第9話 (´・ω・`)
ギィィ……、と。
石を引っかくような音が、青い花の光の届かない奥から、長く響いてきた。
こよみがぴたりと止まる。
フライの羽音まで、急に小さくなった気がした。
投影されるコメント欄が、一瞬だけ止まる。
その、次の瞬間。
『今の何』
『聞こえたよな?』
『いや怖い怖い怖い』
『撤退では?』
『でも見たい』
『見たいけどやばいよな?』
わかる。
その気持ちはわかる。
見たいけどやばいよな?
ほんとにそうだよ!
俺も今、まさにそれだよ!
「キューちゃん……」
こよみが、小さく俺の名前を呼ぶ。
でも、完全に怯えているわけじゃない。そこがこの子のすごいところで、同時に困るところでもある。
「今の、聞こえたよね」
「キュー」
聞こえた。
ものすごく聞こえた。
俺は巨大な手の跡と、壁のひっかき傷と、その先の暗がりを見比べる。
帰りたい。
でも、こよみを置いて先に引くのは論外だ。
なら、今ここで止めたい。
「キュ、キュ!」
俺はこよみの袖を引いて、来た方を指さす。
「ん? あっ、わかった!」
こよみがうなずく。
「『あっちに行こうぜい!』ってことだよね!」
『絶対違う』
『やばいだろ草』
『あっちに行くなぜい!?』
『こよみちゃんそこは空気読んであげて』
違いまーす!!
こよみは真面目な顔でうなずいたまま、でもまだ足跡の先を見ている。
「うん。うん、わかる。でも、やっぱりいきなり奥まで行くのは、ちょっと違うよね」
違うよね、じゃない。
だいぶ違う!
できればもう今すぐ戻りたいほう!
こよみは巨大な爪アトのすぐ手前でしゃがみこんだ。
「これ、ほんとに大きい……。ほら、わたしの手より全然大きい」
比べなくても大きい。
でも比べるともっと怖いな!
『比較やめて余計怖い』
『これもう犬猫サイズじゃない』
『当たり前だろ』
「あと、この傷。表面だけじゃないね」
こよみが壁のひっかき傷を指さす。
長く、太く、石を白くえぐりとったアト。
「キューちゃん、これ、爪……かな」
「キュ、キュ」
たぶんそうだ。
しかも、ひとつひとつが太い。
こよみが立ち上がった。
「これ、キューちゃんが壁を壊したから、奥で眠ってた神域の番人が『誰だ』って起きたんだ!」
『番人!?』
『急に神域になるな』
『いや普通に危険生物では』
『でもこよみ語だとそうなる』
番人なのかなー!?
だとするとまずいよなー!
いても困るし、起こしてたらもっと困る!
俺が顔を覆うと、こよみがさらに目を輝かせた。
「出た……! いまのは『軽率に神域を暴いたことは認めよう』って顔!」
『都合がいい』
『でも好き』
『今日のこよみちゃんだいぶ飛ばしてるな』
飛ばしすぎなんだよなあ!
危険の思いを最大限伝えるために声を大きくしてみた。
「キュ!!!」
「うん。うん、わかる。えーと」
さらに俺はこよみの前に回りこんで、両手を広げた。
「キュ!」
進むな、のつもりだ。
「わっ」
こよみが足を止める。
よし。
今度こそ伝われ。
「……キューちゃん」
こよみが俺の顔をじっと見る。
その視線が妙にまっすぐで、俺は少しだけ身構えた。
その時だ。
『レベルが一定に達しました』
内側。
頭の芯。
キグルミの内側そのものから、硬質な、でも妙に静かな声が流れ込んでくる。
俺は固まる。
こよみが首をかしげた。
「どうしたの?」
聞こえてない。
今の、聞こえてるのは俺だけだ。
頭の奥の声は、そのまま続いた。
『この搭乗者の——意志伝達要求を確認』
何だ。
何なんだ!?
心臓がどく、とはねる。
『意思表示機能を拡張します』
次の瞬間、身体の奥が熱くなった。
「——!!」
声じゃない。
でも何かがせり上がる。
俺は自分の顔の横を見る。
そこに、青白い光が集まっていた。
そして、形になる。
「(´・ω・`)」
出た。
なんか出た。
今の俺の気持ちを、そのまま写したみたいな顔だった。
こよみが、ぽかんと口を開ける。
コメント欄が、完全に止まった。
一秒。
それから。
『え??????』
『は??????』
『顔文字!?!?!?』
『ちょっと待って今の何!!』
『キューちゃんの横にしょんぼり出た!?』
『何だよこれ』
『意思表示!?』
『キューちゃん今ずっとこれだったの!?』
『『やめよう』が可視化された!?』
流れが爆発する。
俺は顔を上げて、その光を見る。
……なんで?
いや、ほんとになんで?
俺の気持ちが、そのまま出た、みたいにしか見えない。
しかも、よりにもよって(´・ω・`)!
「キューちゃん……!」
こよみが、ぱあっと顔を明るくした。
「すごい! いま、『ノー! の気持ち』が出た!」
『正解』
『そのまんま』
『こよみちゃんついに正解』
『初めて完全に通じた』
そう!
そうなんだよ!
俺は勢いよくうなずく。
「キュ! キュ!(´・ω・`)」
「やっぱり! やっぱりそうだよね!」
こよみは顔文字と俺を見比べて、今度は嬉しそうというより、ちょっと感動したみたいな顔になった。
「今、ちゃんと伝わった」
その言い方が妙にまっすぐで、俺は少したじろぐ。
いや、そんなに真正面から言われると普通に照れるんだけど!
『『ちゃんと伝わった』はでかい』
『ここ切り抜き確定』
『神回ポイントw』
『しょんぼり顔なのにめっちゃ大事な瞬間』
こよみが俺の袖を軽く引いた。
「戻ろっか」
短く、それだけ言う。
俺は一瞬、目を丸くする。
いや、着ぐるみの顔はそんなに動かないけど、中身としては全力で目を丸くした。
こよみは少しだけ笑った。
『えらい』
『成長した』
『キューちゃん報われたな』
『でもしょんぼり可愛い』
俺がこくこくとうなずいた、その時だった。
奥の暗がりで、何かが動いた。
さっきまで止まっていた気配が、今度ははっきり反応したみたいに、低く、重く、空気を震わせる。
ギャリリ……。
こよみが息を止める。
俺の顔の横では、まだ
「(´・ω・`)」
が、浮かんでいた。
ちゃんと伝わった。
やっと伝わった。
なのに。
遅いんだよ、ほんとに!
光の届かない奥で、黒いものがゆっくり身じろぎした。
ここまで読んでいただきありがとうございます!!!
キューの気持ちが、少しだけ見えるようになりました。
喋れないままですが、ここから少しずつ「キュー」以外の伝え方も増えていきます。
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