第7話 三年ぶんの、出されなかったもの
百五十二通ございました。
四つの袋から出てまいりました紙を、卓の上に並べて数えました。数えるのは得意でございます。三年のあいだ、数えることしかしておりませんでしたので。
どれも折り目が深うございました。一度たたんで、開いて、またたたんだものは、折り目のところが毛羽立ちます。毛羽立ちの数が、一通ごとに違いました。
紙は三種類ございました。いちばん多いのが、公爵家の書簡用の厚手のもの。次が、局紙の薄いもの。それから、十枚ほど、裏に別の字が透けて見えるものがございました。書き損じの裏でございましょう。
書き損じの裏に書くというのは、屋敷ではしないことでございます。書簡用の紙は箱に入って、いくらでもございました。ですから、その十枚は、どこか屋敷でないところで書かれたのでございます。
折り目の深さも違いました。深いものは、何度も開かれております。開いて、また畳んで、しまう。それを繰り返した紙は、折り目のところの繊維が起きて、白くなります。
いちばん白いものが三枚ございました。三枚とも、いちばん厚手の紙でございます。
わたくしは一枚も開いておりません。開かずに、宛名だけを見て並べました。灰の駅、アニエス様。灰の駅、アニエス様。灰の駅、アニエス様。
灰の駅と書いてございます。公爵家ではございません。この駅の名でございます。三年前、わたくしがこの駅を継ぐことになるのを、あの方はご存じだったのでございます。
夜が明けるまで、卓の前におりました。
朝、ギュンターが厩から出てまいりまして、卓の上を見て、それから何も言わずに湯を沸かしました。
「駅長」
「はい」
「読まんのか」
「読みません」
「なぜだ」
わたくしはしばらく答えを探しました。
「……この百五十二通は、出されなかったものでございます。出されなかったものを、受け取った側が勝手に読んでよいことにいたしますと、出さないという判断そのものが、なかったことになってしまいます」
「難しいことを言う」
「難しゅうございましょうか」
「難しい」
ギュンターは湯を注ぎ、椀を一つ卓の端に置きました。
「おれは読めん」
「……字が」
「読める。だが読まん」
わたくしは椀を取りました。手が冷えておりましたので、湯の熱が痛うございました。
その日の昼過ぎ、街道を馬が一頭、上がってまいりました。
便ではございません。鈴がございませんので。
馬は駅の前で止まり、鞍から人が降りました。外套が泥で撥ねております。監督官殿でございました。
「駅長」
「……便は、四日後でございます」
「便では来ていない」
息が上がっておられます。王都からここまで、馬で丸一日はかかります。
監督官殿は待合へ入り、卓の上をご覧になりました。並べた紙が百五十二枚。宛名だけを上にして、四列に。その方は、しばらく動かれませんでした。
「……見つけたか」
「見つけました」
「読まないでいただきたい」
わたくしは卓の前に立ったまま、頭を下げました。
「読んでおりません。一枚も」
監督官殿の肩から、力が抜けたのがわかりました。それから、すぐに戻りました。
「いや」
「はい」
「失礼した。駅長の郵袋だ。私が言うことではない」
「郵袋は駅の物でございますが、中のものは差出人の物でございます」
「差出人は書いていない」
「書いてございませんが、字がございます」
沈黙がございました。窓の外で馬が身震いをして、泥が飛びました。
「アニエス」
名を呼ばれました。
三年と二か月、この方に名を呼ばれたことはございません。四つの言葉のなかにも、わたくしの名はございませんでした。
「はい」
「なぜ読まない」
「読みますと、たぶん、許してしまいますので」
わたくしは自分の声を聞いて、少し驚きました。三年のあいだ、この方の前でこんなに続けて話したことはございません。
「百五十二通ございます。三年で百五十六週でございますから、ほとんど毎週でございましょう。毎週お書きになって、毎週出されなかった。それを読みましたら、わたくしはきっと、書いてくださっていたのだから、と思います」
「思ってはいけないのか」
「思ってはいけません。書くことと、出すことは、別のことでございますから」
監督官殿は卓に手をつかれました。
「……そうだな」
「はい」
「そのとおりだ」
紙を集めて、束にいたしました。四つに分けましたのは、袋が四つだったからでございます。どの袋から出たかが分かるように、束ごとに紙を一枚挟んで、袋の番を書きつけました。五番、十四番、二十番、二十八番。
番を書きながら、手が止まりました。
四つとも、底が二重の袋でございます。二重になっているのは、誰かが当て布をしたからでございます。当て布は、破れを繕うために当てるものでございました。繕った跡に、別の者が紙を入れております。入れた者は、袋を厚くしたのではございません。厚くなっているところを見つけて、そこを使ったのでございます。
うまい隠し方だとは存じません。郵袋は、繕えば路線へ戻され、繕えなくなれば駅の隅へ積まれます。どちらにいたしましても、いつか誰かが開けます。
郵袋に封をいたしますのは王都局でございます。局の作業場へ出入りできる方は、そう多くございません。
開けてほしくないのなら、燃やせばよろしゅうございました。
燃やさずに、いつか開く袋へ入れた方が、この駅の待合におられます。
紐で縛りまして、帳面の下の棚に入れました。
「駅長。捨てなくていいのか」
「捨てません」
「なぜだ」
「駅は置く場所でございますので」
ギュンターが、はじめて笑ったような音を出しました。息が鼻から抜けただけでございますが、そう聞こえました。
監督官殿が戸口で外套を羽織られました。
「馬を借りたい。宿場まで戻る」
「駅の馬は貸せません。規定にございませんので」
「……そうか」
「けれど、ここは継立所でございます。乗り替えの馬をお出しするのが仕事でございますから、四日後の便までのぶんとして、一頭お貸しいたします。代金は帳面につけます」
監督官殿がこちらを向かれました。
「駅長」
「はい」
「一つだけ、口で言ってもいいか」
わたくしは帳面を閉じました。
「……一つだけでしたら」
その方は、外套の襟を直し、しばらく戸口に立っておられました。それから、こう仰いました。
「三年、寒くなかったか」
答えられませんでした。
答えの代わりに、わたくしは頭を下げました。深く下げますと、涙が床に落ちても顔からとは分かりませんので、そのようにいたしました。
馬の足音が遠ざかってから、顔を上げました。
卓の上には何も残っておりません。棚に四つの束と、差出人のない一通と、お祖母様の木箱がございます。
わたくしは帳面を開き、今日の欄に書きました。
――規定外の貸馬一頭。代金は次便で精算。
その下に、もう一行書きかけて、やめました。
次話「読まぬという約束」では、アニエスが束を棚に置いたまま、四日を過ごします。
四日目の朝、ダルク様の馬車がふたたび街道を上がってまいります。




