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三年、ひとことも交わさなかった旦那様が、週に一度だけわたくしの駅に馬を替えに来ます 〜白い結婚は明けました。次の便は七日後でございます〜  作者: 森川つばめ


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18/30

第18話 ティナの字

 ダルク様は、申し立ての翌々日に石橋へ入られました。


 監査というものは、予告をしないのだそうでございます。帳場の引き出しと厩の棚と、袋の置き場を順に開けて、中身を数えて帰る。それだけだと伺いました。


 三日後、灰の駅に馬車が着きました。


 「駅長。三十四通のうち、三十二通が見つかりました」


 「……どちらに」


 「石橋駅の帳場の、下の段でございます。束にして紐で縛ってございました」


 わたくしは息を吐きました。吐いてから、吸うのを忘れておりました。


 「なぜ、止められていたのでございましょう」


 「ユーゴー・メルシエは、こう申しました。宛先の書き方が不十分で、局へ回せなかった、と」


 「不十分と申しますのは」


 「村の名だけで、番地がない。字が読みにくい。差出人の姓がない。三つ挙げております」


 「三つとも、事実でございますか」


 「事実でございます」


 わたくしは卓に手をつきました。


    


 「駅長。規定を申し上げます」


 ダルク様は帳面を開かれました。


 「継立所は、宛先の記載が不十分な書状について、差し戻すか、局へ照会するかのいずれかを行うものとする。手元に留め置いてはならない。第三十一条でございます」


 「では、留め置いたのは違反でございますね」


 「違反でございます。ただし」


 「ただし」


 「差し戻しも照会も、いつまでに行うかが書いてございません」


 書いていないところでございます。


 「ユーゴー・メルシエは、こう申しました。順次照会する予定であった、と」


 「二か月かけて、三十二通のうち何通照会いたしましたか」


 「二通でございます」


 「返事が来た二軒でございますね」


 「そうでございます」


    


 わたくしは帳面を開き、日付を書きつけました。


 「ダルク様。差し戻しと照会の違いを、教えて頂けますか」


 「差し戻しは、出した者へ返すことでございます。照会は、局へ問い合わせて宛先を確かめることでございます」


 「どちらが早うございますか」


 「差し戻しでございます。出した者は近くにおりますので」


 「では、なぜ照会をなさいますか」


 「差し戻しますと、出した者が二度手間になります。村の方は、二度目を出しません」


 「出しませんね」


 「ですから、駅が照会するのが筋でございます。筋ではございますが、手間がかかります」


 「手間は、どれほどでございますか」


 「一通につき、書面を一枚。局への便に載せて、返答が二週間後でございます」


 三十二通で、書面が三十二枚。


 わたくしは羽根を置きました。三十二枚を書くのは、二日かかります。二日で済むことを、二か月かけて二通しかなさらなかったのでございます。


 ダルク様は馬車から、布に包んだものを持ってこられました。紐で縛った束でございます。


 「三十二通、お返しいたします。宛先の不備は、こちらで直して頂きたく」


 わたくしは束を受け取り、紐を解きました。


 いちばん上の一通の宛名は、大きな字でございました。行が斜めに上がっております。


 ティナの字でございます。


 二通目も、三通目も、そうでございました。三十二通のうち、二十九通が同じ字でございました。


    


 その日の夕方、ティナが駅に参りました。


 わたくしは束を卓に置いたまま、土間で待っておりました。


 「駅長さん、何かあった?」


 「ティナ。これを見て頂けますか」


 ティナは束の上の一通を手に取り、それから、顔色が変わりました。


 「……これ、あたしの」


 「三十二通のうち、二十九通があなたの字でございます」


 「あたしの字が悪いから、届かなかったの」


 「石橋の駅逓頭は、そう申しております」


 ティナは束を卓に置いて、後ろに下がりました。


 「じゃあ、あたしのせいだ」


 「ティナ」


 「あたしが書いたから、届かなかったんだ。婆さまの息子も、返事くれないんじゃなくて」


 「ティナ」


 わたくしは束の中から、二通を抜き出しました。返事が来た二軒の分でございます。


 「この二通も、あなたの字でございます」


 ティナが顔を上げました。


 「同じ字で書かれた三十二通のうち、二通は照会が通って返事が来ました。三十通は帳場の引き出しにございました。字が理由でしたら、二通も通らないはずでございます」


 「……じゃあ、なんで」


 「照会するのに手間がかかるから、後回しにされたのでございます。手間のかかるものを後回しにするのは、字のせいではございません。後回しにした者の判断でございます」


    


 ダルク様が、待合の戸口に立っておられました。


 「駅長。所見を書きます」


 「はい」


 「ただ、申し上げておきます。第三十一条には期限がございません。期限のない義務は、違反を立証できません。局は、注意で終わらせる可能性がございます」


 「注意でございますか」


 「注意でございます」


 わたくしは束を見ました。三十二通。二か月ぶんの、届かなかった言葉でございます。


 「ダルク様」


 「はい」


 「期限のない義務が、義務でないのでしたら、期限を作れば義務になります」


 「作るのは局でございます」


 「局に、作って頂きます」


 「どうやって」


 「灰の駅から、規定の改定を申し出ます」


 ダルク様の手袋が、はじめて卓の上に置かれました。外された手が、そのまま卓の縁を握っております。


 「……一駅の駅長が、規定の改定を申し出た例はございません」


 「ございませんか」


 「ございません」


 「では、はじめてでございますね」


    


 ダルク様は、しばらく黙っておられました。それから、こう仰いました。


 「駅長。わたくしのことを、少しお話ししてもよろしいですか」


 「伺います」


 「わたくしは、十七のときに婚約が決まっておりました。相手は決まっており、日取りも決まっておりました」


 「はい」


 「決まらなかったのは、相手の家のほうでございます。先方の当主が、別の家を選びました。理由は、うちが火事を出したからでございます」


 ダルク様は、左手の甲を見ておられました。古い火傷の痕がございます。


 「わたくしが厨から出したものでございます。十六のときでございました」


 「……お怪我を」


 「これだけでございます。家は焼けませんでした。半分ほどで消し止めました」


 「では、なぜ」


 「消し止めたのは、わたくしでございます。けれど、出したのもわたくしでございます。先方は、出したほうを見ました」


 ダルク様は手袋をはめ直されました。


 「それ以来、わたくしは規定どおりにしております。規定どおりにしていれば、誰にも、出したほうを見られませんので」

 次話「正しさの居場所」では、ダルク様が所見を書き上げます。


 書き上げた翌日、ユーゴー様が灰の駅へ最後の手を打ちに参ります。

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