第8話 読まぬという約束
棚の束は、四日のあいだ動きませんでした。
わたくしが動かさなかったのでございますから、当たり前でございます。ただ、朝と晩に一度ずつ、そこにあるかどうかを確かめておりました。
二日目に、ティナが参りました。
「駅長さん。婆さまの息子から、返事が来たって」
「まあ」
「五年ぶりだって。婆さま、読んでくれって言うから読んだんですけど」
ティナは鼻の頭を掻きました。
「『元気だ』しか書いてないんです」
「それは、よい返事でございますね」
「よい? 三行で終わったよ」
「三行あれば、三行ぶん生きておられるということでございます」
ティナはしばらく考えて、それから笑いました。
「駅長さんって、変なこと言うね」
「そうかもしれません」
「ねえ。あたし、駅で手伝ってもいい? 字が書けるから、村の人の手紙を駅で書けば、みんな二度手間じゃなくなるでしょ」
「賃金はお出しできません」
「いいよ。紙をちょうだい」
紙は駅の備品でございます。備品を村の方に渡すのは規定にございません。
「紙はお出しできません。けれど、書き損じは駅の紙ではございませんので、それでよろしければ」
「書き損じでいいの?」
「裏が白うございましょう」
ティナは目を丸くして、それから土間の隅に座り込み、その日のうちに三通書いていきました。
ティナが書くところを、わたくしは横で見ておりました。
村の方が口で仰ることを、そのまま書くのではございません。ティナは一度、全部聞いてしまいます。聞いてから、少し考えて、それから書きはじめます。
「順番を変えるのですね」
「うん。喋る順番だと、読むとき分かんないから」
「どのように変えますか」
「いちばん言いたいことを最後にする。最初に置くと、読む人が最後まで読まないもん」
わたくしは羽根を止めました。
屋敷の願い書には、いちばん言いたいことが最初に書いてございました。それが正しい書き方だと教わっておりましたし、実際、読む側には楽でございます。けれど、あれは読む側が最後まで読むと決まっている書類でございます。
村の手紙は、読む側が最後まで読むとは限りません。
「ティナ。それは、どなたに教わりましたか」
「教わってない。何回か書いてたら、そうなった」
三日目の晩、わたくしは棚の前に椅子を置きました。
束は四つ。紐で縛ってございます。
一枚くらいなら、と思いました。一枚読んだところで、百五十二通のうちの一通でございます。一通くらい読んでも、あの方の判断がなかったことになるわけではございません。
わたくしは手を伸ばしました。
伸ばして、止めました。
一通でよいのなら、二通でもよいことになります。二通でよいのなら、三通でも。数えることを覚えた者は、そこがよく分かります。境目は一と二のあいだにしかございません。
手を下ろしました。その代わりに、羽根と紙を取りました。
わたくしは書きました。
――監督官殿。棚の束は開けておりません。今後も開けません。ただし、口で仰るぶんには、駅長は客の話を聞く務めがございます。半刻のあいだに間に合うだけ、どうぞ。
書いて、読み返して、最後の一行を消しました。「どうぞ」というのは、こちらから求める言葉でございます。
消して、書き直しました。
――半刻のあいだに、間に合いますでしょうか。
これも消しました。問いの形にいたしますと、答えを迫ることになります。
三度目に書きましたのは、これだけでございます。
――棚の束は開けておりません。灰の駅 アニエス
封をして、次の便の袋へ入れました。宛先は王都駅逓局、監督官宛。差出人はございます。
四日目の朝、街道を黒塗りの馬車が上がってまいりました。
紋がついております。定期便ではございません。ダルク様が降りてこられました。手袋は、やはりしたままでございます。
「駅長。冬季積載の検査でございます」
「承ります」
「峠に初雪が降りました。今日から西街道は冬季扱いでございます」
「冬季扱いと申しますのは」
「王都便は、春まで灰の駅止まりとなります。峠の向こうへは、雪の締まる日を選んで越冬便が冬に三度。今日がその一度目で、年内はこれが最後でございます」
「一度目で、年内は最後でございますか」
「今年は雪が早うございました。次に雪が締まるのは、二月の終わりでございます」
ダルク様は帳面を開かれました。
「越冬便には、一台あたりの総重量に上限がかかります。上限は八百斤」
「今の便は、どれほどでございますか」
「郵袋と、村の越冬物資を合わせて、九百三十斤でございます」
わたくしは帳面を開きました。越冬物資と申しますのは、塩と油と薬でございます。峠の向こうの三つの村へ、冬のあいだに三度だけ運ばれるもので、今年は雪が早うございましたので、今週の便が一度目になりました。
「百三十斤、超過でございますね」
「はい。規定により、超過分は積めません」
「何を落としますか」
「軽いものから落とすことになっております。塩は重うございますので、薬と油が先に落ちます」
「薬が、いちばん要るものでございます」
「存じております」
ダルク様は、まっすぐにわたくしを見ておられました。
「規定は、要るかどうかで決めません。重さで決めます」
「その規定は、どなたが作られたのでございましょう」
「王都駅逓局でございます」
「では、王都駅逓局は、峠の向こうの冬をご存じでございましょうか」
ダルク様の指が、一度だけ動きました。手袋の上からでも分かるほど、はっきりと動きました。
「……存じません」
「わたくしも存じません。今年がはじめての冬でございますので」
「ではなぜ、そう仰るのですか」
「昨日、ティナに聞きました。去年、峠の向こうの村で、冬に子どもが二人亡くなったそうでございます。熱でございます。薬は年明けの便に積まれておりました」
沈黙がございました。馬車の馬が首を振り、雪の粒が背中から落ちました。
「駅長。わたくしにできることはございません。上限は八百斤でございます」
「はい」
「百三十斤、減らせるのでしたら、全部積めます」
「はい」
「減らせますか」
わたくしは帳面を閉じ、棚のほうを見ました。
棚には、四つの束と、差出人のない一通と、木箱がございます。その隣に、破れて使えなくなった郵袋が六つ、丸めて置いてございます。
三斤。四つで十二斤。
――足りません。
けれど、破れていない袋は、この駅を毎週通っております。
次話「ダルク様は正しくていらっしゃる」では、アニエスが百三十斤の減らし方を探して、帳面を三年ぶん遡ります。
峠が閉じるまで、あと一便でございます。




