第19話 正しさの居場所
ダルク様は、灰の駅の待合で所見を書かれました。
二日かかりました。書いては消し、消しては書き、三度目に清書をなさいました。線は定規で引いたように真っ直ぐでございます。
「駅長。読んで頂けますか」
――西街道石橋駅における書状留め置きの件。三十二通、二か月。第三十一条違反の疑いあり。ただし同条には履行期限の定めがなく、違反の立証は困難である。
――よって本監査は、違反の認定を求めず、規定の不備を報告する。すなわち、第三十一条に「受領より二週以内」の期限を加えることを、局に対して具申する。
――なお本件は、灰の駅駅長アニエスの申し立てにより発覚した。監査 ベアトリス・ダルク
わたくしは二度読みました。
「ダルク様。これは、ユーゴー様を罰しない所見でございますね」
「罰しません」
「よろしいのでございますか」
「よろしゅうございません」
ダルク様は羽根を置かれました。
「わたくしは、罰したいと思っております。三十二通でございます。五年帰らない息子への手紙が、引き出しの下の段にございました」
「はい」
「けれど、罰する条文がございません。無いものを在ることにして罰しますと、次に、無いものを在ることにして罰される者が出ます」
「出ますでしょうか」
「出ます。たいてい、いちばん弱い駅から出ます」
三十二通の宛先を直しますのに、二日かかりました。
村の名だけでは足りませんので、家の目印を書き足します。番地というものがございませんので、「井戸から三軒目」「水車の向かい」といった書き方でございます。局はそれで届けます。
ティナが横で読み上げ、わたくしが書きました。
「ジャンの婆さまは、鶏が二羽いる家」
「鶏は動きますので、目印になりません」
「じゃあ、柿の木」
「柿の木は、冬に葉が落ちますが、木は残ります。それでまいりましょう」
三十二通のうち、二十九通に目印を書き足しました。残る三通は、宛先が村の外でございましたので、局へ照会いたします。照会の書面を三枚書きまして、その日の便に載せました。
二週間後に返答が来ます。
その晩、ダルク様は駅に泊まられました。
待合の長椅子に毛布を敷いて、そこでよいと仰いました。土間には竈がございますので、暖かいほうへどうぞと申し上げましたが、聞いて頂けませんでした。
夜半に、灯りがついておりました。
「お眠りになれませんか」
「考えごとでございます」
わたくしは湯を沸かし、椀を二つ持ってまいりました。
「ダルク様。一つ、お尋ねしてもよろしゅうございますか」
「どうぞ」
「規定どおりにしていれば、誰にも出したほうを見られない、と仰いました」
「申しました」
「それは、正しゅうございますか」
ダルク様は椀を両手で持たれました。手袋は外しておられます。
「……正しくございません」
「はい」
「規定どおりにしておりましても、見る人は見ます。見ない人は見ません。規定は、そこを決められませんので」
「では、なぜ」
「決められないところを、決めたことにしておけたのでございます」
わたくしは椀の湯を見ておりました。
「わたくしは、数えておりました」
「数える」
「三年のあいだ、頂いた言葉を数えておりました。四つでございました。数えておりますと、四つで済むのでございます。数えなければ、なぜ四つしかないのかを考えなければなりません」
ダルク様は、わたくしのほうをご覧になりました。
「……同じでございますね」
「同じかもしれません」
「駅長。わたくしは、あなたを好いてはおりません」
「存じております」
「けれど、腹立たしいと思ったのは、あなたが二人目でございます」
「一人目は、どなたでございますか」
「十六のわたくしでございます」
わたくしは湯を足しました。
「ダルク様。所見に、わたくしの名を書かれましたね」
「書きました」
「書かずに済ませることも、できましたでしょう」
「できました」
「なぜ、お書きになりましたか」
ダルク様は椀を置かれました。
「規定の不備を報告する所見は、監査の手柄になります。手柄にいたしますと、次に不備を見つけたときに、また監査が見つけたことになります」
「なりますね」
「駅が見つけたことにしておきませんと、駅は次から言わなくなります」
わたくしは頭を下げました。
「ありがとう存じます」
「礼はいりません。わたくしのためでございます」
朝、ダルク様は所見を持って発たれました。
馬車が見えなくなってから、街道の東に別の影が見えました。徒歩でございます。
ユーゴー様が、坂を上がってこられました。外套に雪が積もっております。二里を歩いてこられたのでございましょう。
「奥様」
「駅長のアニエスでございます」
「駅長さん」
はじめて、そう呼ばれました。
「所見は読んだ。おれは罰されねえそうだな」
「そのようでございます」
「あんた、三十二通のことを申し立てた」
「いたしました」
ユーゴー様は待合の戸口に立ったまま、なかへ入ってこられません。
「うちの息子は、十九になる」
「……はい」
「石橋を継がせたくねえんだ。あんな仕事、割に合わねえ。駅ってのは、便が通ってるあいだは金にならねえ。止まったときだけ怒られる」
「そうでございますね」
「だから太らせた。路線を増やして、袋の手数を抜いて、灰の駅を潰して、二駅ぶんにして売る。売った金で、息子に別の商売をさせる」
わたくしは黙って伺っておりました。
「三十二通は、後回しにした。それだけだ。捨てちゃいねえ」
「捨てておられません」
「捨てなかったのは、おれの良心じゃねえ。捨てると罰されるからだ」
「存じております」
ユーゴー様は笑いました。目も笑っておりました。
「あんた、いい駅長になるよ。おれは嫌いだがね」
「駅長さん。最後に一つ、教えといてやる」
「はい」
「局の照会ってのは、書状の宛先を確かめるためだけのもんじゃねえ。誰が出した書状かも確かめる」
「……と、申しますと」
「灰の駅の封蝋で出された書状が、年が明けてから十一通ある。あんたが出してねえやつだ」
わたくしは卓に手をつきました。
「棒が一本、無くなっております」
「知ってるよ。うちの厩の棚にあった」
「なぜ、それを仰るのでございますか」
ユーゴー様は帽子をかぶり直しました。
「おれがやったんじゃねえからだ。おれの駅で、おれの知らねえ書状が出てる。それは、駅逓頭として恥だ」
「では、どなたが」
「知らねえ。だが、十一通の宛先は全部同じだった」
「どちらでございましょう」
「王家式部だ」
次話「軍のお方が下見に」では、王家式部から灰の駅へ、二人目の使いが参ります。
同じ日に、軍務官が街道の馬を数えに来ます。




