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最終話 またね

 涼しい日だった。お盆に入ってからというもの、茹だるような暑さは一気に消え去り、熱のこもらない風は爽やかに髪を靡かせる。

 静かだった。風の音、カラスの鳴き声、砂利を踏み締める私の足音。それ以外の音は一切何も無い。

 適度に静かなその場所で、私は微笑みながら『彼女』に話しかける。




「久しぶり、元気にしてた……って、何だか来る度に同じこと言ってる気がする」

 クスッと微笑み、続ける。

「私が何やってたか見てたかな。もしそうだとしたら恥ずかしいなーっ、あんなに死のうって意気込んでおいて結局うだうだ生きて。怒ってるよね? ごめん」

 あなたは優しいから。私が死のうとしたことに凄く怒っているだろう。

 本当、怖いくらいに優しくて。

「もう大丈夫だから、もう平気だから。自分から命を投げ出そうともしないし、死にたくなるくらいの悩みがあったら誰かに相談したりしようと思う。…………仕事の方も今はまだ無理だけど、そのうち、やめようと思ってる。出来るかどうか分からないけどね。勿論皆との縁を切るわけじゃないよ、もしやめるとしてもずっと皆といたいから」

 手でそっと『彼女』に触れる。無機質な冷たさが手の平に伝わった。

「皆大切な人達なんだよ。棺先生はね、ちょっとおかしな所もあるし普段は変態なんだけど、でも本当は私達のことをしっかり見てくれて、先生としても大人としても凄く尊敬出来る人なの。佐々木さんだって、冷たくて無愛想に見えちゃうけど、全部不器用なだけの優しさなんだよ、優しいお兄さんって感じで、海星くん達がなつく理由も分かるんだ。海星くんと海月ちゃんはね、少しおどおどしてたりつっけんどんな所もあるけど、頼もしいし無邪気だし、二人とも凄く可愛い弟と妹みたい。アリスは、ちょっと気が弱くて脅えてるみたいだけど、とても優しくて温かいんだ、私の大事な友達。藍川は…………」

 つ、と一瞬何と言おうか迷ってしまう。

「……………………」

 この場所には今、私以外誰もいない。私の声が聞こえる人はいない。

 だったら、正直な気持ちを打ち明けようか。



「――――……藍川はね、私の大好きな人」

 少し気恥ずかしそうに赤らんだ頬を軽く叩き、続ける。

「優しくてさ。私が酷いことを言ったり怒ったりしても、何も言わないで私の言葉を受け止めてくれる。けど私が自分自身を傷つけようとした時には全力で叱ってくれる、そこがとても優しいんだ。普段はちょっとドジで、すぐ顔を赤くしたり何かに取り組んで失敗しちゃったり。こないだなんて一宮と学校でエロ本読んだりしててさー、全く馬鹿じゃないの? …………ああ、でもね、私が死にかけた時は必死に守ってくれたなぁ。その所為で自分が死ぬ寸前までいっちゃったのに、それでも私を恨んだりもしないで……本当、馬鹿だよねぇ」



 藍川が私に告白してから少し経った後、私は藍川に尋ねた。『どうして私を助けたの?』と。

 その質問に彼は、当たり前でしょう? と言いたげに、いくつかの答えを返して来た。仲間だから、大切な人だから。そして、こうも言っていた。


『僕は好きな人には幸せになって貰いたいんだよ』

 へらりと柔らかい笑みを顔に浮かべ、

『だから、僕がどうなったとしても、凪ちゃんには幸せなままでいて欲しいんだ』


「馬鹿だよねぇ」

 小さく口元を歪め、私は同じ言葉を繰り返す。

 私だって藍川と同じことを考えていた。大切な人には、愛する人には幸せでいて欲しい。その陰で自分がどんなに悲惨な目に遭っても構わない、と。

「その『大切な人』が自分の所為で死んじゃったら、幸せになんてなれないってのに」

 藍川も、君もさ。

 大切な人に守られて私だけが生き残っても意味は無い。私が死んでも大切な人が悲しむのなら意味は無い。だったら皆生きていた方がどんなに幸せだろうか。

 自分がいつ死ぬかなんて知らない。老衰かもしれないし病気かもしれないし事故かもしれないし他殺かもしれない、けれどそんなことはその時になるまで分からない。

 だけど――――――――




「あなたのことは一生忘れないよ」


 大切な人を失って絶望しきっていた私は、あっさりと殺人に手を染めた。

 そしてまた大切な人を失いかけて、そしてようやく気付けた。もう二度と愛する人を失いたくない。

 今の私はたくさんの人に囲まれている。一人一人が大切な人で、愛する人だ。

『彼女』が消えた穴は埋まらない。どんなに幸せになったってその穴が消えるわけでもない。

 だけどだからと言って、その穴の中に隠れて暮らすことはしたくない。

 忘れるわけでも、どうでも良くなるわけでもない。

『彼女』も私も、それぞれが別の道を歩んで幸せに向かうだけなんだ。



「そっちで幸せになって、また次も会おうね、一緒に遊ぼうね、約束だよ――――誠」



『彼女』の、誠の墓石に置いた手を、ギュッと握り締めて囁く。

 冷たい温度をやけにハッキリと感じた。鼻がツンとし、目頭が僅かにぼやける。

 喉を鳴らして唾を呑みこみ、満面の笑顔を誠に向けた。

 私の気持ちが誠に伝わるように。




「私は今、とっても幸せだよ!」



 さようなら。そして――――またね、誠。








 墓の並ぶ通りから出て来た時、大きな一本杉に寄りかかるように立っている人影がいた。

 逆光で顔が見え辛かったが、それでも誰かは分かった。私に顔を向けた人影は、砂利を踏んでゆっくりと私に話しかける。

「凪ちゃん、誠ちゃんに会って来たの?」

 藍川だった。

 白いシャツを暑そうに胸元をはためかせ、それでも顔にはゆったりとした笑みが浮かんでいた。

「うん」

 私はたった一言の返事を返し頷く。藍川も、そっか、と小さく返事を返した。

「…………僕も昨日挨拶してきたんだ」

「え?」

 誠ちゃんに、と藍川は少し照れくさそうに頭を掻く。それから少しだけ表情を引き締めて、小さな声で言う。


「凪ちゃんの大切な友達だから。僕も、挨拶しておこうと思って」

 藍川はそれ切り何も言わなかった。


 藍川が誠に何を話したのか気になった。けれど、多分藍川は何も教えてくれないだろう。秘密だよと子供っぽい笑みを浮かべてはぐらかすだけだ。

 だから私も彼と同じように、「そっか」と頷いて右手を藍川に差し伸べた。キョトンとした顔の藍川にちょっと恥ずかしくなり視線を横に逸らしつつ、

「帰るんでしょ? ……その、手繋いで帰ろうよ」

 言ってから藍川の顔を窺うように覗き込む。

 一瞬目をパチパチと瞬かせていた藍川は、嬉しそうに顔を綻ばせて笑った。



「そうだね。帰ろうか、凪ちゃん」



「帰ろう、藍川」





 握った藍川の手は大きくて温かかった。

 ニコニコと笑う彼の横で、私はその手をきゅっと握る。





 私は今日、今この瞬間、確かに生きている。

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