第23話 徴発の令状
書状は、縁組みの申し入れではございませんでした。
――アーレンス公爵家元夫人アニエス殿。灰の駅の権利は、貴殿の祖母の申し出により貴殿の名義に移された。ついては、権利の受諾または辞退の意思を、書面にて回答されたい。回答なき場合、権利は式部の管掌に戻る。式部
辞退。
辞退いたしますと、駅は式部に戻ります。戻れば、わたくしはこの駅の駅長ではなくなります。
二通目には、副えの紙がございました。
――第一信への返信なきため再送。なお、貴殿の名義において、当該権利の辞退を申し出る書状が本年一月以降十一通到達している。いずれも灰の駅の封蝋を用いているが、筆跡が第一信の署名と一致しない。真偽の確認を要する。
十一通。
わたくしは紙を卓に置きました。
誰かが、わたくしの名で、この駅を手放そうとしております。
夜が明けました。
監督官殿は長椅子で目を覚まされ、外套を取りに立たれました。
「今日は宿場まで戻る。便が動けば、来週は乗ってくる」
「監督官殿」
わたくしは書状を二通、卓に置きました。その方は立ったまま読まれ、二通目のところで顔を上げられました。
「十一通」
「ユーゴー様が仰っておりました。灰の駅の封蝋で出された書状が十一通ある、と。宛先は王家式部だそうでございます」
「筆跡は」
「細い字だそうでございます」
監督官殿は、しばらく黙っておられました。
「アニエス。この駅の権利が式部に戻れば、誰が得をする」
「石橋でございましょうか」
「石橋は駅逓局の管轄だ。式部の駅は買えない」
「では」
「式部から払い下げを受けられる者だ。公爵家、伯爵家、王領の代官。買えるのは、その辺りだ」
わたくしは地図を開きました。
この街道沿いに屋敷を持つ家は、四つございます。うち二つは王都寄りで、峠には関わりません。残る二つのうち一つは、宿場の東の伯爵家。もう一つが、アーレンス公爵家でございます。
「……あなた様の家も、買える側でございますね」
「買える」
「買われますか」
「買わない」
「なぜでございますか」
「買えば、貴女の駅が私の駅になる」
わたくしは地図を畳みました。
「では、伯爵家でございましょうか」
「宿場の東の家は、駅逓に関心がない。三代、荷を出したことがない」
「では、どなたが」
「分からない。ただ、式部から払い下げを受ける手続きは、公爵家でも半年かかる。半年待てる者だ」
午前のうちに、街道の東から騎馬が三騎、上がってまいりました。軍服でございます。
「西方軍務、ソレル・ヴァンダイクである。徴発の令状を執行する」
ソレル様が馬を降り、紙を差し出されました。
――西街道沿線の常備馬について、次の頭数を徴発する。灰の駅、二頭。石橋駅、四頭。宿場、三頭。執行は本日より起算し、七日以内。西方軍務
「二頭でございますね」
「二頭だ。当歳は除く。産後の牝も除く」
「では、栗毛と当歳は残ります」
「残る」
「借り受けの鹿毛は」
「街道に在る。数える」
わたくしは令状を読み直しました。
「ソレル様。一つ伺います。灰の駅の常備馬は、いま三頭でございます。うち当歳一頭と産後の牝一頭を除きますと、残るのは鹿毛一頭でございます」
「そうだ」
「二頭とございますが、一頭しかございません」
ソレル様は令状を覗き込まれました。
「……頭数は、二月の下見で数えた数だ」
「二月の下見のとき、栗毛はまだ産んでおりませんでした」
「そうだ」
「産後の牝を除く、という規定は、下見の日ではなく執行の日で判断するものでございましょうか」
ソレル様の指が、令状の縁で止まりました。
三騎のうち一騎が、口を挟まれました。
「隊長。下見の頭数で執行するのが慣例です」
「慣例と規定が食い違うときは、どちらが優先いたしますか」
わたくしは、五か月前と同じことを申しました。
ソレル様はわたくしをご覧になり、それから、部下のほうを向かれました。
「規定だ」
「隊長」
「規定だ。下見の頭数で執行すれば、産んだ牝を戦場へ連れていくことになる。連れていけば三日で潰れる。潰れる馬を数に入れて隊を組めば、その分だけ人が歩く」
ソレル様は令状に線を引かれました。
「灰の駅、一頭に訂正する。執行は七日以内」
「ありがとう存じます」
「礼を言うな。一頭は持っていく」
「はい」
「一頭を失えば、この駅は継立ができんな」
「できません」
「では、七日で何とかしろ」
三騎が去ったあと、監督官殿が卓の前に立っておられました。
「アニエス」
「はい」
「七日だ」
「七日でございます」
「規定四十一条の三、王家の管掌に属する駅の常備馬は徴発から除く。灰の駅は式部の管掌下にある」
「わたくしも、そこを読みました」
「ただし」
「ただし、わたくしはまだ権利を受諾しておりません」
書状には、受諾または辞退の意思を書面で回答されたい、とございます。回答なき場合、権利は式部に戻る。いま、わたくしは駅長でございますが、権利者ではございません。権利者でない者の駅は、王家の管掌下にあるとは言えません。
「受諾の回答を出せばいい」
「出します」
「今日中に書け。使いは私が出す」
受諾の回答には、書式がございました。式部の書状の裏に、細かく刷ってございます。宛先の書き方、署名の位置、日付の入れ方、封の仕方。封は蝋で、駅の色を用いること、とまで書いてございました。
書式のとおりに書けば、書状は受理されます。書式から外れますと、差し戻しになります。差し戻しは往復で四日でございますから、七日のうちに二度出す余裕はございません。
わたくしは書式を三度読んでから、下書きを一枚書きました。下書きを読み返し、日付の位置が半行ずれておりましたので、書き直しました。
わたくしは羽根を取りました。
取って、止まりました。
「監督官殿」
「なんだ」
「受諾いたしますと、わたくしはこの駅の権利者になります」
「そうだ」
「権利者になりますと、この駅を持ったまま、どこへも参れません」
沈黙がございました。
窓の外で、ヨナが母馬のまわりを跳ねております。生まれて四日でございますが、もう跳ねます。
「……どこかへ行く予定があるのか」
「ございません」
「では書け」
「はい」
わたくしは書きました。
――灰の駅の権利を受諾いたします。アニエス
署名をいたしました。三年ぶりに、姓を書きませんでした。姓を書かない署名は、はじめてでございます。
封をして、灰色の蝋を落としました。
「監督官殿。この封蝋の色は、偽物と同じでございます」
「そうだな」
「見分けがつきますでしょうか」
監督官殿は、封の上に指を置かれました。
「式部には、貴女の字の署名が一つある。第一信への回答だ。これが最初になる」
「一つでは、比べられません」
「二つ目からは比べられる」
次話「祖母の遺した紙」では、七日のあいだに、アニエスが権利証の原本を探します。
探す先は、王都ではございませんでした。




