第五話 「班分けの条件」
班分けは成績順ではない、と知ったのは翌朝だった。掲示の前に人だかりができていて、その中心で誰かが不満を言っている。
「なんで俺が三班なんだ。実技は上から四番目だぞ」
「推薦枠が入ってるからだろ」
推薦枠。
その言葉を、わたくしは知らなかった。四年いて、知らなかった。
知らなくても困らなかったからだ。エイドリアンの隣にいれば班は勝手に決まり、決まった理由を考える必要がなかった。守られているというのは、そういうことでもある。理由を知らないまま、都合のいい側に置かれ続ける。
人だかりを離れ、事務室へ向かった。扉を叩き、班編成の規程を見せてほしいと頼む。事務官は面倒くさそうな顔をしたが、規程そのものは公開されているものだった。
紙は三枚あった。一枚目、班は六名編成。二枚目、編成は実技評価と筆記評価の合算で行う。三枚目。
《ただし、実技教官の推薦により、合算順位によらず編成を定めることができる》
一行だけだった。たった一行で、ほかの二枚が無効になる書き方をしている。
「この推薦は、どなたがなさるのですか」
「実技教官だよ。今年はハイム教官が担当だ」
ハイム。
聞き覚えがなかった。四年間、わたくしはこの学校にいて、実技教官の名前を覚えていない。
「ハイム教官は、いつからこちらに」
「もう十年になるかね。真面目な方だよ。生徒の評価に身分を持ち込まない。あの人が来てから、平民の特待生が増えた」
褒め言葉として言われた。わたくしも、そう聞いた。その日、わたくしは規程の写しを取ろうとして断られた。
「写しは駄目だ。閲覧だけ」
「では、閲覧したことを台帳に残していただけますか」
「……そんなことを頼まれたのは初めてだよ」
事務官は呆れながらも、台帳に日付と名前を書いた。わたくしはそれを見届けてから礼を言った。
紙は取れなくてもいい。「わたくしがこれを読んだ」という事実が残ればいい。何かが起きたとき、この一行が意味を持つ。読んでいなかったことにされないために、読んだ日付を先に置いておく。
昼、ミレイユが食堂で待っていた。
「レティシア様。班のことなんですけど」
「はい」
「わたし、たぶん、班に入れません」
彼女は淡々と言った。悲しんでいる調子ではない。それが余計にこたえた。
「どうしてそう思われるの」
「特待生は、去年も一昨年も、みんな六班だったので。六班は演習に出ないんです」
六班。
規程の一枚目には、班は一班から五班までと書いてあった。六班という文字は、どこにもない。
「六班は、規程に載っていません」
「……え」
「一班から五班までです。六班という編成は、規程上、存在しません」
ミレイユは目を丸くし、それから小首を傾げた。
「じゃあ、わたしたちは何だったんでしょう」
答えられなかった。
「去年の特待生は、今どうしていらっしゃるの」
「二人は辞めました。一人は残ってますけど、演習には出てません」
辞めた。演習に出ない。
演習に出なければ実技評価が付かない。実技評価が付かなければ卒業できない。卒業できなければ、騎士にはなれない。
合格させて、入学させて、それから静かに外へ流す。そういう仕組みが、この学校にはある。
「ミレイユ。去年の特待生で、残っていらっしゃる方のお名前は」
「ヨナスさんです。二年生の」
「お話ししたことは」
「一度だけ。厨房で会いました」
厨房。演習に出ない生徒が、昼にどこにいるかという話だ。
「その方は、なんとおっしゃっていましたか」
「最初の年に一度だけ演習に呼ばれて、そのあと呼ばれなくなったって。理由は聞いてないそうです」
理由は聞いていない。誰も説明しない。説明しないことは、嘘をつくことより安全だ。嘘は証拠が残るが、沈黙には残らない。
一度目のわたくしを罪に落としたのも、たぶん同じ種類のものだった。誰も嘘をつかなかった。ただ、誰も何も言わなかった。
「ミレイユ」
「はい」
「明日の掲示に、あなたの名前が無かったら、わたくしに教えてください」
「教えて、どうなるんですか」
まっすぐな問いだった。この人は、期待の仕方を知らない。期待して裏切られた回数が多い人の訊き方だ。
「どうにかなるとは申しません。ただ、無かったという事実を、わたくしも一緒に覚えておきます」
ミレイユは、しばらくわたくしを見ていた。
「——なるほど」
それだけ言って、彼女はパンを口に入れた。午後、わたくしは実技場の裏で足を止めた。
脳の奥が痒い。何かを思い出しかけている。四年後の講堂で、わたくしは何かを握っていた。罪状を読み上げられているあいだ、ずっと右手に握り込んでいたものがある。
紙だった。折り目のついた、厚めの紙。
何の紙だったか。
思い出そうとすると、頭の芯が痛んだ。あの日の記憶は、雨と、人の輪と、ノエルが斬られる音の手前で途切れている。その手前に何があったのか、うまく像を結ばない。
わたくしは懐中時計を握った。針は止まったままだ。
——思い出せ。一度目のわたくしは、何を持っていた。
目を閉じて、順に辿ってみる。
あの朝、わたくしは自室から出された。着替える時間はなかった。だから、持って出られたものは前の晩に手元にあったものだけだ。
前の晩。わたくしは何をしていた。
書き物をしていた。それは覚えている。灯りを長く点けていて、侍女に一度たしなめられた。何を書いていたのかは思い出せない。ただ、書き物の脇に、自分の字ではない紙を広げていた。厚い紙。折り目が縦に三本。
三本。
ビアンカが握っていた紙の折り目も、三つだった。
偶然かもしれない。紙を折れば、たいてい二つか三つになる。それでも、指先が冷たくなった。
目を開けると、実技場の裏の壁に自分の影が伸びていた。四年前の自分に訊けたらいいのに、と思う。訊けないから、こうして探している。
記憶というのは、持っていれば使えるものだと思っていた。実際には、掘り出さなければ何の役にも立たない。
夕方、掲示板の前でエイドリアンに会った。
「明日、正式な掲示が出る」
「そのようですね」
「僕と同じ班だよ。父上が話を通してくださった」
わたくしは彼を見た。
「エイドリアン様。班分けは実技教官の推薦で決まると規程にあります。ご父君が通されるものではありません」
「……よく調べたね」
「調べました」
彼の顔から、一瞬だけ表情が抜けた。抜けて、すぐ戻った。
「レティシア。君は最近、僕を疑っているのかい」
「いいえ。規程を読んだだけです」
そう答えながら、わたくしは考えていた。
この人は「父が通した」と言い、規程には「教官が推薦する」と書いてある。どちらかが嘘か、あるいは、教官と父が繋がっているか。三つ目の答えが一番厄介だった。
「明日の掲示を見ましょう」
わたくしはそう言って、頭を下げた。
夜。
寮の窓から実技場を見ると、明かりがひとつ点いていた。
人影がある。長身の男が、木剣を振っていた。素振りに無駄がない。速いのではなく、同じ軌道を外さない。二百回ほど数えたところで、わたくしは数えるのをやめた。
同じ軌道を、外さない。それは剣の話ではなく、性格の話に思えた。
その人が振り向いた。距離があるのに、目が合った気がした。
男は木剣を下ろし、こちらへ小さく会釈をする。丁寧な、非の打ちどころのない礼だった。
誰なのかは、明日の掲示で分かるのだろう。
わたくしは窓を閉めた。閉めてから、右手が汗ばんでいることに気づいた。




