第36話 攫われた金眼
展望階の白い光は、完全には消えていなかった。
陽鞠が必死に結界を押し戻し、救護班が朔夜の頭部を固定し、A級退魔師たちが残った黒い妖気を焼き払っても、空気の奥にはまだ白い熱が残っていた。割れたガラスの断面に、細い光がまとわりついている。床に残った黒い五芒星の焼け跡からは、煤のような霊気がかすかに立ち上っていた。
陽鞠は、朔夜の手を握ったまま座り込んでいた。
右手薬指の指輪が、まだ熱い。
朔夜の左手薬指の指輪と触れ合うたび、ちり、と小さな音が鳴る。その音が途切れないことだけが、陽鞠の呼吸を支えていた。
朔夜は救護班の結界布に頭部を固定され、床から動かされない状態で処置を受けている。銀髪に染みた血は清浄布で押さえられているが、赤はまだ残っていた。白い灯りの中で見るそれは、現実感が薄いほど鮮やかだった。
「朔夜、聞こえる?」
陽鞠は何度目かわからない問いを繰り返した。
朔夜の瞼が重く揺れる。
「……聞こえる」
声は掠れている。
けれど、返ってくる。
陽鞠は喉の奥が痛くなるほど息を吸った。
「私の名前」
「篠宮、陽鞠」
「うん。朔夜は?」
「綴喜、朔夜」
「ここにいる?」
「いる」
「私の隣?」
「……いる」
それだけで、陽鞠は崩れそうになる。
でも、崩れない。
今は、朔夜の意識を繋ぐ。
結界を保つ。
玻月に引き出された白い光を、二度と暴走させない。
それだけを考える。
救護班の女性退魔師が、短く指示を出した。
「移送準備。頭部固定を解除せず、担架結界へ乗せる。篠宮さん、手は握ったままでいい。ただし移動時に結界が揺れる。あなたの保護膜をこちらに合わせて」
「はい」
陽鞠は頷いた。
手を握ったまま、左手で朔夜の周囲に張った保護結界を細く整える。白くなりかけていた光は、金色に戻した。今は自分の意思で動かせている。けれど、胸の奥にはまだ熱が残っていた。
玻月が言った言葉。
君だ。
狙いの中心は、最初から君だ。
思い出すだけで、胃の底が冷える。
朔夜を傷つけ、朔夜の魂を揺らし、妖たちをひれ伏させたのは、陽鞠の反応を見るためだった。
朔夜の血も。
陽鞠の叫びも。
金眼の暴走も。
全部、待たれていた。
その事実が、気持ち悪くて、腹立たしくて、怖い。
でも、考えすぎるとまた結界が揺れる。
陽鞠は朔夜を見る。
朔夜を見ると戻れる。
朔夜の手を握っていると、自分の名前を思い出せる。
「陽鞠」
朔夜が低く呼んだ。
「何?」
「あいつは」
「いない」
「気配は」
「今はない」
「嘘つくな」
陽鞠の息が止まる。
朔夜の黒い瞳が、かすかに開いていた。
血の気の薄い顔。
痛みで霞んだ目。
それでも、彼は何かを感じ取っている。
「……いるの?」
陽鞠が小さく聞く。
朔夜は答えようとして、眉を歪めた。
頭の傷が痛むのだろう。呼吸が乱れ、救護班の札が震える。
「綴喜さん、喋りすぎないで」
救護班が制止する。
朔夜はそれでも、陽鞠の手を握った。
「陽鞠、離れるな」
「離れない」
「指輪……」
「鳴ってる。大丈夫」
陽鞠は自分の指輪を、朔夜の指輪へ触れさせた。
ちり。
音が鳴る。
熱もある。
繋がっている。
そう思った瞬間、展望階の外周に残っていた白い光が、静かに波打った。
音もなく。
誰も気づかないほど、薄く。
ただ、陽鞠の金眼だけが、その揺れを捉えた。
割れたガラスの端。
黒い五芒星の焼け跡。
救護班の清浄灯の影。
それらが重なる場所に、白手袋の指先が現れた。
陽鞠の全身が凍った。
「……御影堂」
声が出るより早く、朔夜が動いた。
動けるはずがなかった。
頭部を固定され、出血し、霊力も揺れている。それでも、朔夜は陽鞠の手を引き寄せようとした。身体を起こそうとする。救護班の結界布が軋んだ。
「綴喜さん、動かないで!」
救護班が押さえる。
朔夜の顔が苦痛で歪む。
それでも、彼は陽鞠の手を離さない。
「陽鞠!」
白い光の隙間から、玻月が現れた。
黒い長衣。
濡羽色の髪。
白手袋。
紫紺の瞳。
展望階に残っていた白い光の裂け目を、まるで扉のように使っている。陽鞠が暴走しかけた結界の名残。朔夜の血で揺れた指輪反応。黒い五芒星の残滓。そのすべての継ぎ目を読み、そこから現れた。
A級退魔師が即座に霊符を投げた。
かがりの遠隔結界も反応する。
黒い拘束線が玻月の周囲へ走る。
しかし、玻月はほんの半歩ずれただけだった。
霊符は彼の肩を掠りもしない。
拘束線は、彼の立っていた空間を縛っただけで、白手袋の指先はもう別の場所へ移っている。
「篠宮陽鞠」
玻月が呼んだ。
陽鞠は朔夜の手を握りしめたまま、刀へ手を伸ばした。
「来ないで」
「もう遅い」
「来るな!」
陽鞠の金色の結界が跳ねる。
だが、玻月は正面から来なかった。
彼の白手袋が、陽鞠の結界へ触れるのではなく、朔夜と陽鞠の指輪の間に生じた熱へ触れた。
触れられるはずのないものへ。
音へ。
反応へ。
ちり、と鳴っていた指輪の響きが、突然歪んだ。
きん、と嫌な音がする。
陽鞠の指輪が冷えた。
「え……?」
朔夜の指が、陽鞠の手を強く握る。
だが、その感触が一瞬、遠くなった。
手は繋がっている。
指は触れている。
それなのに、指輪の反応だけが薄くなっていく。
熱が消える。
音が消える。
繋がっていた霊力の細い橋が、白い刃で切られるように断たれていく。
「やめて!」
陽鞠が叫ぶ。
朔夜が身体を起こそうとする。
「御影堂っ!」
怒声。
だが、その声の直後、朔夜の頭部固定結界が激しく揺れた。彼の顔が苦痛で歪み、身体が傾く。救護班が慌てて押さえる。
「動かないで! 頭部出血が!」
「離せ!」
「動いたら危険です!」
「陽鞠が!」
朔夜の霊力が爆ぜかける。
黒銀の霊力が、床へ広がった。
その瞬間、展望階の床に残った黒い妖気が一斉に震えた。
朔夜の背後に、また黒い影が揺れる。
妖たちがひれ伏した時の、あの巨大な輪郭。
それが、負傷した朔夜の背後に現れかける。
朔夜の魂が揺れている。
陽鞠を奪われる恐怖と怒りで、奥が裂けかけている。
陽鞠はそれを見て叫んだ。
「朔夜、だめ!」
朔夜の目が、陽鞠を捉える。
必死だった。
血で濡れた銀髪。
青白い顔。
怒りと恐怖で見開かれた黒い瞳。
「陽鞠、こっちへ来い!」
「行く!」
陽鞠は朔夜へ手を伸ばす。
その指先を、玻月の結界が遮った。
透明な膜。
狭い。
以前、陽鞠を押し込めたものと似ている。
だが、今度は箱ではない。
細い帯のような結界が、陽鞠の手首、足首、肩の周囲に絡んだ。直接肌へ触れているわけではない。霊力の輪が、彼女の動きを封じるように巻きついている。
陽鞠は即座に結界を爆ぜさせようとした。
だが、金眼が痛む。
さっきの暴走で魂の奥が熱を持ちすぎている。霊力を集めるだけで、白い光が混ざりかける。
使えば、また広がる。
味方を弾く。
朔夜の救護結界まで巻き込むかもしれない。
そこまで読まれている。
玻月は、陽鞠が今、全力で暴れられない瞬間を選んだ。
「卑怯……!」
陽鞠の声が震える。
玻月は答えない。
白手袋の指先が、陽鞠の指輪の近くをなぞる。
触れない。
けれど、反応だけを断つ。
ちり、と最後に一度だけ、指輪が鳴った。
ひどく遠い音だった。
次の瞬間、音が途切れた。
熱も消えた。
陽鞠の右手薬指の指輪が、冷たくなる。
朔夜の指輪の熱も、陽鞠には届かない。
繋がりが切られた。
完全ではない。
指輪そのものが壊れたわけではない。
でも、反応が断たれた。
陽鞠は息が止まった。
朔夜も、同じ瞬間にそれを感じ取った。
彼の顔が、変わった。
怒りだけではない。
恐怖。
喪失。
理性が、ぎりぎりのところで裂ける音がした。
「……陽鞠?」
声が、低く落ちた。
「朔夜!」
陽鞠は叫ぶ。
しかし、声が遠い。
玻月の結界が、音まで歪ませている。
朔夜は救護班の制止を振りほどこうとした。
固定結界が軋む。
頭の傷から、再び血が滲んだ。
「綴喜さん、動かないで!」
「離せ!」
朔夜の声が荒れる。
普段の低く冷たい声ではない。
半ば悲鳴に近い怒声だった。
「陽鞠を返せ!」
黒銀の霊力が爆発する。
救護班の結界灯が揺れた。
床に残っていた黒い残滓が、朔夜の霊力に引かれて一斉に立ち上がる。頭領の影が濃くなる。妖たちの残骸が、膝をつくように震える。
かがりの声が通信札から飛ぶ。
『綴喜を押さえろ! 動かすな!』
A級退魔師が二人、朔夜の左右へ入る。
だが、朔夜は止まらない。
頭を負傷しているとは思えない力で身を起こそうとする。救護結界が悲鳴のように鳴り、清浄布がずれかけた。
「陽鞠!」
朔夜が叫ぶ。
声が割れている。
陽鞠は結界の中で必死にもがいた。
「朔夜、動いちゃだめ!」
届いているのか、わからない。
「頭、血が!」
「どうでもいい!」
「よくない!」
「お前がいない方がよくない!」
陽鞠の胸が裂けそうになる。
朔夜が自分を追おうとしている。
頭の傷も、霊力の揺れも、救護班の制止も、全部振り切って。
このままでは朔夜が壊れる。
玻月が、それを見ている。
見ている。
また。
陽鞠と朔夜の反応を。
引き離した時の、二人の崩れ方を。
陽鞠の中で怒りが燃えた。
「御影堂……!」
陽鞠は玻月を睨む。
「朔夜を見ないで」
玻月は静かに言った。
「今見ているのは君だ」
「最悪」
「彼の反応も必要だ」
「黙れ!」
陽鞠は金色の結界を内側から爆ぜさせた。
白い光が混ざりかける。
だが、無理やり金へ押し込める。
玻月の結界帯が一本裂けた。
陽鞠の右手が少し動く。
もう少しで刀に触れられる。
しかし、玻月はそれより早かった。
白手袋の指先が空気を折る。
陽鞠の周囲の空間が、薄く歪んだ。
展望階が遠ざかる。
朔夜が遠ざかる。
救護班も、かがりの声も、割れたガラスも、黒い残滓も、白い灯りも。
すべてが、水の向こうへ沈むように歪んでいく。
空間転移。
いや、完全な転移ではない。
結界の折り畳み。
玻月は、展望階に残った白い光と黒い印の残滓を使って、陽鞠だけを別の場所へ引き込もうとしている。
陽鞠は必死に朔夜へ手を伸ばした。
「朔夜!」
朔夜が、救護班とA級退魔師に押さえられながらも、手を伸ばす。
血で濡れた銀髪が乱れる。
黒い瞳が、狂いそうなほど見開かれている。
「陽鞠!」
手が届かない。
指輪は鳴らない。
熱もない。
繋がりが、切られたまま。
陽鞠は唇を噛んだ。
恐怖で泣きそうになる。
でも、泣かない。
今、朔夜に見せるのは恐怖ではなく、戻る意思だ。
「待ってて!」
陽鞠は叫んだ。
「絶対、戻るから!」
朔夜の顔が歪む。
「待てるか!」
「生きて待ってて!」
陽鞠は必死に言った。
「お願い、朔夜、生きて!」
その言葉に、朔夜の動きが一瞬だけ止まった。
救護班が、その隙に頭部固定結界を締め直す。
A級退魔師が朔夜の肩と腕を押さえる。
かがりの教師用結界が、遠隔から朔夜の霊力を包み込んだ。
だが、朔夜の目は陽鞠から離れない。
半狂乱になりかけたまま、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。
陽鞠の「生きて」が、彼を縛っていた。
透羽の声が、通信札から割り込んだ。
『綴喜、聞け! 今動けば追跡どころじゃない。指輪反応が切られた直後の座標を拾っている。お前が暴れたら霊波が乱れる!』
「知るか!」
『知れ! 篠宮を取り戻したいなら、今は止まれ!』
朔夜の歯が、ぎり、と鳴った。
黒銀の霊力が荒れ狂う。
頭領の影が背後で揺らぐ。
妖の残骸がひれ伏すように震える。
それでも、朔夜は完全には暴れなかった。
陽鞠が見ている。
陽鞠が、生きて待っててと言った。
それだけで、彼は踏みとどまっている。
玻月が、陽鞠のすぐ隣で静かに言った。
「良い繋ぎ止めだ」
「黙って」
陽鞠は低く吐き捨てた。
「朔夜は、あなたの反応を見る道具じゃない」
「では、君は?」
「私も違う」
陽鞠は玻月を睨んだ。
「私は私だ」
玻月の目が、わずかに細くなる。
「その言葉を、どこまで保てるか」
「保つ」
「指輪の反応は切った」
「それでも」
陽鞠は歯を食いしばる。
「私は、朔夜の隣に戻る」
空間がさらに歪む。
朔夜の姿が、霧の向こうのように薄れていく。
彼の叫びだけが残った。
「陽鞠!」
「朔夜!」
声が重なる。
だが、もう指輪は鳴らない。
最後の視界で、陽鞠は見た。
朔夜が、血に濡れたまま、救護班とかがりの結界に押さえられている。
半狂乱の表情で、こちらへ手を伸ばしている。
それでも、立ち上がりきらない。
頭の傷が彼を止めているのではない。
陽鞠の言葉が、彼を止めている。
生きて待ってて。
それを守ろうとしている。
その姿が、陽鞠の胸に焼きついた。
次の瞬間、展望階の光が消えた。
陽鞠の足元がなくなる。
白い結界の中へ落ちるような感覚。
胃が浮き、耳が詰まり、金眼の奥が焼ける。
玻月の黒い長衣だけが、近くにあった。
陽鞠は叫ぼうとした。
だが、声は白い光に呑まれた。
そして、彼女の姿は展望階から消えた。
同時に、朔夜の指輪が完全に冷えた。
ちり、とも鳴らない。
熱もない。
反応が、途切れた。
朔夜の喉から、言葉にならない声が漏れた。
「……あ、」
黒い瞳が見開かれる。
次の瞬間、彼は救護結界を内側から破ろうとした。
「返せぇぇぇぇっ!!」
叫びが展望階を揺らした。
黒銀の霊力が爆発する。
かがりの結界が軋む。
A級退魔師二人が吹き飛ばされかけ、救護班が必死に頭部固定を維持する。朔夜の背後に黒い影が再び立ち上がった。妖たちの残骸が、床へひれ伏す。
かがりが駆け込んできた。
通信ではない。
本人だった。
黒い外套を翻し、展望階へ踏み込むと同時に、教師用の拘束結界を何重にも展開する。
「綴喜!」
かがりの声が鋭く飛ぶ。
「戻れ!」
「離せ!」
「動くな!」
「陽鞠が攫われた!」
「わかっている!」
「なら離せ!」
「今のお前が動けば死ぬ!」
「死んでも行く!」
「死んだら助けられない!」
その言葉が、朔夜を殴った。
一瞬、霊力が止まる。
かがりはさらに踏み込んだ。
「篠宮は生きて待てと言ったんだろうが!」
朔夜の顔が歪む。
血で濡れた銀髪。
青白い頬。
怒りと恐怖で壊れかけた目。
それでも、陽鞠の言葉だけが、彼をぎりぎり繋いでいる。
「……陽鞠が」
朔夜の声が震えた。
「指輪が、鳴らない」
その言葉は、叫びより痛かった。
かがりの表情も強張る。
透羽が端末を手に駆け込んでくる。額に汗が滲み、息が上がっていた。
「座標残滓、拾ってます!」
朔夜が透羽を見る。
「どこだ」
「まだ確定してない! でも完全消失じゃない。切断痕がある。御影堂の結界折り畳みと、黒い印の残滓が混ざってる。追える可能性はある」
「今すぐ」
「無理だ! 乱れすぎている!」
「なら俺が」
「お前が近づくと余計に乱れる!」
透羽は怒鳴った。
普段の冷静さが崩れている。
「綴喜、お前の霊力に反応して残滓が暴れてる! 頭も打ってる! 魂の反応も不安定だ! 今動いたら、お前自身が座標ノイズになる!」
朔夜は唇を噛んだ。
血が滲む。
それでも、暴れようとする力は完全には消えない。
「陽鞠が、向こうにいる」
「だから探す!」
透羽が叫ぶ。
「探すから、お前は生きてろ!」
かがりが朔夜の前に膝をついた。
教師としてではない。
退魔師として、真正面から彼を見る。
「綴喜。篠宮を助けたいなら、今は止まれ」
「……」
「これは命令だ。だが、お前のためだけじゃない。篠宮を取り戻すための命令だ」
朔夜の呼吸が荒い。
救護班が止血結界を重ねる。
頭の傷から、また血が滲んでいる。
それでも彼は、かがりを睨む。
「必ず」
掠れた声。
「必ず、助ける」
「ああ」
かがりは即答した。
「助ける」
「俺が」
「お前もだ」
「俺が助ける」
「だから生きろ」
朔夜の目が、痛みに揺れる。
半狂乱のまま、彼は陽鞠の消えた場所を見る。
そこにはもう、何もない。
白い光も、玻月の気配も、陽鞠の金色の結界も。
指輪も鳴らない。
朔夜の左手薬指の指輪は、冷え切っていた。
彼はその手を握りしめる。
爪が掌に食い込むほど強く。
「陽鞠」
小さく呼ぶ。
返事はない。
指輪も鳴らない。
それでも、朔夜はもう一度呼んだ。
「陽鞠」
声は低く、壊れかけていた。
かがりが救護班へ合図する。
「医療棟へ運ぶ。意識を落とさせるな。透羽、座標解析を続けろ。更紗に全残滓データを回せ。A班は展望階を封鎖。御影堂の侵入路を洗え」
「了解!」
透羽が端末を操作しながら走る。
救護班が朔夜を担架結界へ移そうとする。
朔夜はまだ陽鞠の消えた場所から目を離さない。
「綴喜」
かがりが呼ぶ。
「聞いているか」
「聞いてる」
「必ず助ける」
「違う」
朔夜は低く言った。
「必ず、俺が助ける」
かがりは少し黙った。
そして、頷いた。
「ああ。お前が助ける。そのために今は治療を受けろ」
朔夜の瞼が震える。
頭の傷。
魂の揺らぎ。
指輪反応の断絶。
陽鞠が攫われた現実。
全部が彼を引き裂こうとしている。
それでも、彼は最後に、陽鞠の言葉を思い出した。
生きて待ってて。
待てるはずがない。
待ちたくもない。
でも、生きていなければ助けられない。
朔夜は血の滲んだ唇を噛み、震える息を吐いた。
「……陽鞠」
その声は、誓いのようだった。
「絶対に、助ける」
冷え切った指輪は鳴らない。
けれど、朔夜はその指輪を握りしめたまま、担架結界へ運ばれていった。




