第18話 ティナの字
ダルク様は、申し立ての翌々日に石橋へ入られました。
監査というものは、予告をしないのだそうでございます。帳場の引き出しと厩の棚と、袋の置き場を順に開けて、中身を数えて帰る。それだけだと伺いました。
三日後、灰の駅に馬車が着きました。
「駅長。三十四通のうち、三十二通が見つかりました」
「……どちらに」
「石橋駅の帳場の、下の段でございます。束にして紐で縛ってございました」
わたくしは息を吐きました。吐いてから、吸うのを忘れておりました。
「なぜ、止められていたのでございましょう」
「ユーゴー・メルシエは、こう申しました。宛先の書き方が不十分で、局へ回せなかった、と」
「不十分と申しますのは」
「村の名だけで、番地がない。字が読みにくい。差出人の姓がない。三つ挙げております」
「三つとも、事実でございますか」
「事実でございます」
わたくしは卓に手をつきました。
「駅長。規定を申し上げます」
ダルク様は帳面を開かれました。
「継立所は、宛先の記載が不十分な書状について、差し戻すか、局へ照会するかのいずれかを行うものとする。手元に留め置いてはならない。第三十一条でございます」
「では、留め置いたのは違反でございますね」
「違反でございます。ただし」
「ただし」
「差し戻しも照会も、いつまでに行うかが書いてございません」
書いていないところでございます。
「ユーゴー・メルシエは、こう申しました。順次照会する予定であった、と」
「二か月かけて、三十二通のうち何通照会いたしましたか」
「二通でございます」
「返事が来た二軒でございますね」
「そうでございます」
わたくしは帳面を開き、日付を書きつけました。
「ダルク様。差し戻しと照会の違いを、教えて頂けますか」
「差し戻しは、出した者へ返すことでございます。照会は、局へ問い合わせて宛先を確かめることでございます」
「どちらが早うございますか」
「差し戻しでございます。出した者は近くにおりますので」
「では、なぜ照会をなさいますか」
「差し戻しますと、出した者が二度手間になります。村の方は、二度目を出しません」
「出しませんね」
「ですから、駅が照会するのが筋でございます。筋ではございますが、手間がかかります」
「手間は、どれほどでございますか」
「一通につき、書面を一枚。局への便に載せて、返答が二週間後でございます」
三十二通で、書面が三十二枚。
わたくしは羽根を置きました。三十二枚を書くのは、二日かかります。二日で済むことを、二か月かけて二通しかなさらなかったのでございます。
ダルク様は馬車から、布に包んだものを持ってこられました。紐で縛った束でございます。
「三十二通、お返しいたします。宛先の不備は、こちらで直して頂きたく」
わたくしは束を受け取り、紐を解きました。
いちばん上の一通の宛名は、大きな字でございました。行が斜めに上がっております。
ティナの字でございます。
二通目も、三通目も、そうでございました。三十二通のうち、二十九通が同じ字でございました。
その日の夕方、ティナが駅に参りました。
わたくしは束を卓に置いたまま、土間で待っておりました。
「駅長さん、何かあった?」
「ティナ。これを見て頂けますか」
ティナは束の上の一通を手に取り、それから、顔色が変わりました。
「……これ、あたしの」
「三十二通のうち、二十九通があなたの字でございます」
「あたしの字が悪いから、届かなかったの」
「石橋の駅逓頭は、そう申しております」
ティナは束を卓に置いて、後ろに下がりました。
「じゃあ、あたしのせいだ」
「ティナ」
「あたしが書いたから、届かなかったんだ。婆さまの息子も、返事くれないんじゃなくて」
「ティナ」
わたくしは束の中から、二通を抜き出しました。返事が来た二軒の分でございます。
「この二通も、あなたの字でございます」
ティナが顔を上げました。
「同じ字で書かれた三十二通のうち、二通は照会が通って返事が来ました。三十通は帳場の引き出しにございました。字が理由でしたら、二通も通らないはずでございます」
「……じゃあ、なんで」
「照会するのに手間がかかるから、後回しにされたのでございます。手間のかかるものを後回しにするのは、字のせいではございません。後回しにした者の判断でございます」
ダルク様が、待合の戸口に立っておられました。
「駅長。所見を書きます」
「はい」
「ただ、申し上げておきます。第三十一条には期限がございません。期限のない義務は、違反を立証できません。局は、注意で終わらせる可能性がございます」
「注意でございますか」
「注意でございます」
わたくしは束を見ました。三十二通。二か月ぶんの、届かなかった言葉でございます。
「ダルク様」
「はい」
「期限のない義務が、義務でないのでしたら、期限を作れば義務になります」
「作るのは局でございます」
「局に、作って頂きます」
「どうやって」
「灰の駅から、規定の改定を申し出ます」
ダルク様の手袋が、はじめて卓の上に置かれました。外された手が、そのまま卓の縁を握っております。
「……一駅の駅長が、規定の改定を申し出た例はございません」
「ございませんか」
「ございません」
「では、はじめてでございますね」
ダルク様は、しばらく黙っておられました。それから、こう仰いました。
「駅長。わたくしのことを、少しお話ししてもよろしいですか」
「伺います」
「わたくしは、十七のときに婚約が決まっておりました。相手は決まっており、日取りも決まっておりました」
「はい」
「決まらなかったのは、相手の家のほうでございます。先方の当主が、別の家を選びました。理由は、うちが火事を出したからでございます」
ダルク様は、左手の甲を見ておられました。古い火傷の痕がございます。
「わたくしが厨から出したものでございます。十六のときでございました」
「……お怪我を」
「これだけでございます。家は焼けませんでした。半分ほどで消し止めました」
「では、なぜ」
「消し止めたのは、わたくしでございます。けれど、出したのもわたくしでございます。先方は、出したほうを見ました」
ダルク様は手袋をはめ直されました。
「それ以来、わたくしは規定どおりにしております。規定どおりにしていれば、誰にも、出したほうを見られませんので」
次話「正しさの居場所」では、ダルク様が所見を書き上げます。
書き上げた翌日、ユーゴー様が灰の駅へ最後の手を打ちに参ります。




