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第2話 キューちゃん、くしゃみで壁を吹き飛ばす


 戻れない。脱げない。しゃべれない。


 改めて並べると、かなりひどい。


 ひどいのに、いちばん腹が立つのはしゃべれないところだった。

 

 普通に歩ける。見える。考えられる。


 なのに、口を開くと「キュー」しか出ない。


 何故だ……。


 俺はもふもふの手で顔を覆った。


 もふっ。


 うん、知ってる!


 もう何度触ってもふわふわしている。現実逃避にもならない。


 顔の横で、フライが青いランプを灯していた。


 透ける羽を小さく羽ばたかせながら、いつも通り静かに浮いている。


 超静音仕様。頼りになる。


 なるが、いまはそれ以上に、俺の情けない姿を真正面から記録している無慈悲な証人でもあった。


 そのフライが半透明のホログラム……ライブチャットを映す。


『かわいい〜』

『大福みたいで美味しそう』


 …………。


 美味しそうってなんだよ!


 切るか?

 

 いま切ったらまた何かあった時に困る。結局そのままにするしかなかった。


『中身ある?』

『着ぐるみ型モンスター?』

『キューって言ったよな今』


 違う。


 違うんだが、説明できない。


「キュー!」


 だからそうじゃない!


 抗議のつもりが、ただのかわいい声になる。自分で自分に腹が立つ。


 とはいえ、止まっていても何も始まらない。


 俺は散らばった荷物を拾い集めた。半壊した機材ケースから使えるものだけ抜く。予備ライト、簡易工具、非常食、水、タグ付き回収袋、予備バッテリー一つ。


 視界は妙に良い。


 肉眼よりくっきりした気がする。


 空気の流れも、感覚でなんとなくわかる。


 便利だ。便利だが、それはそれとして歩きにくい。


 丸いからだ。


 身体の感覚が、まだぜんぶずれている。


 足音もぴょこぴょこ言ってる気がする。


 横幅の感覚が曖昧で、狭い場所を通るたびに耳か肩をぶつけそうになる。


 見た目が丸いだけでなく、実際に当たり判定まで丸いのが腹立たしい。


『ちょこちょこ歩いてるw』

『かわいい』

『でもさっき床吹っ飛ばしてたよな』

『かわいいのに物騒すぎる』


 うるさい。コメントは無音なのに、すごくうるさい。


 奥へ進む。


 壁は黒ずんだ石、床はぬかるんでいる。


 ろくでもない気配がある。


 案の定、少し進んだところで空気が変わった。


 湿っている。


 うわ。


 壁一面に、黒っぽい大きなキノコみたいなモンスターが群生していた。


 うわあ!


 キノコックスだー!


 傘はいびつに広がり、縁だけがぼんやり青白く発光している。


 根元には薄マクみたいなものが張りつき、その内側で粉が脈打っているのが見えた。


 胞子系。


 どう見ても胞子系。


 しかも、すごく面倒そうなやつ。


『キノコックス!』

『絶対いやなやつ』

『胞子くる?』

『このゆるキャラ、毒食らったらどうなんの』


 それは俺も知りたいような、知りたくないようなところだ。


 キノコックスか……。


 戦いたくない。


 切実に戦いたくない。


 なら、やることは一つだ。


 やり過ごす。


 戦わずに通れるならその方がいい。


 派手に勝つより、無事に通る方が百倍いい。


 配信事務所(クラン)で働いていた頃から、そこだけは一貫している。


 そう、思っていたのに。


 ふわっ、と。


 目の前のキノコックスが脈打った。


 次の瞬間、白い胞子が薄く広がる。


『あ』

『あーw』

『胞子でた』


 しまった。近い。


 俺はとっさに身を引いたが……遅い。


 甘ったるい匂いが鼻へ入り、喉の奥に張りつく。


 むず、とした不快感。


 やばい。


 鼻がむずむずする。


「キュ……」


 その間にも、壁のキノコ群が連鎖するようにじわっと明滅した。


 やめてくれ。頼む。


 いまそれは困る。


 俺は慌てて口元を押さえた。


 白い手のひらはもふもふしていて、密閉できているのかいないのかよくわからない。


 たぶんできていない。むしろ毛が邪魔だ。


 むず。


 むずむず。


 むずむずむず。


 ……無理だ。


 くる。


 わかる。これは絶対くる。


 俺は変な前傾姿勢で必死に耐えた。


 たぶんいま、ものすごく間抜けな見た目をしている。


『がんばれ』

『耐えてるw』

『かわいい』

『いやでもこれさっきの……』


 身体が勝手に震える。


 あ、ダメだ。


 もうダメだ。


「……キュ——」


 次の瞬間、盛大なくしゃみが出た。


「キュァッくしゅんッ!!」


 情けない。


 声も。


 なのに威力だけはまったく情けなくなかった。


 どんっ、と空気が鳴る。


 衝撃。


 体の奥が一瞬で熱を持ち、前方へ何かが噴き出す。


 くしゃみと同時に、それが一気に前へ弾けた。


 目の前のキノコックスが根元から千切れ、壁の発光群ごとごっそりえぐれる。


 奥の岩肌にまで衝撃が走り、ぱらぱらと破片が降る。


 ……は?


 俺はその場で固まった。


 いやいやいや、待て。


 今の、くしゃみだぞ?


 くしゃみで、壁ごとキノコ魔物が消し飛んだんだが?


『つよwww』

『くしゃみで!?』

『何このマスコット』

『かわいい顔して火力おかしい』


「……キュ」


 信じられない、の意味を込めたつもりだったが、当然伝わらない。


 自分にすら伝わりきらない。


 吹き飛んだ先では、青白い胞子の残りがまだきらきら落ちていた。そこだけ見れば綺麗だ。


 綺麗だが、その下で壁面がべりっと削れている。


 笑えない。笑えないのに、規模がおかしすぎて逆に変な笑いが出そうになる。


 なんだこれ。


 俺はおそるおそる自分の白い手を見た。


 丸い。短い。ふわふわ。見た目だけなら、ちょっと間の抜けたマスコットでしかない。


 その中身だけが真顔だ。


 その時だった。


 少し離れた岩陰で、小さく息を呑む音がした。


 俺はびくっと顔を上げた。


 そこに、少女がいた。


 白銀めいた淡い髪が、暗い遺跡の中でやけに明るく見える。


 髪は両側でゆるく結ばれていて、肩のあたりでふわりと揺れていた。


 大きな青い瞳は驚きで見開かれているのに、どこか怖がるより先に見入っているようでもある。


 小柄で、やわらかい印象の娘だった。

 

 危険地帯にいるはずなのに、その娘だけ少し、地上の光を持ち込んだみたいに見えた。


 いや、そんなことをのんびり考えている場合じゃないんだよ!


 見られた。


 よりによって、くしゃみで壁を削った直後を。


 俺は反射で半歩下がった。逃げたい。ものすごく逃げたい。


 探索者姿の少女。大きなリュックと白いローブ。


「……えっと」


 声は思ったより明るかった。怯えた色が薄い。


 なんでだ。普通もっと警戒するだろ。


 少女はキノコックスの残骸と俺を見比べ、それからもう一度、俺の方を見る。


「いまの、きみが……やったの?」


 全力で否定したい。


 いや、否定はできない。やったのはやった。だが、かっこよく狙ってやったみたいに思われるのは違う。


 俺は慌てて口を開いた。


「キュッ!」


 違う。


 違うが、それしか出ない。


 少女が目をぱちぱちさせる。


「……キューって、言った?」


 言った。


 言ったけど、そういう意味じゃない。


 俺は必死でもう一度、今度はゆっくりと手を振ってみた。


 違う、の意味を込めて。たぶんぜんぜん伝わっていない。

 

 むしろ愛想を振りまいているようにしか見えない気がする。


『女の子だ』

『バレたw』

『でもこれ絶対勘違いされるやつ』

 

 その予想はかなり当たっていそうだからやめてほしい。


 少女は少しだけ首を傾け、のぞきこむようにした。


 そして、こっちが後ずさったぶんだけ、そろそろと前へ出る。


「魔物……じゃ、ないよね?」


 ぎくっとする。


 そうだ。


 そうなんだけど。


 説明できない!


「キュ、キューッ」


 言えば言うほど怪しい。


 少女の青い瞳が、ますます丸くなる。


 でも、その顔には怯えよりも別のものが強かった。心配と、興味と、あとほんの少しの期待。


 どうしてその配分になるんだ。


「もしかして」と、少女が小さく息を呑む。


「助けてくれたの……?」


 違う。


 いや、結果だけ見れば助けた形か?


 その娘の目は、さらにきらきらし始めていた。


 嫌な予感しかしない。


 俺の尻尾が、緊張でぴくっと跳ねた。


 その瞬間、少女の表情がぱっと明るくなる。


「えっ」


 まずい。


 すごくまずい。


 あの顔はたぶん、何かを都合よく解釈した顔だ。


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