第5話 キューちゃん、切り抜きになる
朝から、俺の部屋は少しだけ騒がしかった。
「見て見て、キューちゃん! また増えてる!」
ジャパニーズラウンドローテーブル・ちゃぶ台の向こうで、こよみがホログラムを指さしている。
フライが天井近くで静かに羽ばたき、その横に切り抜き一覧がずらっと並んでいた。
『キューちゃん、アースドラゴンを一撃』
『無言で少女を守るぬいぐるみ』
『押し入れのキューちゃん、何かがおかしい』
『謎の生き物、くしゃみでキノコックス撃破』
……増えすぎじゃないか。
ふわふわの手で額に手を当てる。
額がどこかわからないけど。
昨日までは「白いやつ」「着ぐるみ」「押し入れマスコット」みたいな呼び方が大半だったのに、今はもう、タイトルの半分以上がキューちゃんだ。
「すごいよね。ほら、もういっぱい出てる!」
こよみは本当にうれしそうだった。
俺としては、たった一晩で呼び名がそんな勢いで固まるものなのか、という戸惑いの方が大きい。
アーカイブのコメント欄も、朝から妙に元気だ。
『今日も配信ある?』
『キューちゃん見たい』
『昨日の切り抜き全部見た』
『まだちょっと信じられんけど、キューちゃん呼びはしっくりくる』
信じられないのはわかる。
「よし!」
こよみが楽しそうに手を合わせる。
「今日は潜らない! 相談配信と、切り抜き同時視聴にしよう!」
テンポが。
いや、早い。
でも、そのくらいの速さで引っ張ってくれるのは助かるのかもしれない。
いまの俺が一人で配信を回せと言われても、たぶん三秒で詰む。
「情報募集もするし、質問も拾うし、それから——」
こよみが、にやっと笑った。
「キューちゃんを、ちゃんと定着させる!」
そこ、目標!?
「キュー!?」
「うんうん、わかる。照れるよね」
違う。
いや、違うと言い切るのも変か。少しはある。少しだけ。ほんの少しだけだ。
そのまま一時間後。
俺たちはいつものちゃぶ台に並んで座っていた。
配信開始。
フライのホログラムが部屋の少し右側へ展開し、コメント欄と切り抜き一覧が並んで浮かぶ。
「こんにちはー! 鬼無里こよみです!」
こよみが明るく手を振った。
「今日はダンジョン行きません! その代わり、昨日の切り抜きを一緒に見ながら、キューちゃんのことをもう少し知ってもらう回です!」
コメントが流れる。
『きた』
『今日は部屋配信か』
『キューちゃんおる』
『女の子の方、元気だな』
こよみはその一つ一つに、いちいち反応がいい。
「います! 元気です! あと、キューちゃんもいます!」
俺はこくんと頭を下げた。
するとすぐに、
『礼儀正しい』
『かわいい』
『ちゃんと挨拶した』
……そこまで拾うのか。
こよみはペットボトルのお茶を一本、俺の前へ置いた。
「じゃあまず、キューちゃん水分補給しようね」
言い方が完全に保護者だ。
とはいえ、喉は渇いていた。俺は手でペットボトルを掴む。
キャップが絶妙に回しにくい。
俺が無言でもたもたしていると、こよみの目がきらっと光った。
「なるほど……!」
何がなるほどなんだ……!
「キューちゃんは『我が手は星を砕くためのものであり、水差しを扱うためのものではない』って言ってるんだ!」
『そうなのか?』
『ただ不器用なだけでは?』
『ありえる』
何がありえるんだよ!
俺が困って顔を覆うと、こよみはさらに勢いづいた。
「出た! いまのは『神秘は軽々しく解かれるべきではない』ってこと!」
『急に深い』
『絶対そこまで言ってない』
『でもこよみちゃんの翻訳ちょっと好き』
好きなんだ。
そういうの、好きなんだな……。
結局、キャップはこよみが開けた。
『日常生活よわよわで草』
『昨日のアースドラゴンの時と同一個体とは思えん』
『このギャップがもうキューちゃんって感じ』
その最後の一文で、こよみがうれしそうにうなずいた。
「ほら! やっぱりキューちゃんなんだよ!」
配信はそのまま質問コーナーへ入った。
『中身って男?』
『年齢は?』
『喋れないのって呪い?』
『昨日の竜、本当にアースドラゴン?』
こよみが読み上げ、俺が「キュ」「キュー」と返し、こよみが勝手に翻訳する。
その流れが、妙にうまく回っていた。
「いまのは、『人の尺度で我を測るな』って意味だね」
『そうなのか?』
『すごい規模で来た』
『こよみちゃんの翻訳、スケールがでかい』
「うん! キューちゃん、たぶんそんな感じだから!」
どんな感じだ。
でも、コメント欄ももう半分くらいはそのズレを楽しんでいる空気になっていた。
そこで、少しだけ違う空気のコメントが混じる。
『女の子の方が勝手に盛ってるだけでは?』
『着ぐるみ使ってバズりたいんでしょ』
『キューちゃん呼び寒い』
部屋の空気が、ほんの少しだけ止まった。
俺はホログラムを見る。
こよみを見る。
先に何かしようと思ったが、その前にこよみが口を開いた。
「うーん、そう見える人がいるのは仕方ないと思う」
明るい声のままだった。
でも、芯ははっきりしている。
「でも、わたしは助けられてるから。昨日のことも、今ここにキューちゃんがいることも、本当なので」
コメント欄がすこし遅れて流れる。
『それはそう』
『少なくともこの子は本気だろ』
『見てから言えばいいのに』
『空気悪くするだけなら帰ってどうぞ』
変わった。
はっきり、そう思った。
さっきまで『見る側』だったコメントの中に、今は『この場を守る側』が混ざっている。
こよみが言い返したからだ。
誰かが殴り返したんじゃない。
ちゃんと線を引いた。そのおかげで、視聴者の中にも立つ人が出た。
こよみはそこで、わざとらしく空気を重くしなかった。
「はい、じゃあ気を取り直して! 昨日の切り抜き見よう!」
切り替えがうまい。
本当にうまい。
ホログラムに、昨日の映像が映る。
暗いダンジョン。発光するキノコの群生。胞子を撒き散らすキノコ魔物——キノコックス。
そして、くしゃみを我慢している白い何か。俺だ。
「ここ!」
こよみが映像を指さす。
「ここ見て! わたし、完全に胞子の範囲に入ってるの!」
『ほんとだ』
『普通に危ない』
『距離近いな』
「で、キューちゃん、ちょっと前に出てるでしょ?」
映像の中で、俺がほんの少しだけ位置をずらしているのが見える。
正直、まーったくそんなつもりはなかったのだが。でも、結果としてそう見える。
「それで、このあと——」
こよみが身を乗り出す。
「くしゃみ!」
映像の中で、俺が盛大に「キュァッくしゅんッ!!」とやり、キノコックスが胞子ごと吹き飛ぶ。
コメント欄が一気に跳ねる。
『さすがキューちゃん』
『くしゃみでキノコックス撃破は意味わからん』
『でも守ってる』
『やっぱキューちゃんだわ』
——さすがキューちゃん。
その一文が起点になったみたいに、呼び方が一気にそろい始める。
『キューちゃん強い』
『キューちゃんかわいい』
『キューちゃんやさしい』
『さすがキューちゃん』
こよみが、ぱあっと顔を明るくした。
「やったー!」
その顔は完全に勝った人の顔だった。
「見て、キューちゃん! もうほとんどキューちゃんだよ!」
俺は「えーと?」の意味で額に手を置いた。
するとこよみが、またきらっとした目で言う。
「出た……! いまのは『その名、もはや我のものと定まったか』って感じだね!」
『そうなのか?』
『都合のいい翻訳すぎる』
『でももうキューちゃんだしな』
視聴者まで納得しはじめちゃったよ!
しかしそこで、もう一度だけ荒れたコメントが混じる。
『こよみ、前に出すぎじゃない?』
でも、こよみは引かなかった。
「出るよ」
短く、でもはっきり言う。
「だって、キューちゃん喋れないもん。だったら、わたしが代わりにしゃべるのは普通でしょ」
コメント欄が、また一段やわらかくなる。
『それな』
『こよみちゃん必要だろ』
『この二人で成立してる配信だわ』
『コンビ感出てきた』
そこまで流れて、こよみはちょっとだけ照れたみたいに笑った。
「えへへ……そう言ってもらえるとうれしいかも」
その空気を見て、俺は少しだけ息を吐いた。
荒れないわけじゃない。疑われないわけでもない。でも、もう昨日とは違う。ちゃんと見て、ちゃんと残ろうとする人たちがいる。
配信の終わり際、こよみがホログラムをもう一度切り抜き一覧へ戻した。
『キューちゃん、くしゃみでキノコックス撃破』
『さすがキューちゃん』
『キューちゃん、無言で守る』
『キューちゃんが今日もよくわからない』
「見て!」
こよみがうれしそうに俺を見る。
「もう切り抜きのタイトル、ほとんどキューちゃんで固定された!」
たしかにそうだった。
昨日は『白いやつ』だの『押し入れモン』だの、好き勝手だったのに、今はもう違う。切り抜きタイトルが一斉に同じ名を使っている。
それはたぶん、名前がそれだけ浸透したってことなんだろう。
コメント欄も、最後には……。
『キューちゃん待機』
『また明日も見る』
『キューちゃんおつ』
『こよみちゃんもおつ』
こよみは満面の笑みで手を振った。
「それじゃあ今日はここまで! またね、キューちゃん!」
最後のそれは、視聴者に向けたものでもあり、俺に向けたものでもあった。
配信が切れる。
部屋が少し静かになる。
「よーし、じゃ、今日はもうお風呂入って寝よっか! キューちゃん」
は?
こよみから衝撃の言葉が聞こえた気がした。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第5話で、ようやく「キューちゃん」として少しずつ見つかり始めました。
この先は、押し入れの先に広がる野良ダンジョンと、キグルミの異常性がさらに深まっていきます。
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