーテンの隙間から入る朝の光を受けて、ふわっとやわらかく光っていた。
……いるなー。
いや、昨夜からいる。わかっている。寝る前にも見た。
見た上で、寝る場所もちゃんと別だった。
こよみは布団。俺はベッドでもふっと丸くなる。
同じ部屋に女の子がいる、という事実だけで妙に落ち着かなかったのも本当だ。
そのわりに、朝の体調は思ったよりずっと良かった。
「キュー」
寝ると妙に回復する。これ、たぶんキグルミの仕様だ。
昨日の押し入れ野良の配信と、その前のごたごたを思えば、もっとへろへろでもおかしくないのに、頭はすっきりしている。
体の汚れたような感じもない。
風呂に入らなくても平気そうだし、腹も減っていない。
ただ、減っていないだけで、食べられないわけじゃないのがまたややこしい。
「……ん……」
布団の方でもぞっと動きがあった。こよみが目を開ける。
数秒ぼんやりして、それからすぐにぱっと顔を明るくした。
「おはよう、キューちゃん!」
朝から元気だな、本当に。
「キュー」
短く返すと、こよみは上半身を起こして、寝癖を手で直した。
「ちゃんと寝られた?」
寝つきは微妙だった。落ち着かなかったし、何度か耳が気になって変な向きになった。
でも寝たあとの回復はかなりいい。
俺が少し首を傾げると、こよみはうんうんと勝手に納得した。
「そっか。二度寝だけじゃ足りないよねー」
わかる! わかるけど!
「わたしもこんなにしっかり寝たの久しぶりだよー。ずっとダンジョンにいたからね」
すごいな!? 確かに住所不定な感じはあるけど。
こよみはすぐに立ち上がって、買ってきたらしい食パンと紙パックのスープ、それからジャムを並べた。
「朝ごはん、これでいい?」
いいもなにも、用意してくれるだけでだいぶ助かる。
俺はうなずいて、差し出されたトーストを受け取る。
「あ、食べるんだ!」
こよみがちょっと驚いた顔をする。
「キュー」
「よかった……全然食べない仕様だったら、ちょっとどうしようかと思った」
仕様って言われると、なんか道具扱いっぽいなと思う。いや、だいぶ道具寄りの体ではあるんだが。
俺はトーストを一口かじった。ちゃんとジャムの甘さがわかる。
食べる必要はない。
でも、食べればちゃんとおいしい。
その感覚がまだ少し不思議だ。
「でも、お腹すいてるって感じではないよね?」
するどい。
「キュ」
「うーん……なるほど。食べられるけど、食べないと困るわけでもないのかも」
そう。
そうなんだが、それ以上は俺にもわからない。説明できないのがいちばん面倒だ。
朝食を終えたところで、支度。
フライが静かに羽ばたき、ホログラムが開かれる。
「見て見て!」
こよみがすぐに身を乗り出した。
「また増えてる!」
登録者数。待機人数。切り抜き一覧。数字が朝から妙に元気だ。
昨日より、確実に上がっている。たった一晩でここまで伸びるものなのか、と少し引く。
「やる気出たー! よーしじゃ、配信開始!」
『おはよう』
『キューちゃん待機』
『今日はどんな場所だろ』
『押し入れ野良ガチャ楽しみ』
こよみが腰に手をあてた。
「今日も押し入れの中の野良ダンジョンです! 深追いはしません!」
本当かなー?
なんかうちの野良ダンジョンは信用できない。
当たり前だが、どう考えても初心者向けじゃない気がする。
スライムとかゴブリンとかバットとかいないし。
『深追いはしない』
『とかいってね』
『キューちゃんちょっと寝起き顔では?』
寝起き顔ってなんだ。
俺の顔はだいたい同じじゃないのか。
こよみがこっちを見る。
「キューちゃん、まだちょっと朝っぽいね」
「キュー?」
「うんうん。でも、やる気まんまんなんだね!」
顔色がわかるのか、聞きたかったのだが、まあいいか!
俺たちは押し入れの前に立った。
いつもの紫と黒のぐるぐる。
見慣れたような、まったく慣れないような、不思議な入口だ。
ダンジョンはまた……見たことのない風景すぎた。
「わあ……」
こよみが思わず声を漏らす。
そこは花の洞窟、といえる場所だった。
黒い岩壁。天井から垂れる細いツル。
そこに咲く、青白く発光する花。
花びらの縁が淡く光って、洞窟の中をやわらかく照らしている。
「花だ……!」
こよみの声が高くなる。
「自然発光? してる! すご!」
たしかに、綺麗だ。
綺麗なんだが、なんか落ち着かない。
『綺麗』
『また別ゲーじゃん』
『花ダンジョンすご』
『映えるけど異質だな』
「でしょ!」
こよみがコメントに返す。
「こんなとこ他の配信でも見たことないよね!」
そうなんだよなー!
視聴者も、たぶん同じことを思っているんだろう。
なぜこんなことに……。
よくある野良でもない。公式ダンジョンでも見たことがない。
こよみは一歩先へ出て、壁際の花を見ようとした。俺は反射でその袖をもふっと掴む。
「わっ」
こよみが振り返る。
綺麗だが、あまり気軽に近づきたくない。
こよみは少しだけ目を丸くして、それから素直に頷いた。
「うん、そうだよね。綺麗でも、やっぱり食べちゃダメだよね」
食べる気だったのか!?
花を見て最初に「食べていいかな」が出るの、だいぶサバイバルスキル高い。
少し進むと、床にも青白い花びらが散っていた。
俺は自然と壁際と床の境目ばかり見る。
配信機材を抱えて危ない場所を歩いていた癖なのか、こういう時は明るいところより『変な影』の方が先に気になる。
「なんか」
こよみが声をひそめる。
「綺麗なんだけど、閉じてる感じするね。なんていえばいいんだろう」
その言い方は正しかった。
俺たちは、入口から少しだけ離れたところで足を止めた。
今日はこのくらいにしておく。その判断自体は、たぶん正しい。
『今日は平和回だな』
『こういうのも好き』
『花ダンジョンきれいだった』
コメントの空気も和やかになっていた。
こよみも、ほっとしたように笑う。
「うん、今日はこのくらいで——」
そこで、俺は何気なく一歩だけ前に出た。
ふわり、と。
すぐ近くの発光花が、一輪だけ開いた。
「……え?」
こよみが止まる。俺も止まる。
すると、その先の花がひとつ、またその先がひとつ、順番にふわり、ふわりと開いていった。
一直線に。まるで、奥へ続く道を示すみたいに。
俺がもう一歩踏み出す。
また少し先の花が開く。
止まる。
花も、それ以上は開かない。
『偶然?』
『いやそろいすぎでは』
『道になってる』
『綺麗なのにちょっと怖い』
こよみの青い瞳には、わくわくと、少しだけぞわっとした感じが混ざっていた。
「これ……」
小さく言う。
「歓迎っていうより……呼ばれてる、の方かも」
俺は花の開いた先を見た。
洞窟のもっと暗い奥。
花の開いた先だけ、光っているのに黒かった。
ここ、浅い場所じゃない……。
この野良ダンジョンは……やっぱり普通じゃない。




