↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女と呼ばれて処刑されたので、二度目の騎士学校では婚約者ではなく幼馴染を選びます  作者: 榊いおり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/60

第二十六話 「母の時計」

 五日前。


 わたくしは、帳面を写した。


 三冊分すべてではない。名簿に関わる十七頁だけを、一字も変えずに写した。写しながら、何度か手が止まった。

 《返答なし》を三度写すのが、いちばん時間がかかった。


 写しは三通作った。一通は書面に添える用。一通は記録係に預ける用。一通は自分で持つ用。

 やり方は、四十七行のときと同じだ。同じやり方を二度使うのは、たぶん良くない。良くないと分かっていて、ほかに思いつかなかった。

 思いつかないときは、うまくいった手を繰り返す。繰り返す人の手つきは、外から見ると読みやすい。


「レティシア様」


 ミレイユが炭を置いた。この頃は、毎晩机を並べている。彼女はもう、短い文なら自分で書ける。


「疲れてませんか」

「疲れております」

「素直ですね」

「疲れていないと言うと、ノエルに叱られますので」


 彼女は笑った。


「レティシア様、変わりましたね」

「そうでしょうか」

「最初の頃、なんでもひとりでやってました」


 言われて、思い返した。


 最初の三日、わたくしは誰にも何も言わなかった。記録係に台帳を見せてもらい、司書に立会いを頼み、それだけだった。頼んだのは手続きであって、人ではなかった。


「今は、いっぱい人がいます」


 ミレイユは指を折った。


「わたしと、ノエルさんと、クラリスさんとジョゼットさんと、記録係のおじいさんと、医務室の先生と、ヨナスさんと、事務官さんと」

「事務官様は、数に入りますか」

「入ります。あの人、最近レティシア様が来ると台帳出して待ってます」


 わたくしは笑った。笑ってから、笑えたことに驚いた。

 一度目の四年で、わたくしは何度笑っただろう。数えられる気がした。数えられるということは、少なかったということだ。


 その夜、ビアンカ・オルセンが部屋を訪ねてきた。


 扉を叩く音が小さすぎて、最初は気のせいかと思った。開けると、彼女が立っていた。手に、何も持っていない。


「……お邪魔します」

「どうぞ」


 ミレイユが席を立とうとしたが、ビアンカが首を振った。


「いてください。二人に話します」


 彼女は椅子に座らず、立ったまま言った。


「うち、取引が減りました」

「わたくしのせいですか」

「違います。監査が入ったからです。学校が、しばらく紙を別のところから買うことにしたそうです」


 わたくしは言葉を探した。


「……ごめんなさい」

「謝らないでください。うち、そのぶん困ってません」


 彼女は少し笑った。


「父が言ってました。学校の紙は、儲けが薄いって。あれは商売じゃなくて、付き合いだって」

「付き合い」

「はい。誰かに頼まれてやってた仕事だって」


 誰か。


「その方のお名前を、お父上はご存じですか」

「知ってます」


 ビアンカはそこで、深く息を吸った。


「でも、言いません」


 わたくしは頷いた。


「父を守りたいので。ずるいのは分かってます」

「ずるくありません」

「ずるいです。わたし、いつもそうです」


 彼女は自分の手を見た。


「でも、ひとつだけ持ってきました」


 そう言って、袖から一枚の紙を出した。薄い紙だった。折り目が三つ。


「写しです」

「……写せないと」

「はい。だから、ミレイユさんに教わりました」


 わたくしはミレイユを見た。彼女は小さく頷いた。


「三日かかりました」


 ビアンカは紙を机に置いた。


 細くて右に倒れた字ではない。丸くて大きい、彼女自身の字だった。字は下手だった。行が曲がっている。読めた。


 一番上に、こう書いてあった。《必ず本人に言わせること》


 わたくしは、その紙を両手で持ち上げた。


「ビアンカ様」

「返さなくていいです。それ、わたしの字なので」


 彼女は扉に手をかけた。


「レティシア様。わたし、あなたのこと、やっぱりあんまり好きじゃないです」

「存じています」

「でも、あなたの前だと、嘘をつくのが下手になります」


 扉が閉まった。


 四日前。


 朝、机の上で音がした。


 小さな、金属が鳴る音だった。わたくしは寝台から起きて、机を見た。母の懐中時計が、動いていた。針が、進んでいる。


 わたくしは時計を持ち上げた。手が震えて、二度落としかけた。

 止まっていたはずだった。十年、止まっていた。四年後の朝の刻で止まって、それから一度も動かなかった。


 耳に当てると、小さな音がした。生き物のような音だった。


「どうしたんですか」


 ミレイユが寝台から顔を出した。


「……動いています」

「時計ですか。よかったですね」

「よくありません」


 わたくしは、なぜ「よくありません」と言ったのか、自分でも分からなかった。


 止まっていたことに、わたくしは意味を持たせていた。母が死んだ刻でも、処刑の刻でもある時刻で止まっている。それが、わたくしが二度目にいることの証拠のように思えていた。


 動き出したということは、証拠が消えるということだ。これはただの古い時計になった。


 その日の午後、わたくしは時計を持って、街の時計職人を訪ねた。学校から半刻の距離だ。外出は届け出が要る。届け出は、もちろん出した。


「これは、動きますよ」


 老人は片眼鏡を外して言った。


「今、動いています」

「そりゃ、動くからね」

「十年、止まっておりました」

「止まってた理由が無くなったんでしょう」


 彼はわたくしに時計を返した。


「こういうのはね、埃か、油か、ぜんまいの巻き癖だ。長く持ち歩いてると、体温と揺れで少しずつほぐれることがある。十年かかることもある」


 あっけない答えだった。

 わたくしは、仕掛けがあってほしかったのだと思う。仕掛けがあれば、止まっていた十年に意味があったことになる。


「仕掛けは、無いのですね」

「仕掛けって、なんの」

「……いえ」


 老人は片眼鏡をかけ直した。


「お嬢さん。時計ってのは、時間を作るもんじゃない。時間を数えるもんだよ」


 その一言が、なぜか胸に落ちた。


 帰り道、わたくしは時計の音を聞きながら歩いた。


 この十年、わたくしはこれを握って何を数えていたのだろう。

 母が死んでからの日数か。四年後までの日数か。間に合わなかったものの数か。


 どれでもいい。

 数えていたのは、過ぎたことだった。


 止まった針は、過ぎたことしか指せない。動く針は、これからを指す。


 学校の門をくぐったところで、ノエルに会った。


「外出か」

「時計を見ていただいてまいりました」

「壊れたのか」

「動きました」


 彼は目を丸くした。


「動いたのか。よかったな」

「ええ」


 今度は、素直にそう言えた。


「ノエル。ひとつ、お伝えしておきたいことがございます」

「なんだ」

「四日後、わたくしは学長室で全部出します」


 彼は頷いた。


「近くにいる」

「はい。それと、もうひとつ」


 わたくしは、時計を握った。針が動いているのが、掌に伝わる。


「あの日、わたくしは、あなたに『来ないでください』と言うつもりでした」


 ノエルの眉が上がった。


「言わないのか」

「言いません」


 風が門をくぐった。夏の匂いがした。


「わたくしは、あなたを遠ざけることで守ろうとしていました。それは、あなたに何も言わずに決めることです。同じことを、あなたのお父上がなさいました」


 彼は黙って聞いていた。


「守るために黙るのは、たぶん、いちばんやってはいけないことでした」


 ノエルは、長く息を吐いた。


「お前、ちゃんと反省するよな」

「褒めていらっしゃいますか」

「褒めてる」


 彼は笑った。


 その夜、わたくしは机に向かって、最後の一枚を書いた。


 四日後、学長室で読み上げる順序だった。

 一、名簿の書き換え。二、印の不正使用。三、上申の握り潰し。四、生徒に自分の名を書かせた手順。


 書き終えて、わたくしは一行足した。五、それを、わたくしが自分の口で言うこと。


 時計が、机の上で鳴っていた。

 止まっていた時計が動きます。仕掛けではありません。この作品では、戻ってきた理由を最後まで説明しないと決めています。

 説明してしまうと、レティシアが何を数えていたのかという話でなくなるからです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。