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悪女と呼ばれて処刑されたので、二度目の騎士学校では婚約者ではなく幼馴染を選びます  作者: 榊いおり


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第三十二話 「使いの荷」

 出発の三日前に、事務長に呼ばれた。


 事務室は、査問の日から少しだけ配置が変わっている。台帳の棚が窓側に寄せられ、閲覧の机がひとつ増えた。増やした理由を訊いた人はいないらしい。訊かれれば、規程どおりと答えるのだろう。


「ヴァルトハイム嬢。学長から封を預かったと聞いた」

「はい」

「届けるだけにしなさい」


 事務長は書類から目を上げなかった。


「学生が文書課に物を言う規程は無い。学長の使いなら、封を渡して受理印をもらう。それで終わりだ。中身について文書課長に何か訊くのは、使いの仕事ではない」

「訊いてはいけない、と規程にございますか」

「無い。無いが、訊いても答える規程も無い」


 彼はそこで初めて顔を上げた。怒っているのではなかった。困ってもいなかった。ただ、何も期待していない顔だった。


「秋のことは、私も見ていた。よくやったと思う。ただ、王都は学校ではない。あそこには学長がいない」


 わたくしは頭を下げて、事務室を出た。

 廊下は寒かった。よくやったと思う、と言われて、嬉しくなかった。あの人はわたくしを止めたのではない。わたくしがやることを、最初から数に入れていなかった。


 その足で、回廊の記録係のところへ行った。


 回廊は冬の支度が済んでいて、柱のあいだに板が嵌められている。板の隙間から風が入り、記録係の机の紙が端で小さく動く。彼は紙の端に文鎮を置き、それでも動く分は指で押さえていた。四十年、同じ席で、同じ風を押さえてきた手だ。


 記録係はいつもの席にいた。羽根ペンと、墨入れと、四十年ぶんの背中。わたくしが前に立つと、彼は書き終えるまで顔を上げなかった。書き終えて、墨入れの蓋を閉めてから、言った。


「王都に行くそうだね」

「はい。学長の使いで」

「そうか」


 彼は引き出しを開け、紙を三枚出した。黄ばんで、端が丸くなっている。


「十年前のものだ。上申書を三度、学校の使いが王都へ運んだ。運んだ者は、向こうで受領書をもらって帰る。それがこれだ」


 わたくしは三枚を受け取った。

 紙は学校のものより薄く、王都の透かしが入っている。折り目が二本。使いが懐に入れて三日運んだ折り目だ。十年経って、折り目のところだけ色が濃くなっている。

 どれも同じ書式だった。上申書一通、受領、日付。日付は三つとも違う。三箇月のあいだに三度。下に、署名がある。


「……読めません」

「わしも読めん。王都の書記は字が下手だ」


 署名は、丸い頭文字と、その後ろに崩れた綴りが続いていた。頭文字だけは分かる。丸いから、たぶんオー。後ろは、線が繋がりすぎていて、名前の形をしていない。


「発送は学校の記録だ。だからわしが取っていた。向こうに着いたかどうかは、向こうの記録だ。わしは知らん」


 彼はそう言って、また蓋を開けた。


「持っていきなさい。読まれる日が来たら、読めばいい」


 わたくしは三枚を封に重ね、鞄の一番奥に入れた。鞄の中で、学長の封と記録係の三枚が、同じ厚さになった。


 寮の廊下で、ヨナスに会った。


「ヨナス様」

「その様、やめてください。二年なので」

「では、ヨナス」


 彼は少し笑った。厨房の匂いがまだ残っている。演習の引率補助に、二年の特待生が一人つく。それがヨナスだった。去年、編成外で演習に出なかった彼が、今年は引率の側で王都へ行く。


「王都、初めてです。俺」

「わたくしも、初めてです」


 言ってから、自分で少し驚いた。一度目のわたくしは、四年をこの学校で過ごした。四年のあいだに、年末の実地演習は四度あったはずだ。なのに、王都の記憶が無い。


「ヴァルトハイム様は、公爵家でしょう。王都のお屋敷が」

「ございます。ただ、この学校に入ってからは、一度も」


 ヨナスは、なるほど、と言いかけて、言わなかった。ミレイユの口癖がうつりかけているのかもしれない。


 夕方、参加者名簿の正本が事務室に出された。


 正本は閲覧の机に広げられ、事務官が脇に立った。名簿の左に学校の印、右に署名の欄。欄は十一あって、十一人ぶんの線が引いてある。線は定規で引かれていて、一本も曲がっていない。曲がっていない線に、曲がった字を書くのは勇気が要る。

 参加する生徒は、各自で署名する。名簿の前に列ができた。ミレイユは列の一番後ろに並んでいた。前の生徒が署名して離れるたびに、一歩ずつ前へ出る。順番が来て、彼女はペンを取った。


 時間がかかった。事務官が少し待った。ミレイユの手は止まらなかった。ゆっくりで、四角くて、線がところどころ震えていて、それでも名前の形をしていた。


 書き終えて、彼女はペンを置いた。事務官が名簿を覗き、何も言わずに次の生徒を呼んだ。何も言わない、というのが、この学校でいちばん公平な扱いだった。


「——書けました」


 彼女はわたくしを見て、小さく言った。わたくしは頷いた。それ以上は言わなかった。言えば、大きくなりすぎる。


 夜、中庭の石段に、ノエルが座っていた。


 石段は三段あって、彼はいつも二段目に座る。一段目は湿るし、三段目は背中に壁が当たる。二段目だけが座って前を見るのにちょうどいい。半年で、そういうことを覚えた。

 もう座るのに理由は要らない。隣に座った。石は冷たかった。彼は膝の上に紙を置いていた。折り目が多く、何度も開いた紙だと分かる。父からの手紙だと、訊く前に言った。


「推薦の話だ」

「騎士団の」

「王都の演習で評価が付く。上位なら、卒業を待たずに推薦が出る。それを取れって」


 彼は紙を折った。


「家の名は、年内で返す。返す前に、俺の名で取れるものは取っておけと。そういう手紙だ」

「お父上らしいですね」

「らしい」


 しばらく、二人とも黙っていた。中庭の木は葉を落としていて、枝のあいだから星が見えた。


「レティシア」

「はい」

「お前、王都で何かする気だろ」

「封を届けます。受理印をもらいます」

「それだけか」

「それだけです」


 彼はこちらを見た。見て、笑った。


「嘘だな」

「……はい」


 言ってしまってから、少し楽になった。この人に嘘をつくのは、もう疲れる。


「評価は、誰が付けるのでしょう」

「知らん。向こうの誰かだ」


 向こうの誰か。記録が無いと言う人と、評価を付ける人。同じ人かもしれないし、違うかもしれない。


 部屋に戻って、わたくしは机に向かった。


 ミレイユはもう眠っている。灯りを小さくして、紙を一枚出した。秋に書いた紙は、今も抽斗の奥にある。井戸。落馬。剣術試合の日付。外れたものに印をつけ、残ったものを数えた紙だ。その隣に、新しい紙を置く。

 覚えていることを書き出す。秋にしたのと同じことだ。ペンを持ち、日付を書き、年末、と書いた。そこで手が止まった。ただ、今度は書けなかった。

 一度目の年末。王都。演習。何も出てこない。井戸や落馬のように細部がずれているのではない。最初から、何も無い。


 一度目のわたくしは、年末に王都へ行っていない。


 そこまでは分かった。なぜ行かなかったのかは、分からなかった。査問の日を境に、一度目の記憶は急に薄くなる。薄い、というより、その先が続いていない。

 わたくしは紙を二つに折った。折ってから、開かなかった。


 今回は記憶に頼れない。

 それが、少しだけ怖くて、少しだけ、よかった。

 記録係の三枚の受領書は、十年前に王都で押されたものです。署名が読めないのは、まだ読む段階ではないからです。

 三日後、王都に着きます。届く先が正しいかどうかは、届けてみるまで分かりません。

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