第三十話 「改竄前と、改竄後」
広間には、人が集まっていた。
査問は公開ではない。ないはずだった。それでも扉は開いていて、廊下まで生徒が並んでいた。誰も追い出さなかった。追い出す規程が無かったからだと、あとで事務官が言った。
正面に三人。学長と、事務長と、フォルカー・ハイム教官。
わたくしは中央に立った。膝はつかなかった。今日は誰にもつかされなかった。
「一年ヴァルトハイム・レティシア」
事務長が読み上げた。
「学校の記録の無断閲覧および外部への持ち出しの疑いにより、査問を行う。事実に相違ないか」
わたくしは、答えなかった。沈黙が広間に落ちた。
「答えなさい」
「……」
「ヴァルトハイム嬢。答えないのかね」
わたくしは、一度だけ頭を下げた。
「本日の申し立ては、この場では受け付けないと掲示にございました。書面は事前に提出しております。書面をお読みいただいてから、お答えいたします」
事務長が言葉に詰まった。学長が、机の上の紙を持ち上げた。
「読んだ。一行だけだね」
「はい」
「台帳を確認せよ、と」
「はい」
学長は事務長を見た。
「確認したかね」
「……いえ」
「では、確認しなさい」
台帳が運ばれるまで、四半刻かかった。そのあいだ、わたくしは黙って立っていた。人垣がざわめき、静まり、またざわめいた。
台帳が届いた。学長が頁をめくった。めくる音だけが広間に響いた。
「……全部、残っているね」
彼は顔を上げた。
「閲覧の日付。立会人。返却の時刻。全部、署名がある」
「はい」
「無断ではないな」
事務長が何か言いかけて、やめた。
「持ち出しはどうかね」
「しておりません。写しは自分の手帳に取りました。手帳は持ち出しには当たらないと、閲覧の規程にございます」
学長は頷いた。
「では、この査問の事由は成立しない」
人垣が動いた。
わたくしは、そこで一歩前に出た。
「学長。申し立てをさせていただけますか」
「事由が成立しない以上、査問は終わりだ。申し立ての制限も終わる」
わたくしは鞄を開けた。そして、紙を並べた。
四十七行の日付表。三冊の帳面の写し。五人の証言。三年生と二年生が書いた紙。ビアンカの写し。倉が空だったという一行。
最後に、名簿の写しを二枚。
「これは、今の名簿です」
一枚目を掲げた。
「三十六名。うち六名は、あとから足されています。墨の色が違います。代筆欄には、監査の前日に記載が加えられました」
二枚目を掲げた。
「これは、書き足される前の名簿です」
広間が、しんとなった。
「三十名。六名の欄は、白紙です」
学長が身を乗り出した。
「……それは、どこから」
「西の倉庫の書き損じは、一昨夜になくなりました。台帳に記載しております」
わたくしは、二枚目の紙をゆっくり回した。
「ですから、これは書き損じではありません。昨年度の写しです。記録係が、四十年分すべての台帳の初葉を、写して残しておられました」
人垣の後ろで、白髪の老人が身じろぎした。
「読まれる日が来ると思って書いておられなかったそうです。来たときに、無いのが嫌だと」
学長は、二枚を並べて見比べた。長い時間だった。そして、フォルカー・ハイムを見た。
「ハイム君」
彼は、動かなかった。
「説明は」
「……」
「無いのかね」
わたくしは、彼を見た。
この人は、半年間、一度も嘘をつかなかった。規定が無いと言い、記録すると言い、訊かれれば述べた。全部本当だった。
本当のことだけで、二十数人を消した。
「教官」
わたくしは言った。
「あなたが作られた手順の一番上には、こう書いてあるそうです。必ず本人に言わせること」
彼の目が、初めて揺れた。
「ミレイユ・カルヴァンには、自分の名前をなぞらせました。ビアンカ・オルセンには、突き飛ばされたと言わせました。辞めていった生徒には、一身上の都合に丸をつけさせました」
わたくしは、一度息を継いだ。
「そして今日、わたくしにも言わせようとなさいました。見ました、と」
広間の空気が張った。
「言いませんでした」
彼は、何も言わなかった。わたくしは、最後の紙を持ち上げた。読み上げる順序を書いた紙だ。
「では、わたくしが自分の口で申し上げます」
声は、震えなかった。
「一、王立騎士学校の入学者名簿は、五年にわたり、毎年三名から六名を後から書き加える形で改竄されています。合わせて二十四名です」
人垣が静まった。
「二、書き加えられた生徒の出身地には、実在しない領地、あるいは既に消滅した家の名が用いられています。グレンヴィル男爵領の名は、領地が手放されたのちも三年前まで使われました」
誰かが息を呑んだ。
「三、十年前、グレンヴィル男爵はこの不正に気づき、学務監へ三度上申しました。三度とも返答はありませんでした。その直後、同家は領地を手放しています。売却の条件には口外禁止が含まれていました」
ノエルは、人垣の前のほうにいた。わたくしは、彼を見なかった。見たら、声が揺れると思った。
「四、書き加えに用いる紙は、オルセン商会から納入され、学校の会計とは別の資金で支払われています。受領書の署名は、F・ハイム」
事務長が、椅子の背を掴んだ。
「五、書き加えられた生徒は、班に編成されず、演習に参加した記録だけが作られ、二年以内に大半が退学しています。退学理由は三つの選択肢しかありません」
わたくしは、紙を下ろした。
「以上が、台帳に書かれていることです」
そして、最後の一行を、紙を見ずに言った。
「わたくしが申し上げたいのは、ここからです」
広間の全員が、こちらを見ていた。
「この五年で名簿に書き足された生徒は、二十四名です。うち十五名が、二年以内に退学しています。その十五名の名前を、わたくしは全部書き写しました。どこにいらっしゃるかは、誰も知りません。連絡先を届け出るのは任意だからです」
わたくしは、手帳を掲げた。
「探せません。ですから、せめて数えます」
声が、少しだけ掠れた。
「数えられていない人がいるということを、記録に残していただきたい。それが、わたくしの申し立てです」
長い、長い沈黙があった。
学長が、羽根ペンを取った。震えた字で、何かを書いた。
「ヴァルトハイム嬢の申し立てを、記録する」
そして、事務長に言った。
「ハイム君の職を停止する。王都の学務監へ、私の名で照会を出す。三度返答が無かった件についても、同時に問う」
人垣が、動いた。
フォルカー・ハイムは、立ち上がった。誰も彼を押さえなかった。押さえる必要が無かった。
彼はわたくしの前を通り過ぎるとき、足を止めた。
「ヴァルトハイム嬢」
「はい」
「よく調べましたね」
学長室で聞いたのと、同じ言葉だった。同じ言葉なのに、今日は微笑んでいなかった。
「教官。ひとつだけ、伺わせてください」
「なんだね」
「なぜ、六名だったのですか」
彼は、少し黙った。
「二十名だと、気づかれる」
それだけ言って、彼は広間を出ていった。
その日の夕方、掲示板に紙が貼られた。
わたくしの査問が不成立であったこと。ハイム教官の職務停止。学務監への照会。
そして、代筆によって入学した生徒の在籍が有効であること。
わたくしは、その紙の前に立っていた。貼られた紙は、消えない。紙の隣に、もう一枚あった。事務室からの短い通達だった。
《当校の紙および備品の納入について、オルセン商会との取引を当面停止する》
その一行が何を動かすのかを、わたくしはしばらく考えた。
オルセン商会は、この秋、借りのある家に一斉に期日を繰り上げた。ロシュフォール家にも、グレンヴィル家にも。
急いだのは、公爵家が動いたと知ったからだ。急ぐ理由が、今日で消えた。
学校との付き合いが切れれば、商会がここに置いていたものも切れる。名簿を書き足す紙も、それを頼んでいた人も。
商売としては薄い仕事だったと、ビアンカの父は言っていたそうだ。薄い仕事は、理由が無くなればやめる。
エイドリアン・ロシュフォールが、掲示の端に立っていた。
目が合った。彼は何も言わなかった。わたくしも言わなかった。彼はただ、通達の一行を長いこと見ていた。
「レティシア様」
ミレイユが隣に来た。掲示を見上げている。
「読み上げましょうか」
「いいえ。今日は、ご自分で」
彼女は目を丸くし、それから、掲示に一歩近づいた。
時間がかかった。つかえながら、指で文字を追いながら、彼女は最後まで読んだ。
読み終えて、こちらを向いた。
「——なるほど」
わたくしは笑った。
中庭に出ると、ノエルが石段にいた。わたくしは隣に座った。もう、座るのに理由が要らなくなっていた。
母の時計を出す。針は動いている。わたくしは蓋を開け、裏蓋も開けた。母の字と、自分の字。四年後の日付。
その日付を、わたくしは指でなぞった。
消さなかった。消す必要が無いと思った。あれは、まだ来ていない。来ないかもしれないし、来るかもしれない。
どちらでも、今日のわたくしは、ここにいる。
「レティシア」
「はい」
「終わったのか」
「終わっておりません」
わたくしは、時計の蓋を閉じた。
今朝、学長室を出るとき、記録係に呼び止められた。彼は言った。
——わしが写しを取ったのは、この学校の台帳だけだ。王都の学務監に出した上申書の控えは、向こうにある。
三度出して、三度返答の無かった上申書。握り潰した誰かが、王都にいる。
「ノエル。写しは、二部ありました」
「二部」
「一部はここにありました。もう一部は、王都です」
彼は、しばらく黙っていた。
「行くのか」
「いつかは」
「そうか」
彼は膝の上で手を組み直した。
「じゃあ、剣の稽古を増やすか」
夕日が落ちていく。明日から、後期の課程が始まる。
わたくしは、まだ数えていた。今度は、過ぎた日ではなく、これからの日を。
学長が王都へ出した上申書の控えは、まだ王都にあります。




