第四十二話 「監察官」
文書課の扉に、新しい札が掛かった。
文書課長、の下の名前が外され、書記が受理を行う旨の紙が貼られている。紙は薄く、印は学務監室のものだった。落ちた人の名は、一晩で消える。消えたところに紙が貼られ、貼られた紙は、また誰かが剥がすまで残る。
朝の主計課で、ヴェラは昨日と同じ帳面を開いていた。
昨日の続きを伺ってもよろしいか、と訊くと、規程の範囲で、と返った。この人の返事は短い。短い返事は長い返事より信用できる。長い返事は答えていない部分を言葉で埋める。
わたくしは鞄から厚い帳面を出した。塔の一階から手元に残した、演習記録。俸給の欄に線の無い年のものだ。演習生に俸給は出ないと伺ったが、この欄に額が書いてある年がある。そう言って、頁を開いて見せた。
彼女は帳面を受け取り、眼鏡を押し上げ、頁を繰った。繰る指が途中で二度止まった。
「これは、演習生の俸給ではありません。見習い騎士の俸給です」
「見習い騎士」
「学校の推薦で、卒業前に騎士団に登録された者です。登録されると、俸給が出ます。俸給は主計課が払います」
彼女は俸給の欄の名前を指した。
「この年の演習に参加した者のうち、この六名は、見習い騎士として登録されています。登録の根拠は、学校の推薦。推薦は、学務監室を通します」
六名。
四年前の三名、三年前の四名、二年前の五名。去年の六名。今年の六名。名簿に書き足された数と、同じ並びだった。
その六名は今も俸給を、と訊きかけた。主計課の帳面では払っています、と彼女は言った。登録が抹消されない限り、払います。
わたくしは帳面を受け取り直した。手が冷たかった。主計課の窓は北向きで、朝の日が入らない。入らない部屋で、十年ぶん、払い続けた帳面が棚に並んでいる。帳面の背は全部同じ高さで、同じ高さのまま、中身だけが増えていく。
辞めた生徒は学校の名簿から消える。班に編成されず、演習に出ないまま、参加した記録だけを作られ、二年以内に退学する。退学した瞬間、学校は数えなくなる。
王都は数え続ける。見習い騎士として。俸給を払い続けて。
「ヴェラ様。登録された見習い騎士が、実際にどこにいるかは」
「主計課は、払うだけです。どこにいるかは、監察官室が確認します。確認したという判が、年に一度、俸給簿に押されます」
判だけが押される。
書かない人が判だけは押す。
十年前に主計課長だったのは今の学務監だと確かめると、彼女は頷いた。私はその方の後の後の課長の下で入りました、と言った。後の後。二人挟んでいる。二人挟んでも、帳面は同じ棚にある。
彼女は帳面を閉じた。閉じてから、一つだけ付け足した。
「増員の根拠書類は、起案した課長が保管する規程です。十年前の起案は、主計課長です。今、その方は主計課にいらっしゃいません」
起案した人が持って出た。持って出た先は、東の一番奥の部屋だ。
塔ではブラントが待っていた。
朝から、そこに立っていた。階段の下の二十三の箱を見ていた。見ているというより、数えていた。彼も数える人ではある。数えて、書かないだけだ。
「一階は終わりましたね」
「はい。二十三箱です」
「では、次の指示です」
彼は箱の一つに手を置いた。長い指だった。
「この二十三箱は、保存の期限が切れている。廃棄する。今週中に、中庭の焼却炉へ運びなさい。三班で」
廃棄。
わたくしは帳面を開いた。日付。時刻。二十三箱を廃棄、今週中に、中庭の焼却炉へ、三班で。
「監察官様。ご指示は、書面でいただけますか」
「必要ありません」
「廃棄の指示は、記録に残す規程が」
「監察官室の裁量で扱う。規程には、そう書いてあります」
同じ言葉だ。彼の規程は彼が使うものだ。
「では、もう一つだけ。この二十三箱の中身は、十年より前の演習記録です。俸給の欄に、額が書いてある年が含まれます」
「それが」
「見習い騎士の俸給の根拠が、ここにあります。廃棄なさると、根拠が無くなります」
ブラントはわたくしを見た。窪んだ目が、少しだけ、動いた。
「根拠は、主計課の俸給簿にある。演習記録は写しにすぎない。写しは、期限が切れれば廃棄する」
「主計課の俸給簿には、名前と額しかございません。演習に出たかどうかは、ここにしか」
「出たことになっている。それで足りる」
出たことになっている。
わたくしはその言葉を帳面に書いた。書きながら、秋の演習の帳面を思い出した。参加者一覧三十四名。班の合計三十名。出ていない四名が、出たことになっていた。
同じ手だ。同じ手が王都でも使われている。手を使った人は違うかもしれない。手は同じだ。
「三班の評価の件も、伺ってよろしいですか」
ノエルが、階段の下で、こちらを見た。見て、すぐ目を戻した。
「一班の分は評価簿に写されていて、三班の分だけ白いと聞きました」
「私は、評価しないとは言っていない」
「では、いつ」
「私が判断する」
彼は箱から手を離した。
「今週中に焼却炉へ。それが指示です」
わたくしは帳面を閉じなかった。閉じずに、彼を見た。
「監察官様。この指示を、書面でいただけないなら、せめてこの帳面に署名を」
「お好きに書きなさい。私は書かない」
「ご指示は書面で、と何度でも申し上げます」
「口で足りる」
彼は出ていった。扉の音は今日もしなかった。
扉が閉まると、二十三の箱が、急に重くなった気がした。
「焼くのか」
ノエルが言った。訊いているのではなかった。今週中に、と答えた。今日は週の三日目で、あと四日ある。四日、と彼は繰り返した。
彼は箱の一つを、指で叩いた。中で、帳面の角が鳴った。
「焼いたら、無くなる。焼かなかったら、指示に背いたことになる」
「はい」
「どうする」
「まだ、決めておりません」
決めていない、と言うのは、嘘ではなかった。決めていないことを、正直に言えるようになったのも、秋からだ。
ミレイユが二階から降りてきた。降りてきて、階段の途中で止まった。
「レティシア様。上の扉、今日、開いてました。鍵が掛かってなくて、少しだけ隙間が。中は暗くて、棚が一つ、見えました。棚に、番号の札」
彼女は指で空に数字を描いた。
「四十」
四十番。動かされた棚。
一階から二階へ。鍵の掛かる部屋へ。それが今日、隙間を開けていた。誰かが出入りしている。昨夜、二階の窓の隙間から漏れていた灯り。今朝、鍵の掛かっていない扉。
わたくしは帳面に書いた。四十、二階、隙間。
書いて、閉じた。閉じてから、二十三の箱を見た。
焼けと言われたものと、動かされたもの。どちらも無いことにされようとしている。無いことにする手は、同じだ。同じ手なら、防ぐ手も同じでいい。
先に、届けておく。
ただ、届ける先が、まだ無かった。
監察官ブラントが正面に立ちます。「出たことになっている」は、第1部の演習記録で使われたのと同じ手です。手を使う人が変わっても、手は変わりません。
二十三の箱を焼く期限は、あと四日です。
同じ手口が場所を変えて出てくるのが好きな方は、☆をひとつ。




