第三十六話 「三つの窓」
紙を三通、書いた。
夜のうちに書いて、朝、もう一度読んだ。三通とも同じ文面だ。王立騎士学校学長の使者として照会状の写しを文書課へ届け、受理番号四〇二を得たこと。学校の記録係が保管していた十年前の受領書三枚の写しを添えること。その三通の上申書が、受理ののちどこへ回付されたかを、照会すること。
差出はわたくしの名。日付。それだけだ。学長の名は使わなかった。使いの仕事は届けることで、照会するのはわたくしの仕事だ。事務長の言った通りだった。学生が物を言う規程は無い。無いから、学生として言う。
受領書の写しは、ノエルが取った。彼の字は角ばっていて、丸い頭文字までが四角くなった。それでも三枚とも、日付と綴りは正確だった。写した紙の下に、写した者の名として彼が署名した。訊かないのに、そうした。
三通をどこに出すのかと彼が訊いた。文書課と、監察官室と、主計課に、と答えた。主計課、と彼は繰り返した。回付には費用がかかる。使いの賃と紙代。それを払う課がどこかにあるはずだと、昨夜ヴェラの名も知らないうちに考えていた。
彼は少し考えて、頷いた。
「金の動いたところには、帳面がある」
「はい。お父上の帳面と、同じです」
朝の実技のあと、三通を持って回廊を回った。
文書課は二日前と同じだった。机が三つ、棚が一面。ケラーは同じ席で、同じように立ち上がり、同じ深さで頭を下げた。三通のうちの一通を差し出すと、彼は両手で受け取り、受理簿を開いた。受理します、番号は四一一。回付は、と訊くと、追って、と返った。
彼は笑った。笑い方まで二日前と同じだった。同じことを同じ形で返す人は、返している内容を見ていない。
わたくしは礼を言って、次へ向かった。
監察官室は回廊の西側にあった。
ブラントはいなかった。若い書記が一人、机で何かを写している。三通のうちの一通を渡すと、彼は困った顔をした。
「監察官殿は、受領書は要らないと」
「規程には、どのように」
「……受領は記録する、と」
「では、規程どおりに」
書記は机の抽斗を開け、小さな印を出した。押す前に、一度扉のほうを見た。扉は閉まっていた。押した。受領、監察官室、日付。名は書かなかった。書かない人の下で働く人は、書かない癖を貰う。それでも、印は押された。押されたものは残る。
主計課は、回廊の南側、宿舎の隣にあった。
扉を開けると、墨の匂いがした。文書課より狭く、棚が高く、帳面の背が全部同じ高さに揃っている。机は二つ。片方は空で、もう片方に、細い眼鏡の女が座っていた。三十前後。髪をきつく結い、袖を紐で絞っている。彼女は顔を上げ、わたくしを見て、紙を見て、また顔を見た。
「主計課へ、何のご用でしょう」
「照会をお届けに参りました。学校の一年、ヴァルトハイムと申します」
「ヴェラです。帳簿係です」
彼女は紙を受け取り、最初から最後まで読んだ。ケラーは読まなかった。書記は読む前に困った。この人は読んだ。読んで、机の帳面を開いた。
「受理します。番号は主計の連番で、九八」
彼女は印を押し、それから、別の帳面を開いた。帳面の背に、回付、と書いてある。
「回付先は、学務監室でよろしいですね。照会の相手が学務監室の文書課なので」
「……今日、回付されるのですか」
「規程には、当日と書いてあります」
彼女は回付簿に、番号と、日付と、回付先を書いた。書き終えて、紙を封に入れ、封に主計課の印を押し、机の端に置いた。端に置かれた封は、昼の使いが集めていくのだという。
「主計課は、規程どおりに動きます。他の課がどう動くかは、主計課の帳面には書いてありません」
規程にはそう書いてあります。
この人は、それをこれから何度も言うだろうと思った。記録係が「書くだけだ」と言うのと、同じ言い方だった。ただし、記録係より三十は若い。
午後、塔で箱を積んでいると、回廊のほうが騒がしくなった。
窓は少ないが、声は入る。ノエルが扉を細く開けて、外を見た。文書課長だ、走ってる、と彼は言った。東へ。学務監室のほうだ。
走る人を見たのは、王都に来て初めてだった。回廊は風を止めない造りで、走ると外套が後ろへ流れる。流れる外套の中で、襟だけが白く、乱れていた。
わたくしは箱を置いた。走る人を、見に行く必要は無い。走る理由なら、もう分かっている。
主計課から学務監室へ、今日、封が回った。文書課が「追って」と言った照会が、文書課を通らずに、学務監の机に着いた。学務監室は文書課に訊くだろう。この照会は何か。なぜ文書課にあるものが主計から来るのか。
夕方、文書課長のケラーが塔に来た。
息は整っていた。整えてから来たのだと分かる襟の直し方だった。彼は扉の内側で立ち止まり、頭を下げた。二日前と同じ深さだった。
「ヴァルトハイム嬢。少し、伺いたい」
「どうぞ」
「今朝の照会を、主計課にもお出しになりましたね」
「はい。監察官室にも」
彼の笑みが少し遅れた。受理番号を訊いたときと、同じ遅れ方だった。
「文書課が受理した以上、他課へ重ねて出される必要は」
「規程に、一箇所と書いてございましたか」
彼は答えなかった。答えない代わりに、襟をもう一度直した。
「回付は追って、と伺いました。追って、がいつかを伺えなかったので、当日と書いてある課へも出しました。それだけです」
ケラーはしばらくわたくしを見ていた。見て、頭を下げて、出ていった。走らなかった。走る理由はもう学務監室に置いてきたのだろう。
扉が閉まると、ミレイユが階段の途中から顔を出した。
「レティシア様。今の人、笑ってませんでした」
「はい」
「——なるほど」
ノエルが箱の上に腰を下ろした。一通目で足りなかったのか、と彼は訊いた。
「一通目は、止まりました。二通目は、押されました。三通目が、動きました。一つ動けば、止まっているものが見えます」
塔を閉める前に、主計課へ寄った。
ヴェラはまだ机にいた。灯りを点け、帳面を閉じているところだった。わたくしは鞄から、記録係の三枚を出した。写しではなく、本物のほうを。
「主計課に、署名の見本はございますか」
「あります。支払いの照合に使います」
彼女は棚から一冊を出し、頁を繰った。三枚の署名と、見本帳を、眼鏡越しに見比べる。
「オー・ケラー。文書課の書記の署名です。十年前は書記でした。今は課長です」
わたくしは息を止めなかった。止めるほど、意外ではなかった。丸い頭文字。文書課の名札。オーで始まる名前。
記録が無いと学長に返したのは、と訊きかけて、訊く前に彼女が言った。同じ方です。
ヴェラは見本帳を閉じた。閉じる手つきが、記録係が墨入れの蓋を閉じるときと同じだった。書くだけの人は、閉じるときも同じ形をする。
「文書課が受け取った、という記録は、主計課にはありません。ただ、受け取ったあとどこへ回したかは」
彼女は回付の帳面の背を、指で叩いた。
「回付簿の写しなら、主計にもあります。回付の費用を主計が払うので。十年前のものも」
「……十年前も」
「ただし、十年前の写しは、監察官室に預けてあります。保存の期限が切れたものは、監察官室が預かる規程です」
監察官室。書かない人の部屋。
「ありがとうございます」
「規程どおりです」
回廊に出ると、雪がまた降っていた。
三つの窓に、同じ紙を出した。一つは止まり、一つは押され、一つは動いた。動いた一つが止まっている一つを浮かせた。
十年前、上申書は三度届いた。届いたことは届けた人が覚えていた。受け取ったことは、受け取った人の署名が覚えていた。
その先が無い。
無いのではない。預けてある。
わたくしは、鞄の中の三枚を、封に戻した。読む段階に、来た。
主計課のヴェラは「規程には、そう書いてあります」の人です。記録係と同じ種類の人が、王都では若い女性の姿で座っています。
受け取った人と、記録が無いと言った人が同じでした。ただ、受け取った紙がどこへ回されたかは、まだ誰も言っていません。




