第三十三話 「王都の門」
三日目の昼に、雪が降った。
初雪だった。馬車の窓から見ると、道の両側の畑が白くなりかけていて、遠くに王都の壁が灰色に立っている。壁の上に塔が三つ。真ん中の一番高い塔が、騎士団本部だと御者が言った。
二晩を宿で過ごし、三日目は夜明け前に発った。宿の主人が包んでくれた麺麭は、昼には固くなっていた。固くなった麺麭を、六人で割った。割ると粉が落ちて、膝の上が白くなる。雪と同じ色だった。
馬車の中は狭かった。三班の五人と、ヨナス。代理教官は一班の馬車に乗っている。クラリスとジョゼットは、二日目の朝から王都の貴族の名前を交互に挙げ続けていた。
「ロワールの叔母様が言ってたの。王都の騎士団は、家の格で席が決まるって」
「それ、二十年前の話でしょ」
「今も同じよ。姉が先に言ったんだから」
「妹が先に言いました」
ミレイユは窓に張りついていた。壁が近づくにつれて、口が少し開いていった。
「大きいです」
「はい」
「壁、全部石ですか」
「全部石です」
「——なるほど」
ノエルはずっと黙って外を見ていた。彼は八つの年までこの街にいた。それから十年、戻っていない。何を見ているのかは、訊かなかった。
門で名簿を照合された。
門は二重になっていて、外の門を通ると石の詰所がある。詰所には火が焚かれ、門番が二人、机を挟んで座っていた。机の上に帳面。帳面の脇に、学校から先に送られた名簿。紙が届いてから人が届く。順番が学校と同じで、少しだけ落ち着いた。
門番が学校から送られた名簿と、こちらの持参した名簿を並べる。一人ずつ名を呼び、顔を見て、印をつける。ミレイユの番で、門番の手が止まった。
「字が違う」
「本人の署名です。学校の名簿は事務官の字で、こちらは本人の字です」
わたくしが言うと、門番は二枚を見比べ、それからミレイユの顔を見た。
「本人か」
「はい」
「通れ」
それだけだった。学校より短かった。短いのが不安なのか安心なのか、まだ分からなかった。
王都騎士団本部は、石の回廊でできていた。
回廊が四角く中庭を囲み、その外側に建物が並ぶ。柱は学校のものより太く、間隔が狭い。柱と柱のあいだに板は嵌められていない。王都の回廊は風を止めない造りだった。歩く人の外套が、みな同じ方向に膨らむ。
中庭の隅に、細い塔が一本立っている。窓が少なく、扉が厚い。記録庫だと、案内の兵が言った。
「一班は巡回の補助。三班は、記録庫の整理」
案内の兵は紙を見ずに言った。紙は持っていなかった。
「記録庫の整理、とは」
「監察官殿が指示される。俺は聞いただけだ」
聞いただけ。書いただけ、と似ているようで、少し違う。書いたものは残る。聞いたものは聞いた人の中にしか無い。
荷を置く前に、わたくしは文書課へ向かった。
文書課は回廊の北側にあった。扉に木の札。学務監室文書課。扉を開けると、机が三つと、壁一面の棚。棚には帳面が並び、帳面の背には年号と連番が書いてある。
一番奥の机に、五十前後の男が座っていた。髪は薄く、襟は白く、机の上には受理印と朱肉が並んでいる。彼は立ち上がって、頭を下げた。
「文書課長のケラーです。学校の方ですね」
「王立騎士学校の一年、ヴァルトハイムと申します。学長の使いで、照会状の写しをお届けに参りました」
わたくしは封を差し出した。彼は両手で受け取った。受け取り方が丁寧だった。
「受理します」
彼は封を開けもせずに、机の受理簿を開き、何かを書き、印を押した。受理簿は厚く、背が革で、頁の角が指の脂で丸くなっている。頁には上から下まで番号が並んでいる。連番だ。番号の右に日付、その右に差出、その右に受理印。一番右の欄は空いているものが多かった。何の欄かは遠くて読めない。押した印は朱く、きれいだった。
「回付は追って行います。学校へは、文書課から返答します」
「回付は、いつ頃に」
「追って」
彼は笑った。感じのいい笑い方だった。何も答えていない。
一度目の記憶に、この人はいない。当たり前だ。わたくしはここに来ていない。それでも、この笑い方には覚えがあった。四年後、わたくしの罪状を読み上げた人たちが、同じ顔をしていた。人の話を受け取って、受け取ったことだけを親切だと思っている顔。
「課長。ひとつ、伺ってよろしいですか」
「どうぞ」
「受理番号を、教えていただけますか」
笑みが少しだけ遅れた。
「……番号を」
「学長に、届けたと報告いたします。受理印を押していただいたと。そのとき、番号があれば、学長が控えに書けます」
彼は受理簿を見た。それから、わたくしを見た。
「四〇二です」
「四〇二」
「そう書きます」
彼は小さな紙に番号を書き、受理印を押して渡した。受理証、という文字が印刷されている。番号は四〇二。日付は今日。
番号がある。
番号があるものは、無いとは言えない。学長の言った意味が、紙を持って初めて分かった。
文書課を出たところで、呼び止められた。
「ヴァルトハイム嬢」
回廊の柱の陰に、背の高い男が立っていた。痩せていて、外套が長い。外套は風で膨らんでいなかった。柱の風下に、正確に立っている。顔に見覚えがあった。頬骨が高く、目が窪んでいて、何かを見ている顔なのに、何を見ているのか分からない。どこで見たのかを思い出す前に、彼が言った。
「秋に、一度お目にかかっていますね。学校で」
「……監査の」
「監察官のブラントです。三日、そちらにおりました」
王都から来た二人の監査官。書類を見て、事務長に話を聞いて、帰った人。あのとき、わたくしはこの人の顔を見ていなかった。見る理由が無かったからだ。
「三班は記録庫の整理です。明日から。塔の一階、棚の番号順に埃を払って、期限の切れたものを箱に分ける」
「期限の切れたもの、とは」
「私が言います。その都度」
彼は懐から鍵を出した。大きくて、鉄でできている。
「記録庫の鍵です。あなたが持ちなさい」
「受領書は」
「要りません」
彼は鍵をわたくしの手に置いた。
「私が渡したと、覚えていればいい」
覚えていれば。
書かない人だ、と思った。書かないで、覚えていろと言う人。
鍵は重かった。重いものを、軽く持てと言われた気がした。
宿舎は回廊の南側で、学校の寮より天井が低かった。部屋は三班の女四人で一つ。寝台が四つ、窓が一つ、机が一つ。ミレイユが窓側の寝台を取り、双子が扉側で並び、わたくしは残った奥の寝台に鞄を置いた。壁の石が冷えていて、寝台の縁に触れると指が引っ込んだ。
夕方、その寝台の上で鞄を開けると、学長の封は無くなっていて、代わりに受理証が一枚あった。四〇二。記録係の三枚は、そのままだ。
三枚の署名を、もう一度見た。丸い頭文字。読めない綴り。
文書課の机の上に、受理印と朱肉があった。その隣に、課長の名札があった。
オズヴァルト・ケラー。
オー、で始まる。
わたくしは三枚を封筒に戻した。まだ、読む段階ではない。ただ、読む段階が来ることは、分かった。
受理番号四〇二は、この作品でレティシアが王都で最初に手に入れた「記録」です。三行の返事より短いですが、数字は消えません。
記録庫の鍵は、受領書無しで渡されました。渡した人がそれを覚えているかどうかは、これからの話です。




