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三年、ひとことも交わさなかった旦那様が、週に一度だけわたくしの駅に馬を替えに来ます 〜白い結婚は明けました。次の便は七日後でございます〜  作者: 森川つばめ


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15/30

第15話 開かずにおきます

 定例監査の朝は、よく晴れました。


 厩には馬が二頭おります。栗毛と、村からお借りした鹿毛でございます。契約書の原本を卓に置き、報告の写しを添えました。


 前の晩に、支度を三度確かめました。契約書の原本。村のヴェルナー家の署名と、わたくしの署名。日付。馬の毛色と歳と、引き渡しの日に両方で脚を見た記録。


 厩の藁を新しくいたしました。桶を洗い、水を替え、飼葉を量りました。二頭とも、朝のうちに一度坂を上らせて、脚を温めてございます。


 「駅長。やりすぎだ」


 「やりすぎでございましょうか」


 「監査は馬を見る。厩は見ん」


 「厩の様子で、馬の見え方が変わりますので」


 ギュンターは藁を掻きながら、鼻から息を抜きました。


 「屋敷でもそうしとったのか」


 「屋敷では、監査に当たるものがございませんでした。ですから、毎日が同じでございました」


 ダルク様は刻限どおりに参られました。


 「保有馬の実見を行います。厩へ」


 二頭を順に見て、歯を確かめ、脚を上げさせ、契約書と照らし合わせられました。


 「村の馬は、契約期間が二月末まででございますね」


 「はい」


 「三月以降は」


 「三月に栗毛が子を産みます。子は二年使えませんので、その間は村と契約を延長するか、買い足すかでございます」


 「見通しは」


 「ございません」


 ダルク様は帳面に書き込まれました。


 「保有馬二頭。継立能力あり。代行の必要を認めず。以上でございます」


 「……解けますか」


 「解けます。次の便から、王都便は灰の駅で継ぎます」


 わたくしは頭を下げました。下げたまま、しばらく上げられませんでした。


    


 ダルク様は待合に戻り、長椅子に腰かけられました。


 「駅長。一つ、報告のほかに申し上げます」


 「はい」


 「先月、石橋駅の帳場で、灰色の封蝋を見ました」


 わたくしは顔を上げました。


 「灰色は、この駅の色でございます」


 「存じております。ですから、なぜ石橋にあるのかと伺いました」


 「何と仰いましたか」


 「予備だと」


 ダルク様は手袋の指を組まれました。


 「継立所の封蝋は、駅ごとに色が決まっております。予備を他所の駅が持つ規定はございません。ただ、持っていること自体を禁じる条文もございません」


 「ございませんか」


 「ございません。ですから、わたくしは所見を書けません」


 「では、なぜ仰るのでございますか」


 ダルク様は、しばらく答えられませんでした。


 「……規定に書けないことを、知っている者がどこかにいなければ、規定は穴のまま残りますので」


    


 その日の午に、王都から書状が届きました。


 馬に乗った使いが直接持ってまいります。封蝋は青。印は駅逓局のものではございません。王家式部でございました。


 わたくしは待合の卓で受け取り、署名をいたしました。使いは水も飲まずに戻っていきました。


 封の表に、こうございます。


 ――アーレンス公爵家 元夫人 アニエス様


 元夫人。


 三年のあいだ「奥様」、この三か月「駅長」と呼ばれてまいりました。三つ目の呼び名でございます。


    


 ティナが土間から顔を出しました。


 「駅長さん。読まないの?」


 「読みます」


 「読まないでしょ、それ」


 「……なぜ、そう思いますか」


 「持ち方」


 ティナは自分の胸の前で、両手で紙を持つ真似をいたしました。


 「読む人は片手で持つよ」


 わたくしは書状を卓に置きました。


 式部から元夫人へ届く書状というのは、決まっております。婚姻に関わるものでございます。三年で終いになった担保婚の後始末か、あるいは、次の縁組みの申し入れか。


 どちらであっても、開けば、答えなければなりません。


    


 わたくしは帳面を開きました。


 今日の欄には、監査の結果と、代行解除の日付を書いてございます。その下に、少し余白がございます。わたくしは書状を、その余白のところに挟みました。


 「駅長さん、それ」


 「開かずにおきます」


 「読まないと分かんないよ」


 「分かっております」


 「え?」


 「開かなくても、中身は二つのうちのどちらかでございます。どちらであっても、わたくしが今日することは変わりません。今日は、代行が解けた日でございますので、明日の便の支度をいたします」


 ティナは首を傾げました。


 「よく分かんない」


 「わたくしにも、よく分かりません」


 「駅長さん。あたし、婆さまの手紙を書くときに、いつも思うんだけどさ」


 「はい」


 「返事が来ないほうが、待ってるあいだは楽しいよ。来ちゃうと、三行で終わるから」


 「……そうかもしれません」


 「でも婆さまは、来たほうがいいって言う」


 「婆さまが正しゅうございます」


 「じゃあ開けたら」


 わたくしは帳面を閉じました。


 「開けます。いずれ。今日ではございません」


    


 その日の午後、路線板を直しました。


 石橋の板ではございません。灰の駅の待合に掛かっている板でございます。彫り直した跡の上に、もう一度、駅の名を彫りました。


 彫るのははじめてでございます。錐で線を入れ、鑿で削り、粉を払います。字が曲がりました。


 「駅長。下手だ」


 「下手でございます」


 「先代のはもっと下手だった」


 わたくしは手を止めました。


 「お祖母様がお彫りになったのですか」


 「彫った。前の板が割れたときにな」


 「では、この彫り直しの跡も」


 「先代だ」


 「一度、消しておられたのですね」


 ギュンターは板を見上げました。


 「消したんじゃない。書き直した。字が気に入らんと言ってな。三度やった」


 夕方、厩でギュンターに申しました。


 「明日から、便が参ります」


 「聞いた」


 「半刻でございます」


 「半刻だ」


 「ギュンター。灰の駅の停車は、四半刻に縮めなくてよろしゅうございますね」


 ギュンターは轡を掛け直しました。


 「縮めたいのか」


 「縮めたくございません」


 「なら縮めん」


    


 その晩、棚の前に立ちました。


 束が四つ。差出人のない一通。木箱。書面の写し。文が二通。そして、帳面に挟んだ書状が一つ。


 わたくしは羽根を取り、紙を出しました。


 ――監督官殿。代行が解けました。明日より灰の駅にて継立を再開いたします。停車は半刻でございます。


 書いて、そこで止まりました。


 三年のあいだ、わたくしは何も差し上げたことがございません。差し上げるという発想がございませんでした。けれど、この三か月のあいだに、この方はわたくしに何かを差し上げようとして、三度断られております。板と、貸馬と、それから、たぶん、百五十二通でございます。


 わたくしは続きを書きました。


 ――一つだけ、お尋ねしてもよろしゅうございますか。あなた様は、わたくしに何を差し上げたかったのでございましょう。灰の駅 アニエス


 封をいたしました。


 灰色の蝋でございます。棒は一本足りませんが、こちらの分はまだございます。

 次話「差し上げるものの話」では、十週ぶりの半刻がまいります。


 監督官殿の答えは、一行でございました。

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