第七話 「同じ班の三人」
翌朝、わたくしは教官室の扉を叩いた。
出てきたのは昨夜、実技場で木剣を振っていた男だった。近くで見ると、思ったより若い。三十の半ばだろうか。背が高く、姿勢がまっすぐで、袖口の折り返しがきれいに揃っている。
「ヴァルトハイム嬢か。何か」
「班編成について、伺いたいことがございます」
「入りなさい」
教官室は簡素だった。机がひとつ、書架がひとつ、椅子が二脚。書架の背表紙は高さ順に並び、机の上には何も出ていない。
男は椅子を勧め、自分は立ったままでいた。
「フォルカー・ハイムだ。実技を担当している」
「レティシア・ヴァルトハイムです」
「知っている。婚約を解消したそうだね」
昨日の昼のことだ。伝わるのが早い。
「ええ」
「理由を訊いてもいいかね」
「わたくしの言葉を、最後まで聞かない方でしたので」
ハイム教官は、ほんの少しだけ目を細めた。笑ったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
「よろしい。それで、班編成の何を訊きたい」
「規程には、班は一班から五班までとあります。掲示されたのは三十名です。新入生は三十六名おります」
彼は答えなかった。答えないまま、続きを待った。
「残る六名は、どの班でしょうか」
「編成外だ」
「編成外という班は、規程にございません」
「無いね」
あっさりと認めた。あまりにあっさりしていたので、こちらが構えを崩された。
「規程に無いものを、なぜお作りに」
「作っていない。編成しなかっただけだ。規程には『全員を編成せよ』とも書かれていない」
わたくしは黙った。
その通りだった。規程には班の数が書いてあり、編成の基準が書いてあり、推薦で覆せると書いてある。全員を必ずどこかに入れろ、とは書いていない。
「書かれていないことは、しなくてよいのですか」
「実務ではそうなる。書かれていないことを咎める根拠が無いのでね」
この人は、わたくしが今考えていることと同じことを、ずっと前から考えている。背筋が寒くなった。
「では、書かれていないことを、してもよいのですね」
「なんだと」
「編成外の生徒を、いずれかの班に入れてはいけない、とも書かれておりません。三班は現在五名です。六名編成が規程ですので、一名分の空きがございます」
ハイム教官の眉が、初めて動いた。
「……誰を入れる」
「ミレイユ・カルヴァンを」
「理由は」
「規程どおりの人数にするためです」
彼はしばらくわたくしを見ていた。値踏みではなかった。もっと事務的な、書類の不備を探すような目だった。
「よろしい。三班に入れる」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。君の言う通り、規程どおりにしただけだ」
部屋を出るとき、彼が背中に声をかけた。
「ヴァルトハイム嬢。規程はよく読むほうかね」
「読むようになりました」
「いつから」
「最近です」
扉を閉めてから、わたくしは廊下の壁に手をついた。
この人は、規程を隅から隅まで知っている。知っていて、隙間を使っている。そういう人に対して、わたくしは今、同じ隙間を使ってみせた。
見せてよかったのかどうかは、分からない。
廊下を歩きながら、今のやり取りを頭の中で並べ直した。
あの人は、わたくしの言い分を最後まで聞いた。聞いて、根拠を訊いて、根拠が通ったので受け入れた。エイドリアンが四年かけて一度もしなかったことを、初対面で三分でやってのけた。
だからこそ、落ち着かない。
規程の隙間を使う人が二人いれば、隙間はどちらの味方にもなる。わたくしが今日通した理屈は、明日そのまま裏返せる。「規程どおりの人数にするため」という言い方は、誰かを入れる理由にも、誰かを外す理由にもなる。
わたくしは足を止め、袖から手帳を出した。
今日の日付と、教官室での問答を、覚えているかぎり書いた。誰が何を言ったか。何を根拠にしたか。
書き終えて、思う。四年後、この手帳が残っていたら、何かが違っただろうか。
違ったかどうかは分からない。ただ、残っていない紙は、絶対に何も変えない。それだけは確かだった。
昼、掲示に一行が足された。三班、ミレイユ・カルヴァン。
「わたし、演習に出るんですか」
「出ます」
「なんで」
「規程どおりの人数にするためです」
ミレイユは掲示をしばらく見上げていた。それから、こちらを向いた。
「レティシア様。わたし、たぶんお返しできません」
「返していただくつもりで申し上げていません」
「でも、そういうの、あとで困ることがあるので」
困ったことがある人の言い方だった。
「では、ひとつだけ」
「はい」
「あなたが見たものを、わたくしに教えてください。それだけで釣り合います」
彼女は小首を傾げ、「——なるほど」と言った。午後、三班の顔合わせがあった。
三班は六名。わたくし、ノエル、ミレイユ、そして三人。子爵家の双子の姉妹と、寡黙な男爵家の子息。双子はよく喋り、男爵家の子息はほとんど喋らなかった。
ノエルは自己紹介で「グレンヴィルのノエル。以上」とだけ言い、双子に笑われていた。
「レティシア様は、なんで三班に」
「規程どおりに割り振られただけです」
「婚約、切ったって本当ですか」
「本当です」
双子の姉のほうが、目を輝かせた。
「かっこいい」
「そうでしょうか」
「かっこいいですよ。うち、姉が三年前に切られた側なので」
切られた側。
わたくしは、そういう側の話をあまり考えたことがなかった。四年後に自分が切られる側どころか、罪人にされる側になるとは思っていなかった。だから今、この子が姉の話をしてくれることが、なぜかありがたかった。
「レティシア様は、剣は」
双子の妹に訊かれた。
「習いました。人並みです」
「人並みってどのくらい」
「一回戦で負ける程度です」
双子が笑った。ノエルが横で「正直だな」と言った。
嘘ではない。一度目、わたくしは剣術試合の一回戦で負けた。四年間、ずっと一回戦で負け続けた。負けても誰も困らなかったし、わたくしも困らなかった。公爵令嬢が騎士になる必要は無いと、周りも自分も思っていたからだ。
そのわりに、四年後、剣が届く場所で死んだ。
「ミレイユは?」
「わたし、剣は持ったことなかったです。入ってから初めて触りました」
「嘘でしょ、あんなに避けてたのに」
「避けるのは、剣がなくてもできるので」
双子が顔を見合わせた。男爵家の子息が、初めて口を開いた。
「……合理的だ」
「喋った!」
双子が同時に叫び、子息が耳を赤くした。
わたくしは、その光景を見ていた。
一度目のわたくしの四年に、こういう時間は無かった。エイドリアンの隣にいて、必要な相手とだけ話し、必要でない相手とは話さなかった。必要かどうかを決めていたのは、わたくしではなかった気がする。
演習の説明書きが配られた。地形図が一枚と、行程表が一枚。
ミレイユは地形図を受け取り、両手で持ち上げて、くるりと裏返した。裏を見て、また表に戻した。もう一度裏返す。
紙の裏は白い。何も書かれていない。
「ミレイユ。裏に何かございますか」
「え? いえ、何も」
「では、なぜ裏を」
彼女は一瞬止まり、それから軽く笑った。
「癖です」
癖、と彼女は言った。昨日、ノエルも「転んだ」と言った。この学校の人は、みんな短い言葉で扉を閉める。
わたくしは追わなかった。追わずに、地形図の自分の分を見た。川が一本、丘が三つ、水場が二箇所。二箇所のうち片方には「涸」と小さく書いてある。
行程表には、その涸れているほうへ向かう線が引かれていた。
顔を上げると、演習場の入口にエイドリアンが立っていた。一班の生徒が、なぜ三班の顔合わせを見にくるのだろう。
目が合った。彼は笑わなかった。笑わないまま、ゆっくりと中へ入ってきた。




