第25話 老いた馬から
七日目の朝は、よく晴れました。
式部からの返答は、届いておりません。
街道の東から、騎馬が三騎上がってまいります。
「執行する」
ソレル様が令状をお出しになりました。
「灰の駅、一頭。当歳と産後の牝を除く」
「附帯条件がございます」
わたくしは厚手の紙を差し出しました。ソレル様は受け取り、図を見て、字を読み、それから紙の四隅を確かめられました。
「印がない」
「写しでございます。原本は王家式部にございます」
「原本を出せ」
「交付を求めております。三日前に」
「届いているか」
「届いておりません」
ソレル様は紙を返されました。
「では、執行する」
式部からの返答は、朝の便にも入っておりませんでした。
便は午前に着き、郵袋は四つ。中に王家の封蝋はございません。ラウルに伺いましても、王都局で式部からの急ぎ便は預かっていないとのことでございました。
ダルク様に教わったとおり、二枚目の書面を出しましたのは三日前でございます。往復で四日。今日が四日目でございました。
四日目に届かなかったということは、間に合わなかったということでございます。
わたくしは待合の卓に、印のない写しを一枚だけ置きました。置いておけば、出すことはできます。出して、断られることもできます。出さなければ、断られもいたしません。
鹿毛が厩から引き出されました。
村の水車のお宅からお借りした馬でございます。契約書には、怪我をしたときの取り決めまで書いてございますが、徴発された場合のことは書いてございません。
書いていないところでございます。
「ソレル様。この馬は借り受けでございます。所有者は村のヴェルナー家でございます」
「街道に在る」
「補償は」
「軍から所有者へ出る。相場の八掛けだ」
「八掛けでは、同じ馬が買えません」
「買えん」
ソレル様は轡を取り、部下に渡されました。
「駅長。私は数えるだけだと言った。数えた結果、この駅の馬は一頭になる。一頭の駅は継立ができん。それも、私が決めたことではない」
「はい」
「だが私が執行する」
厩の奥で、音がいたしました。
フリーダが立ち上がっておりました。自分で歩いて、厩の戸口まで出てまいります。脚が震えておりますが、止まりません。鹿毛のところまで来て、首を伸ばし、鼻先を合わせました。
二頭は、しばらくそうしておりました。
「隊長。この老馬は」
「数えん。二月の下見でそう決めた」
「はい」
ソレル様は、そのまま厩の奥をご覧になっておりました。
「駅長」
「はい」
「この老馬は、いつからここにいる」
「二十年を越えると伺っております」
「二十年、この街道で馬を替え続けてきたわけだ」
「そうでございましょう」
ソレル様は、少しのあいだ黙っておられました。
「私は、十六で軍に入った。最初に与えられた馬が、十二で死んだ。戦ではない。腹だ」
「……腹でございますか」
「冷えた。夜に、誰も気づかなかった」
鹿毛が引かれていきます。
ギュンターが轡の脇について、街道の曲がりまで歩いていきました。歩きながら、何かを長く話しかけております。
「おまえは若いから、まだ分からんだろう。分からんでいい。軍の飼葉は乾いとる。乾いた飼葉は水を余分に飲め。飲まんと腹に来る。それから、前の馬の尻を見て歩くな。首が下がる。首が下がると背中が痛む。おまえは背中が長いからな」
曲がりのところで、ギュンターが轡から手を離しました。
鹿毛が一度だけ振り向きました。
それから、下っていきました。
ギュンターが戻ってまいりましたのは、四半刻ほどしてからでございます。
厩へは入らず、待合の前の石に腰かけておりました。わたくしは湯を持ってまいりました。
「ギュンター」
「うん」
「あの馬は、ヴェルナー家の馬でございます。わたくしがお借りしました」
「そうだ」
「わたくしが借りなければ、街道に在る馬にはなりませんでした」
ギュンターは椀を受け取り、両手で持ちました。
「駅長」
「はい」
「借りなけりゃ、この駅は一月に潰れとった」
「潰れておりました」
「潰れた駅の馬は、村の馬のままだ。村の馬は徴発されん」
「……そのとおりでございます」
「だから、あんたのせいだ」
わたくしは石の上に座りました。
「はい」
「おれのせいでもある」
「ギュンター」
「馬を出せと言ったのはおれだ。三頭立ての日にな」
わたくしは帳面を出して、鹿毛の欄を閉じました。
預かった日、引き渡しの日、脚を見た記録、飼葉の量と選り方。四か月ぶんの記録がございます。最後に一行、書き足しました。
――三月十日、西方軍務により徴発。以後の記録は軍務にて。
書きながら、この欄がもう増えないことに気づきました。
三年のあいだ、屋敷の家政帳にも、増えなくなった欄がいくつかございました。人が辞めたり、部屋を閉めたりいたしますと、その欄は止まります。止まった欄は、線を引いて閉じます。線を引くのは、いつも夜でございました。
夕方に、ヴェルナー家の方が来られました。
わたくしは頭を下げました。長く下げました。
「補償は相場の八掛けでございます。差額は、駅がお支払いいたします。今はございませんので、証文をお書きいたします」
その方は、しばらくわたくしを見ておられました。
「駅長さん。うちの水車はな、去年の秋に川が出て、半分流れた」
「……存じませんでした」
「直したのは村の衆だ。誰も金は取らんかった。取らんかったから、うちは今年、村の粉を只で挽いとる」
「はい」
「証文はいらん。馬の子が来る春に、ヨナを見にくる。それでいい」
その晩、厩に馬は二頭でございました。
栗毛と、生まれて三週のヨナ。それに、数に入らないフリーダ。
継立所は、馬を替えるところでございます。替える馬がなければ、駅ではございません。
フリーダは、厩の戸口に立ったままでございました。日が落ちても入ろうといたしません。ギュンターが飼葉を運んでまいりまして、戸口のところに桶を置きました。
「入らんのか」
馬は答えません。
「待っとるのか」
わたくしは厩の柱に手を置きました。街道の東は、もう暗うございます。曲がりのところに、鹿毛の姿はございません。
「フリーダ。あの馬は、戻ってまいりません」
言ってから、それが正しくないことに気づきました。戻らないと決まったわけではございません。ただ、戻る見込みが薄いというだけでございます。薄い見込みを、無いことにして口にするのは、易しゅうございます。三年のあいだ、わたくしはそればかりしておりました。
「……戻るかもしれません」
フリーダは、しばらくして飼葉に口をつけました。
わたくしは帳面を開き、その日の欄に書きました。
――三月十日、徴発執行。鹿毛一頭。保有馬、継立に供し得るもの、なし。
書いてから、羽根を置きました。
置いた手が、しばらく動きませんでした。
次話「この駅は、王家の駅でございます」では、翌朝、街道の東から馬が一騎、全速で上がってまいります。
鞍の後ろに、印の押された筒が結びつけてございました。




