第4話「リカちゃん電話」
その日は蒸し蒸しとした、空気が、じ……っと耳の膜に貼りついて離れないような日だった。
私たちのごっこの探検は時折、危険な場所にも足を踏み入れる。今では他人の土地で遊ぶことは許されないが、当時は、空き地や駐車場は子供たちの遊び場だった。
そして、子供たちは本当の意味を理解していない。ある日、山の子たちを見に行こうと言われた。蛍もいるというからつかまえよう、と言われたが、山の子?とは?と思いながらも、国道に近い山の方へ行った。
「あそこの道から入ったら、学校があんねん」
「え?でも、うちらの学校もあるのに?」
「山の子が、通う学校やねん」
「ふ~ん」
「もうちょっと前やったら蛍もいたかも。でも、山の子らが、石を投げてきたら逃げるで」
私は、自分の住む近くに自分たちと住む世界が違う人間がいるという事が怖かった。
今思えば、校区が違うだけの山間の分校なのだが、当時の私は、人間を監視する宇宙からの侵略者のような危険な人たちのように思っていた。
山の中腹には、用途が分からない四角の板が二枚。私の家からも見えていた。あの板から、見えない電波を出して、私たちの頭に何か語り掛けている、だから、絶対に山には近づいてはいけない。見てはいけない。そう思っていた。
それでも、飛行機雲を見上げていると、自然と目線が、あの深緑と白の板へと吸、い寄せられた。
山の子たちは、彼女が言った通り、好戦的で石を遠くから投げてきた。必死に逃げて、途中で気持ちを逸らすように虫かごいっぱいに虫を取って帰ってきた。
彼女が使っていない水槽があるというので、彼女の家の玄関先で虫を入れて、草を入れて飼うことにした。コオロギの澄んだ声を聴いても山の子たちのことが頭から離れなかった。私は怖くて、なぜだか悲しくて、しばらく気が沈んだままだった。
そういえば、山から逃げて帰る途中、山の手前にぽつんとある小さな商店の前に座っていた老人、くすんでよく見えないカーブミラーのT字路で止まっていた軽トラの運転手、カブに乗った眼鏡の男性……すれ違いざまに私の姿をじっと無表情に見つめていた。
瞬きもせず、ただ首だけをぎぎぎぎとこちらに回して、遠ざかるまでずっと見られていた。あの人たちも山の人だったのだろうか。
「お母さん、山の子ってしってる?」
私は、朝から晩までずっと家のことに追われ、あまり相手にしてくれない母の背中に、時々話しかけた。
「あんなとこまで行ったん!もう危ないから絶対行ったらあかんよ!また、あの子かな。あの子の家も、入ったらあかんよ。怖いお兄ちゃんおるからな」
私は、怒られて悲しくなった。
それにしても、お母さんは買い物とおばあちゃん家にご飯や野菜を持っていく以外、人付き合いはないのに、人の家のことをなぜかよく知っていた。
「あそこの家、お父さんとお兄ちゃんがなぁ……ちょっと。あの子がうちの家に遊びに来たいって言っても勝手にあげんといてな」
排他的で閉塞的な田舎では、噂話の針には気を付けなければならない。ちょっと道から外れると、そこでは見せしめにされ、そして、初めからいなかったかのように扱われる。
後のことだが、私が高校生になった時、小学校ずっと一緒だった同級生が交際相手と蒸発した。
その子のお姉ちゃんとお母さんに会ったが、六年間同じクラスという奇跡的な繋がりにもかかわらず、その同級生の話題が一度も出ることなく不自然に私と話をして終わった。
ある日は、いつもの五人ではなく、新しくできた友達とリカちゃん人形で着せ替えごっこをさせてもらうために、その友達の家にお邪魔していた。
立派な日本家屋の家に住むその子の家は土間もあり、薄暗い畳の部屋がいくつも続いていた。
歴史を重ねた重苦しい空気をまとった家屋だったが、不思議と秋の風を思い起こさせる、ひんやりとした空気をまとった不思議な部屋があった。その部屋から漂うもぞもぞとした気配。
無表情のご先祖様たちの白黒写真の視線を避けるように、通された部屋に向かった。
庭に面した、引き戸を全て開けた廊下を渡る。その柱の木目に同化するように、大人の手のひらほどもある大きな蛾が、びたぁと張り付いていた。
まるで梟が闇の中でカッと目を見開いたような、虹彩まで描き込まれた巨大な目の模様が家の中を見据え、薄黄色い葉脈のようなもふもふとした触角が、僅かに震えていた。
ご先祖様の遺影も、その蛾の歪な目玉も、全てが私をじっとりと監視しているようで息が詰まりそうで、足早に通り過ぎた。
「こないだ、リカちゃんと電話でお話ししてん」
「え!リカちゃんってしゃべれるん?」
「電話かけたら、おしゃべりしてくれんねん。一番上のお姉ちゃんがかけてくれてんで。リカちゃんの声、めっちゃかわいかったわ」
金持ちのその子は、立派なピアノもあり、色んなおもちゃや人形を持っていて羨ましかった。
暗い部屋に置かれていた生成りの布がかけられた黒い電話で、友達がお姉ちゃんたちとリカちゃんと会話しているのが羨ましく思えた。私だけが、あの蛾の目をまだ背中で感じていた。
その話を五人と遊んだ時にふと漏らした。
彼女が、虫の入った水槽にきゅうりとなすを入れながら、自然に語り始めた。
「昼間はリカちゃん電話は、楽しい話をして終わんねんけどな、夜中にリカちゃん電話かけたらな、『私リカちゃん、いま、そっちに向かってるの』って言うんよ」
キヨちゃんが「学校でもその話聞いたわ。学校で結構話題になってんで」と笑った。
「ほんで、だんだん声が近くなるんよ。『私リカちゃん、今家の前にいるの』、それでも、電話を聞き続けるとな『私リカちゃん、階段の一段目にいるの』」
友達と遊んだあの愛らしい人形の顔が、段々と恐ろしくなった。
関節の隙間がなくなり、きぬ、きぬ、と音もなく滑らかに首が回る……。無機質な人形に急に命が宿り、耳元でささやかれているような気分になった。
「『私リカちゃん、二段目にいるの』最後にな……『私リカちゃん、……赤いの、き……たい?』って聞かれるんよ。だから絶対に、……最後まで聞いたら、あかんよ」
「あれ?最後そんなんやったっけ? 色んなんがあるなぁ。学校で他の子にも聞いてみよ」
キヨちゃんが首を傾げた。
虫たちを入れた水槽の中で、コオロギたちがトノサマバッタの周りに群がっていた。
コロコロコロコロ……
次の日、皆と遊ぼうと彼女の家の前の水槽を覗いた時、見慣れない虫が入っていた。新しい虫を入れたのかな、とガラスに顔を近づけた。
よたよたと首だけの緑色がこちらを見ていた。
「ひっ……」
カン!
二階の縦長の窓にかかる黄ばんだカーテンが揺れた。今まで見たことのない彼女の家の住人らしき人の影が見えた。
『あの子の家も、入ったらあかんよ。怖いお兄ちゃんおるからな』
お母さんの無機質な声がのうrに響いて、急いで家に走って帰った。
【あとがき】
第4話、どうでしたか?私は書いていてめっちゃ楽しかったです。
幼少期の記憶ってなんであんなに誇張されるのでしょうね。言葉では言い表せない不気味さがあります。
私は敏感なのか、耳が色んな音を拾うので、今も冷蔵庫の冷却水の音、ノートパソコンの音、近所の外壁工事の足場に防音シートが風でカツーンカツーンと当たっている音が気になって五月蠅く感じます。
実家は周りが田んぼや畑だったので、二階の窓や天井からも小さな音がしていました。トントントントントントンと高速で叩く音。今思えば、蝙蝠だったのかもしれ ません。当時はお化けか妖怪が迎えに来たと怯えていたものです。今はグレイ的な宇宙人が一番怖いです(笑)
未だに聞こえる音と、もう聞こえなくなった音、書き綴っていたら、当時の記憶と質感を鮮明に思い出してきました。次回の話は絶対これしかないです。
次回は最終話「赤いちゃんちゃんこ」です。明日、この時間に投稿します。




