第四十六話 「手紙」
学校からの手紙は、朝、門の詰所に届いていた。
封が二つ。一つは学長の印、もう一つは印が無く、宛名の字が細かった。細い字に見覚えがあった。時刻を行頭と行末に二度書く人の字だ。
門番は封を渡す前に帳面に日付を書いた。届いた手紙の数と、渡した相手の名。王都は手紙まで数える。数えられた手紙を、わたくしは詰所の火の前で開けた。火は薪が少なく、燃え方が細かった。細い火で、細い字を読んだ。
記録係の封を、先に開けた。
紙が二枚入っていた。一枚は手紙で、一枚は写しだった。手紙は短い。
《読まれる日が来たらしい。去年の演習記録の参加者一覧を写して送る。三十四名。班の合計は三十名。わしは書くだけだ。読むのは、そちらでやりなさい》
写しは去年の演習の参加者一覧だった。秋に見た、あの帳面の写し。三十四名。うち四名は班に無い。出ていないのに、出たことになっている四名。
王都の演習記録の俸給の欄で、去年の六名のうち、四名の名がこれと重なるはずだ。塔に去年の帳面は無い。無いものが手紙で届いた。三日かけて。
学長の封はもっと短かった。
《学務監室より、ハイム教官本人の出頭を求める照会あり。年末の聴取に応じ、王都へ向かわせる。到着は査閲の三日前》
フォルカー・ハイムが、来る。
わたくしは、その一行を、二度読んだ。学務監室が彼を呼んだ。呼んだのはわたくしが写しを持ち込んだ翌日だ。切れるものは切る。切れないものは、呼ぶ。呼んで、聞き置く。
二通とも鞄の奥に入れた。三枚の受領書の隣に。学校からの糸が、また二本増えた。
塔では箱の書き出しが終わっていた。
二十三箱。十年ぶん。俸給の欄の名前は、全部で三十一あった。三十一のうち、手帳の十五名と重なるのが、十五名。全部だった。残りの十六は手帳に無い名前だった。手帳は五年ぶんしかない。帳面は十年ぶんある。合わない十六が、学校に来たことのない人なのか、五年より前に書き足された人なのかは、この帳面だけでは分からない。
「学校に来てない人まで」
クラリスが埃を払う手を止めて言った。
「推薦の紙さえあれば、来てなくてもいいのよ。姉が言ったんじゃなくて、今のは私」
「妹が先に言いました」
言い合いが弱かった。弱い言い合いを、双子は二日続けている。二日続くと、弱いのが普通になる。普通にさせたくなかった。
「クラリス様。家同士の借り貸しで、こういう帳面をご覧になったことは」
「あるわ。借りた人がいないのに、借りたことになってる帳面。うちの叔母様が、そういうのを一冊見つけて、それで結婚が一つ壊れた」
「壊れたのは、叔母様の結婚じゃなくて、相手の家の」
「同じよ」
少しだけ、いつもの声に戻った。戻ったところで、わたくしは訊くのをやめた。
あと二日。箱を焼く期限だ。
焼けと言われたものの中身は、全部、わたくしの帳面に書き写した。写したものは残る。ただ、写しは写しだ。ブラントはそう言うだろう。写しは期限が切れれば廃棄する。本物が無ければ、写しは、わたくしが書いた紙にすぎない。
昼過ぎに、ジョゼットが稽古場から戻ってきた。
一人だった。クラリスと組んで型を打っていたはずだが、姉は残ったのだという。彼女は塔の扉を閉めてから、声を低くした。
「監察官が、ノエルを呼び止めてた」
わたくしは帳面から顔を上げた。
「稽古場の裏。姉が見てた。私も見た。監察官が何か言って、ノエルが黙ってて、それから、ノエルが一言だけ返した」
「何と」
「書面でお願いします、って」
書面で。
「監察官は、何も書かないで、行っちゃった。ノエルは、そのまま型に戻った。姉が先に見たんだけど、今のは私が先に言った」
わたくしは帳面に書いた。日付。稽古場の裏。監察官がノエルを呼び止める。ノエル、書面でお願いします、と。
書いてから、ペンを置いた。
書面で。ブラントに、書面でと言う。言えば、彼は書かない。書かないから、言ったことが無いことになる。無いことになるなら、何を言われたのかは、ノエルしか知らない。
夕方、ノエルが戻ってきた。
外套に雪が付いていた。稽古場から塔まで、いつもより時間がかかっていた。時間がかかった分だけ、雪が積もる。積もった雪を、彼は扉の内側で払った。払う手が左だった。左手で払うのは、右手に木剣を持って戻ってきたときの癖だ。今日は木剣を持っていなかった。持っていないのに、左で払った。
「ジョゼットから、聞きました」
「そうか」
「監察官に、何を」
「なんでもない」
彼は箱の上に座った。座って、七段目の板を見た。板は今日は緩んでいなかった。
「なんでもない、ではないと思います」
「書面でと言った。あいつは書かなかった。だから、なんでもない」
言い方がわたくしと同じだった。書かれていないものは、無い。わたくしが帳面で作った理屈を、彼はそのまま、わたくしに向けて使った。
「ノエル」
「言わない」
彼はこちらを見なかった。見ないまま、言った。
「お前が決めるんだろ。俺は、お前が決めるまで、何も言わない。あいつが何を言ったかも、言わない。言ったら、お前の決めることに、それが混ざる」
混ざる。
わたくしは、その言葉を、しばらく持っていた。
推薦は評価で決まる。評価はブラントが写す。ブラントは、稽古場の裏で、ノエルに何かを言った。言って、書かなかった。ノエルは書面でと言った。言って、それきり黙っている。
何を言われたのかは、分からない。分からないが、形は分かる。白い欄を、埋める代わりに、何かを求められた。求められたものが何かは、彼が言わない。言わないのは、わたくしが決めるまで、混ぜないためだ。
ひとりで決めるな、と彼は言った。
自分のことはひとりで抱えている。
「……ずるい方ですね」
「お前ほどじゃない」
彼は少しだけ笑った。笑って、二十三の箱を数えた。
「あと二日」
「はい」
「焼くのか」
「まだ、決めておりません」
「明日、厩に行くんだろ」
「はい。先に、訊きに」
彼は頷いた。頷いて、立ち上がった。
「俺も行く。訊くのはお前だ。俺は、隣にいる」
塔を出ると、雪が本降りになっていた。
鞄の中に、手紙が二通。三枚の受領書。写しの帳面。二十三箱ぶんの名前。増えるものは全部紙だった。紙は雪の中でも濡れなければ残る。
残らないのは稽古場の裏で言われた言葉だけだ。言った人が書かず、言われた人が言わない。
ミレイユが袖の林檎を確かめた。
「明日、渡せるでしょうか」
「渡せます。たぶん」
「たぶん」
「はい。先に訊いてから」
彼女は頷いた。頷いて、塔の二階の窓を見上げた。灯りは、無かった。今夜は、誰も来ていない。来ていないのか、まだ来ていないのかは、朝になれば分かる。朝に扉を確かめる人が、いるからだ。
記録係の手紙は「読まれる日が来たらしい」で始まります。第一部の第二十話で、レティシアが彼に訊いた問いの答えです。
監察官がノエルに言ったことは、書かれていないので、この作品の中では「無い」ままです。ノエルは、それを彼女の決めることに混ぜないと決めました。




