第4話 七日は長うございます
便のない日は、六日ございます。
一日目は屋根でございました。払い下げの板は次の便で参りますので、村の倉に残っていた端材を継ぎ足し、雨の落ちるところだけを塞ぎます。二日目は厩の飼葉桶。三つのうち一つの箍が緩んでおりましたので、水を張って木を膨らませてから締め直しました。三日目に待合の窓を拭きまして、そして四日目に、拭くところがなくなりました。
「駅長。座っとれ」
ギュンターがそう申しました。
「何かいたしませんと」
「馬は待たん。人は待つ」
わたくしは長椅子に腰かけました。傷のある側でございます。
街道は、便のない日には人が通りません。荷馬が二頭、東から西へ行ったきりでございました。峠の上に雲がかかっており、そのかたちが半日ほど変わりません。
「ギュンターさん」
「さんはいらん」
「ギュンター。あなたは、この駅に長いのでございますか」
「三年」
「三年」
「先代が拾った」
それきりでございます。ギュンターの言葉は、いつもそこで終いになります。わたくしは待ちました。三年のあいだ、待つことだけは覚えました。
しばらくして、ギュンターが藁を束ねる手を止めました。
「その前は、王都だ」
「王都で、何を」
「馬丁だ」
「どちらの」
ギュンターは藁を置き、両手を擦り合わせました。馬の脚に触れる前にする、あの仕草でございます。けれど今、目の前に馬はおりません。
「アーレンス公爵家」
風が鳴りました。
「……先代の、でございますか」
「先代の」
「では、あの方の」
「若様の、父上の馬丁だ」
わたくしは膝の上で手を組みました。組んだ指が冷たくなっております。
「ギュンター。ひとつだけ、お尋ねしてもよろしゅうございますか」
「言え」
「わたくしと、あの方の婚儀の前の晩に、何かございましたか」
ギュンターは藁束を持ち上げ、厩のほうへ二歩ほど歩き、それから止まりました。
「あの晩、若様は書斎から出てこられなかった」
「……お加減が」
「灯りは朝までついとった」
「何をしておられたのでございましょう」
「知らん」
ギュンターは厩へ入っていきました。わたくしは長椅子に座ったまま、傷を指でなぞりました。横に走る、浅い傷でございます。
わたくしは待合の壁を見ておりました。
板が一枚、掛かっております。石橋駅の帳場にあるものと同じ形の、路線の板でございました。西街道の駅の名が、東から順に彫ってございます。
宿場、石橋駅、灰の駅、峠、辺境局。
灰の駅の行だけが、他より深く彫ってございました。彫り直したのでございましょう。彫り直すというのは、一度消したということでございます。
いつ、誰が消したのか。
わたくしは椅子を持ってきて、板の裏を見ました。裏には何も書いてございません。ただ、掛け金の位置が二か所ございました。一つは今使っているもの、もう一つは十寸ほど下でございます。
板の位置も、一度変えられております。
「ギュンター。この板は」
「先代が掛けた」
「彫り直した跡がございます」
「知らん」
「掛け金が二つございます」
ギュンターは板を見上げ、しばらくしてから申しました。
「下のほうが、先代の背丈だ」
五日目に、雨が降りました。
土間で郵袋の目録を作っておりますと、戸を叩く音がいたしました。ティナでございます。
「駅長さん。手紙、出せますか」
「出せます。次の便に載せます」
「これ」
差し出されたのは、粗い紙に炭で書かれた文でございました。字は大きく、行が斜めに上がっております。
「……ご自分でお書きになったのですか」
「あたしのじゃないです。ジャンの婆さまの。息子が王都に出てて、五年帰ってこないから」
「婆さまが口で仰ったことを、あなたが書いたのですね」
「はい。でも」
ティナは言い淀みました。
「婆さま、『元気か』しか言わないんです。それだけだと紙がもったいないから、あたしが勝手に、畑のこととか足したんです。そしたら、あんたが余計なことを書いたって、隣の人が」
「婆さまは、何と仰いました」
「……何も。読めないから」
わたくしは紙を受け取り、灯りに近づけました。畑のこと、鶏のこと、去年の冬に屋根が落ちたこと。最後に一行、「元気か」とございました。
「ティナ。これは余計なことではございません」
「ほんとに?」
「元気か、だけでは、婆さまが元気かどうかが息子さんにわかりません。畑と鶏と屋根が書いてあれば、婆さまがまだ畑を見ていて、鶏を数えていて、冬に困ったことがわかります。それは全部、婆さまのことでございます」
ティナは紙を見て、それから鼻をすすりました。
「預かり賃は」
「村の方からは頂きません。駅の分は、便の預かり賃で足ります」
「駅長さん、それだと儲からないよ」
「儲けなくてよろしゅうございます。手紙が通っていれば、便が通ります」
六日目の夕方に、街道を東から一台の馬車が上がってまいりました。
定期便ではございません。黒塗りの、紋のついた馬車でございます。降りてこられたのは、若い女の方でございました。灰色の外套に、白い手袋をしておられます。手袋は、馬車を降りてからも外されませんでした。
「王都駅逓局監査、ベアトリス・ダルクと申します」
「灰の駅の駅長、アニエスでございます」
「存じております」
ダルク様は待合を見回し、卓の帳面に目を留められました。
「帳面を拝見してもよろしいですか」
「どうぞ」
ダルク様は帳面を開き、指を滑らせ、三分ほどで閉じられました。
「先月まで、重さの記載に三斤の差がございますね」
「ございます」
「今月の便では合っております」
「合っております」
「原因は」
「郵袋の当て布と存じます。次便から袋の焼き印の番を控えて、三か月ほど並べれば確かめられます」
ダルク様はわたくしを見ました。
「三か月」
「三か月でございます」
「監査は、三か月も待ちません」
「では、どうなさいますか」
「差の出た便を扱った駅の預かり賃を、差し止めます。灰の駅の分は、先月の三便ぶん」
わたくしは帳面の縁に指を置きました。
「差し止めますと、村への支払いができません」
「規定にございます」
「その規定は、原因が判明するまで差し止めるものでございますか。それとも、判明しなくとも差し止めるものでございますか」
ダルク様は少しだけ首を傾けられました。
「……判明するまで、です」
「では、三か月お待ち頂けますか」
「監査は、三か月も待ちません」
同じ言葉が戻ってまいりました。
ダルク様は外套の前を合わせ、馬車のほうへ歩き出されました。それから、一度だけ振り向かれました。
「駅長。ひとつ申し上げます」
「はい」
「わたくしは、あなたに含むところがございません。規定どおりに手続きをしているだけでございます」
「存じております」
「そう仰る方は、たいてい存じておられません」
馬車が出ていきました。
その晩、わたくしは差し止めの通達を卓に置き、燭を近づけました。規定の写しが添えてございます。第五条。原因が判明するまで、当該駅の預かり賃を差し止める。
わたくしは条文を最初から読みました。第一条から。二時間ほどかけて、第七条まで参りました。
第七条には、こうございました。
――街道の掟に定める必ず立ち寄るべき継立所については、前条の差し止めを適用しない。
わたくしは羽根を取りました。
明日、便が参ります。
次話「わたくしの駅から、便を出します」では、アニエスが第七条を持ってダルク様に会いに行きます。
その便の郵袋に、差出人の書かれていない手紙が一通、混じっておりました。




