↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年、ひとことも交わさなかった旦那様が、週に一度だけわたくしの駅に馬を替えに来ます 〜白い結婚は明けました。次の便は七日後でございます〜  作者: 森川つばめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/30

第28話 雪解けの水量

 四月の半ばに、峠下が崩れました。


 夜のうちに降った雨が、雪解けの水に重なったのでございます。三町ほどの区間で、街道の山側が肩まで落ちました。土と石が路面を埋めております。


 便は止まりました。


    


 朝のうちに、ラウルが宿場から歩いて上がってまいりました。


 「駅長さん。局は二週間だって言ってます」


 「二週間」


 「王都から人を出すのに一週間、直すのに一週間」


 「そのあいだ、便は」


 「止まりです。東回りは三日多くかかるんで、採算が合わないって」


 わたくしは帳面を開きました。


 二週間止まりますと、峠の向こうの三つの村へ、四か月ぶんの遅れが取り戻せなくなります。冬のあいだ止まっていた分が、いま上がってきているところでございました。


 「ラウル。崩れたのは、どのくらいでございましょう」


 「幅は三町。深さは、膝から腰くらいです」


 「石は」


 「大きいのが五つ六つ。あとは土です」


 「五つ六つでしたら、動かせます」


 「駅長さん一人でですか」


 「一人ではございません」


    


 村へ参りました。十九軒を、一軒ずつ回りました。


 「峠下が崩れました。二週間、便が止まります。局が直すのを待ちますと、二週間でございます。村の衆で直しますと、三日でございます」


 「駅の仕事だろう」


 「駅の仕事でございます。ですから、駅も出ます。わたくしとギュンターが出ます」


 「じいさんは腰が悪い」


 「では、わたくしが出ます」


 六軒目で、水車のヴェルナー家に参りました。


 「うちは出るよ」


 「ありがとう存じます」


 「去年、川が出たときに、村の衆が来た。順番だ」


    


 前の晩に、段取りを紙に書きました。


 人がどれだけ出るか分かりませんので、三十人、五十人、八十人の三通りを作りました。三十人でしたら石を動かすところまで。五十人でしたら土を寄せるところまで。八十人でしたら杭まで打てます。


 道具の数も数えました。鍬が村に十四、鋤が九、綱が六本。足りない綱は、駅の予備の手綱で代えます。


 炊き出しの量は、婆さまに伺いました。


 「何人分でございましょう」


 「四十人分作れば、六十人食える。皆、半分にして分けるから」


 「では、五十人分お願いいたします」


 「多いよ」


 「余りましたら、明日に回します。足りませんと、その日が止まります」


 翌朝、峠下に十九軒すべてが出てまいりました。


 ティナが石板に人数を書きつけております。婆さまは炊き出しの鍋を運ばれました。ギュンターは腰を庇いながら、馬に引き綱をつけて石を引かせております。


 わたくしは土を運びました。三年のあいだ、わたくしの手は羽根より重いものを持ったことがございません。半日で、手のひらの皮が二枚剥けました。


 昼に、婆さまが手を見て、笑われました。


 「駅長さん、いい手になったね」


 「痛うございます」


 「痛いのが仕事の手だよ」


    


 石を動かす順番も、決めておきました。


 いちばん大きい石から動かしますと、動かしたところへ土が落ちてまいります。ですから、上のほうの土を先に落として、それから石を出します。これはギュンターに教わりました。厩の掃除と同じだそうでございます。


 「駅長。上から下だ」


 「上から下でございますね」


 「馬の毛も、傷の手当も、屋根も、全部そうだ。下からやると、二度になる」


 二日目の昼過ぎに、東からラウルの馬車が上がってまいりました。馬車には人が乗っておりました。宿場の衆でございます。八人ほど。


 「駅長さん。宿場も出るって言うんで、連れてきました」


 「……なぜ、宿場の方が」


 宿場の年寄りが降りてこられました。


 「石橋の旦那に言われた」


 わたくしは手を止めました。


 「ユーゴー様が」


 「灰の駅が潰れたら、次に潰れるのは宿場だとよ。あの人が言うと、腹が立つが、その通りだ」


    


 二日目の終わりに、山側の土が一度崩れました。


 寄せた土の上に、上から新しい土が落ちてまいります。半日ぶんが埋まりました。


 誰も声を出しませんでした。出さずに、上のほうの土をもう一度落としはじめました。


 わたくしは鍬を握ったまま、しばらく動けませんでした。半日ぶんが消えるということが、実際に目の前で起きますと、頭より先に手が止まります。三年のあいだ、消えるものがございませんでしたので、慣れておりません。


 「駅長さん」


 婆さまが、鍋の柄杓を持って立っておられました。


 「土は落ちるもんだよ」


 「……はい」


 「落ちたら、また寄せる。それだけだ」


    


 三日目の夕方に、街道が通りました。


 石を五つ動かし、土を寄せ、山側に丸太で杭を打ちました。丸太は水車のお宅の材でございます。


 最後の杭を打ち終えて、皆が街道に座り込みました。わたくしも座りました。膝から下が泥でございます。


 「駅長さん」


 ティナが石板を持ってまいりました。


 「三日で、のべ八十七人。宿場が二十四。村が六十三」


 「書き留めておいてくださいましたか」


 「駅長さんが、書いておけって言うと思って」


 「……そのとおりでございます」


 石板には、名前も書いてございました。一軒につき、出た人の名と、日数でございます。三日とも出た方が四十一人、二日が十八人、一日が二十八人。


 「ティナ。名前まで書いておられましたか」


 「数だけだと、あとで誰が出たか分からなくなるでしょ」


 「……そのとおりでございます」


 「駅長さんの真似」


 わたくしは石板を受け取り、数を帳面へ写しました。名前も、一人ずつ写しました。


 ――四月十八日、峠下崩落。復旧、のべ八十七人。局の見積り二週間に対し三日。


 書きながら、指が震えて字が曲がりました。


    


 その晩、駅に戻りますと、待合に灯りがついておりました。


 監督官殿が長椅子に座っておられます。外套に泥がついております。


 「……いらしていたのですか」


 「二日目から出ていた」


 「存じませんでした」


 「山側で杭を打っていた。貴女は谷側で土を運んでいた」


 わたくしは戸口に立ったまま、しばらく動けませんでした。三日のあいだ、同じ場所におられて、一度も声をかけられなかったのでございます。


 「なぜ、仰らなかったのでございますか」


 「言えば、貴女は手を止める」


 「止めます」


 「止めてほしくなかった」


    


 わたくしは土間に入り、湯を沸かしました。沸くまでのあいだ、二人とも黙っておりました。


 「アニエス」


 「はい」


 「呼び名は、決まったか」


 わたくしは竈の火を見ておりました。


 「一つだけ、思いつきました」


 「言ってくれ」


 「けれど、まだ申し上げません」


 「なぜだ」


 「申し上げますと、そう呼ぶことになりますので」


 「そうだな」


 「もう少し、考えます」


 監督官殿は椀を受け取られました。


 「アニエス」


 「はい」


 「来週、便が出る。峠を越える最初の便だ」


 「はい」


 「御者は、誰が務める」


 わたくしは湯を注ぐ手を止めました。


 「ラウルでございます」


 「ラウルは宿場から東の担当に替わった。局の異動だ」


 「……では、どなたが」


 「決まっていない」

 次話「春の初便」では、峠を越える最初の便に、御者が一人足りません。


 灰の駅の厩には、慣らし終えた馬が二頭おります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。