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悪女と呼ばれて処刑されたので、二度目の騎士学校では婚約者ではなく幼馴染を選びます  作者: 榊いおり


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第四十話 「雪の夜」

 朝、主計課へ行った。


 ヴェラは昨日と同じ席で、昨日と同じ帳面を開いていた。違うのは机の端に封が四つ置いてあることだった。昼の使いが集めに来る前の封だ。四つ。ミレイユの数えた数と同じだった。


 主計課の朝は墨を磨ることから始まるらしい。机の隅に硯があり、彼女は左手で墨を持ち、右手で帳面を押さえていた。磨りながら書けるように、墨は短く、帳面は開いたまま文鎮で留めてある。記録係は羽根ペンだった。ヴェラは筆だった。道具が違っても、押さえる手の形は同じだった。

 封を見ていると、彼女が顔を上げた。ご用でしょうか、と訊かれたので、昼の使いが東から戻るとき封の数が減らないと聞いたこと、増えることもあると聞いたことを、そのまま言った。


「受領書です」


 彼女は帳面の一頁を、こちらに向けた。回付、の帳面だ。番号の右に回付先、その右に日付、その右に、受領、の欄。


「回付した先が、受領書を返します。使いは、行きに封を運び、帰りに受領書を運びます。受領書が戻って、初めて費用を払います。払った控えが、ここに残ります」


 だから、減らない。行きの封と帰りの受領書は、数が同じになる。増えた一つは、前の日の分が遅れて戻っただけだろうと、彼女は言った。


 費用は主計課が払うのですね、と確かめた。払います、と彼女は言った。ただし、差出元に請求します。


「回付を求めた側です。学校からの照会なら、学校に。十年前の上申書なら、グレンヴィル男爵に。請求は、学校を通して」


 わたくしは息を整えた。


「請求の控えは、請求された側に開示されますか」

「規程には、そう書いてあります」


 彼女は眼鏡の縁を指で押し上げた。


「請求された側とは、学校です。学校の使者がお見えなら、開示します。控えには、受理番号と、回付先と、日付と、費用が書いてあります。写しではありません。主計課の帳面そのものです」


 監察官室に預けてある回付簿の写しは、非公開だった。同じ中身が、主計課の帳面に、費用の控えとして残っている。預けたのは写しで、控えは預けていない。控えは主計課のものだからだ。

 ブラントが非公開にしたのは、写しだけだった。


 明日、朝一番にお願いできますか、と頼んだ。今日は塔の仕事を終えなければならない。ブラントの指示は、一階を今週中に、だった。今週中、という言葉も帳面に書いてある。書いてある期限は、守る。守った上で、翌朝に帳面を開く。

 帳面を出しておきます、と彼女は言った。規程どおりです、と続けた。言ってから、少しだけ、付け足した。


「十年前の控えは、私が来る前のものです。私は五年目です。それでも、帳面は帳面です」


 塔の一階はその日で終わった。


 最後の棚の帳面を箱に入れ、二十三個の箱を階段の下に積んだ。ノエルが数え、ミレイユがもう一度数えた。二十三。二人の数が合って、初めて数が数になる。

 手元に残した厚い帳面は、鞄に入れた。ブラントは手元に置くなとは言っていない。言っていないことを、わたくしは帳面に書いてある。


 ブラントは夕方に来て、箱の数を見て、頷いた。頷いただけで、何も言わなかった。明日の指示も無かった。指示が無い日は、書くことが無い。書くことが無い日を、わたくしは帳面に「指示なし」と書いた。無いことも書けば残る。


 夜、雪が止んで、月が出た。


 宿舎の廊下の突き当たりに、外へ出る小さな扉がある。開けると、回廊の屋根の上へ出る足場になっていた。物見の兵が使う場所で、演習生が使う規程は無い。禁じる規程も無い。

 足場は板で、雪が踏み固められて滑る。滑るところには砂が撒いてあった。撒いたのは物見の兵で、撒いた理由は自分が滑らないためだろう。自分のために撒いた砂が、他人の足も止める。規程に無いものが、規程より役に立つことがある。

 屋根の上からは、王都が見えた。壁の内側に灯りが点々とあり、外側は黒い。黒いところが畑で、その先に学校がある。三日の道のりが、ここからは一つの闇に見えた。


 ノエルが先にいた。


 屋根の縁に腰を下ろし、膝の上で手を組んでいる。雪を払った跡が、彼の隣に一人ぶんあった。払ってから、待っていたのだと分かる跡だった。わたくしはそこに座った。石は冷たく、月は明るかった。


「推薦、要らないかもしれない」


 前置きも無く、彼は言った。


「白い欄を埋めてもらうために、あいつに頭を下げるなら、要らない」


 わたくしは屋根の下の中庭を見た。雪が青く、塔の影が長い。


「お父上は」

「怒るだろうな。怒っても、遠い」

「遠い、ですか」

「手紙は三日かかる。怒りも三日かかる。三日あれば、俺は別のことを考えられる」


 彼は膝の上の手を組み直した。


「家の名は、年内で返す。返したら、俺はただのノエルだ。ただのノエルに、公爵家の娘が」


 そこで、わたくしは彼の袖を掴んだ。掴んで、言葉を止めた。


「言わないでください」

「……レティシア」

「まだ、言わないでください。言われると、わたくしが先に答えてしまいます。答えるのは、決めてからにしたいのです」


 彼はわたくしの手を見た。袖を掴んだままの手を。それから、月を見た。


「お前、それは卑怯だぞ」

「はい」

「分かってて言ってるだろ」

「はい」


 彼は笑った。息が白かった。


「じゃあ、待つ」

「はい」

「待つのは慣れてる」


 同じ言葉を、彼は坂の下でも言った。同じ言葉が今日は少しだけ違って聞こえた。坂の下では十年の話だった。今日はこれからの話だった。


 袖を、離した。離しても、隣は暖かかった。


「明日、主計課の控えを開きます」


 話を戻した。戻さないと、戻れなくなりそうだった。


「十年前の回付の控えです。監察官が非公開にしたのは写しで、控えは主計課のものだそうです。学校の使者なら、請求された側として開示を求められます」


 彼は頷いた。頷いて、中庭の塔を見た。


「あの中で、四十番の棚がどこかに消えて、二階の扉に鍵が掛かってて、上には行くなと言われてる。それで、明日は帳面を開く」

「はい」

「お前、王都に来て一週間で、よくここまで積んだな」

「積んだのは、ヴェラとミレイユです。わたくしは、書いただけです」


 書いただけです。

 言ってから、記録係と同じ言い方だと気づいた。書くだけの人が、また一人増えた。増えたのが自分だと思うと、少しおかしかった。


「ノエル」

「なんだ」

「明日、隣にいてください」

「いる」


 それだけで足りた。足りるようになったのは、秋からだ。


 彼は立ち上がり、手を差し出した。左手だった。甲の古傷が月の光で白く見えた。わたくしはその手を取って、立ち上がった。取るのに、時間はかからなかった。


 扉を閉める前に、もう一度、中庭を見た。

 塔の窓に、灯りは無い。無いはずの灯りが、二階の窓の板の隙間から、一筋だけ漏れていた。


 誰かが上にいる。

 わたくしは帳面を出さなかった。出さずに、時刻を覚えた。書くのは、部屋に戻ってからでいい。覚えたものは、消えない。

 回廊の屋根の上は、物見の兵の場所です。演習生が使う規程は無く、禁じる規程もありません。ノエルはそういう場所を見つけるのが早い人です。

 主計課の控えは、明日開きます。非公開にされたのは写しのほうでした。

 ブックマークで、明日の朝一番に間に合います。

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