第9話 ダルク様は正しくていらっしゃる
帳面は三年ぶん、土間の棚に積んでございました。
わたくしは一冊目を開き、郵袋の欄だけを追いました。番号は書いてございません。書く欄がないのでございます。ただ、数と重さだけが並んでおります。
一冊目の途中で、書き手が変わりました。字が丸くなります。二冊目で、また変わりました。三冊目の終わりのほうで、お祖母様の字が途切れております。そこから先は、村の方の字でございました。
番号は、どこにも出てまいりません。
「駅長。夜が明ける」
ギュンターが戸口から申しました。
「あと一冊でございます」
「明けたら便が来る」
「はい」
「間に合わんぞ」
「間に合いませんでしょうか」
「間に合わん」
ギュンターは厩へ戻り、しばらくして戻ってまいりました。手に古い板を一枚提げております。
「先代は、これに書いとった」
板でございました。継立所の壁に掛けてあったものだそうで、表面に木炭で細かい数字が並んでおります。日付と、袋の番と、重さでございました。
「……お祖母様は、番を控えておられたのですか」
「毎便な」
「なぜ帳面に書かれなかったのでしょう」
「欄がない」
欄がないので板に書いた。それだけでございます。わたくしは板を卓に運び、燭を近づけました。
板は樫でございました。
表面が黒く光っております。木炭で書いては消し、消しては書いたところは、炭が木目に入って落ちません。何度も同じところに書きますと、そこだけ黒くなります。
黒くなっているのは、いちばん右の列でございました。右の列は、日付でも重さでもございません。袋の番でございます。
お祖母様は、番のところを何度も書き直しておられました。書き直すというのは、間違えたか、あるいは、見比べていたかでございます。
板を横に倒しますと、彫った線が一本走っております。定規で引いた線ではなく、錐か何かで削った線でございました。線の上と下で、字の大きさが違います。上は大きく、下は小さうございました。二年ぶんを一枚に収めようとして、途中から小さくなさったのでございましょう。
数字は二年ぶんございました。
同じ番の袋が、繰り返し出てまいります。九番。十七番。二十四番。三十一番。そのうち、十七番と三十一番だけが、来るたびに重くなっておりました。
十七番。一年前は十二斤。半年前は十四斤。先月は十五斤。
中身は便ごとに違います。違いますのに、二年のあいだ、この二つの番だけは一度も下がっておりません。下がらないのでしたら、増えているのは中身ではなく、袋でございます。
当て布は、一度当てれば済むものでございます。増え続けるということは、増やしている者がいるということでございます。
わたくしは板の数字を紙に書き写しました。書きながら、板の隅に小さな字があるのに気づきました。
――増やしとるのは、石橋の方だと思う。
お祖母様の字でございました。
便は午に着きました。
ラウルが降り、ダルク様の馬車がその後ろに停まりました。監督官殿は今日も乗っておられません。会議が続いているのだそうです。
「駅長。積載検査を行います」
「その前に、一つ申し上げます」
わたくしは卓に板を置きました。
「郵袋の当て布は、破れの修繕ではございません。増やされております。十七番は一年で三斤、三十一番は二斤半、重くなっております」
ダルク様は板を見て、それから数字を目で追われました。三分ほどかけて、二度追われました。
「……これは何でございますか」
「先代の駅長の控えでございます。帳面には番の欄がございませんので、板に書いておりました」
「正式の記録ではございません」
「ございません」
「では証拠になりません」
「証拠にするつもりはございません。今日申し上げたいのは、当て布を剥がせば重さが減る、ということだけでございます」
ダルク様が顔を上げられました。
「……剥がす」
「はい。当て布は規定にない増設でございます。規定にないものを剥がすのは、毀損ではなく原状回復でございます」
「何斤減りますか」
「今日の便の郵袋は六つ。うち当て布のあるものが四つ。合わせて十一斤でございます」
「百三十斤には、遠く及びません」
「及びません」
「では、意味がございません」
わたくしは首を振りました。
「意味はございます。十一斤ぶん、薬が積めます」
ダルク様は待合の長椅子に腰を下ろされました。座られたのは、はじめてでございます。
「駅長。わたくしは十九のときから監査をしております」
「はい」
「五年のあいだに、四十七の駅を回りました。どこへ行っても言われます。この村には要る、この家には要る、今回だけは、と」
「そうでございましょう」
「全部に応じておりましたら、規定はなくなります。規定がなくなれば、声の大きい駅から先に荷が乗ります。声の小さい村は、二度と乗りません」
「はい」
「ですからわたくしは、要るかどうかを聞きません」
「存じております」
「……駅長は、いつもそう仰る」
ダルク様は手袋の指を、もう片方の手で押さえておられました。
「ダルク様」
「はい」
「十一斤で薬が積めます、と申し上げましたのは、規定を曲げてくださいという意味ではございません。規定のなかで減らせるところがまだあるという意味でございます。減らせるところを全部減らしても足りないのでしたら、そのときは落とします」
「全部、とは」
「郵袋の当て布で十一斤。駅で預かっております空の飼葉袋を積み替えれば四斤。塩は俵を替えれば、俵ぶんで六斤。それから」
わたくしは帳面を開きました。
「馬でございます」
「馬」
「冬季の峠は、二頭立てでは登れませんので三頭立てにいたします。三頭にいたしますと引く力が増えますので、上限が八百斤ではなく、九百五十斤になります。規定第十四条でございます」
ダルク様が立ち上がられました。
「……第十四条」
「冬季、三頭立て以上の便については、総重量の上限を九百五十斤とする。第七条を探しました晩に、五十二条まで読んでございました」
「三頭目は、どこから」
「灰の駅の馬でございます。継立所の馬を出すのは、規定にございます」
ダルク様は、しばらく板の上の数字を見ておられました。それから、わたくしのほうを向かれました。
「駅長。ひとつ伺ってもよろしいですか」
「はい」
「なぜ、そこまでなさるのですか。この駅は、峠の向こうの村から預かり賃を頂いておりません」
わたくしは答えを探しました。三年のあいだ、わたくしは誰の役にも立たない帳面をつけておりました。役に立たないものをつけている者は、役に立つということがどういうことか分かりません。
「……分かりません。ただ、通っているものを止めるのが、いやなのだと存じます」
「通っているもの」
「便でございます。手紙でも、薬でも」
ダルク様は手袋を、はじめて片方だけ外されました。外した手の甲に、古い火傷の痕がございました。
「わたくしも、通しておりました。昔」
それだけ仰って、また手袋をはめられました。
次話「最終便でございます」では、九百五十斤の便が峠へ発ちます。
三頭目の馬に轡をつけながら、ギュンターが待合の長椅子の傷のことを口にいたします。




