第33話 囮にされた朔夜
閉鎖された展望施設は、山の中腹に建っていた。
かつては市街地と海まで見渡せる観光地だったらしい。今は老朽化で封鎖され、駐車場にはひび割れた白線だけが残っている。売店のシャッターは錆び、案内板の文字は雨風に削られて読みにくい。展望台へ続く階段には落ち葉が溜まり、手すりの塗装はところどころ剥げていた。
空は夕方からずっと灰色だった。
雲が低く垂れ、街の光を鈍く反射している。遠くの市街地には灯りが増え始めているのに、展望施設の周囲だけは闇が早く落ちていた。山の木々が風で鳴り、封鎖された施設のガラス壁に枝の影を映している。
陽鞠と朔夜は、展望施設の入口前で別班と合流した。
A級退魔師が二人。
B級補助班が三人。
かがりは遠隔監視。更紗は解析棟で待機。透羽は地図と施設構造を照合している。
単独突入は禁止。
離れないこと。
それが、出発前にかがりから言い渡された条件だった。
陽鞠は右手薬指の指輪を確かめる。
隣では朔夜の左手薬指の指輪が、薄暗い空気の中で小さく光っていた。
「手、届く距離」
陽鞠が低く言う。
「わかってる」
朔夜が答える。
「分断されそうになったら」
「指輪を鳴らす」
「妖が膝をついたら」
「陽鞠を見る」
「白い光が出たら」
「名前を呼ぶ」
短く、確認する。
言葉にすれば、それだけで少し足元が固まる気がした。
怖くないわけではない。
むしろ、怖い。
展望施設。
見下ろす影。
黒い五芒星に近い波形。
直接指名された任務。
何もかもが、こちらを待っているようだった。
それでも、二人は来た。
一般人が入り込んだ可能性がある以上、放置はできない。怖いから行かない、という選択肢は退魔師にはない。人類はどうして自分に面倒な役割名をつけてしまうのか。退魔師、まったく割に合わない。
A級退魔師の一人が、封鎖扉の前で霊符を構えた。
「内部反応は展望階。複数の低級妖反応あり。ただし、妖核の波形が不自然に揃っている」
別のA級退魔師が続ける。
「通報にあった巡回員は未確認。施設内に残っている可能性がある。救出優先。ただし、白い光の報告もある。篠宮、綴喜、前に出すぎるな」
「はい」
陽鞠が答える。
朔夜は短く頷いた。
封鎖扉の錠が、霊符で外される。
重い音を立てて、扉が開いた。
中は暗かった。
古いロビーには、壊れたパンフレット台と、色褪せた観光ポスターが残っている。床には落ち葉と埃が入り込み、天井の照明は点かない。壁の奥には、展望階へ上がる階段と、止まったままのエレベーターがある。
空気が冷たい。
外よりも冷たい。
陽鞠は金色の小さな霊光を灯した。
その光が、床の埃の上を滑る。
足跡があった。
新しい。
巡回員かもしれない。
靴底の跡が、ロビーから階段へ向かっている。
「上だね」
陽鞠が言う。
「ああ」
朔夜は刀の柄へ手を置いたまま、周囲を見る。
壁際に黒い影が揺れた。
低級妖。
手のひらほどの影が、蜘蛛のように壁を這う。普段なら人に悪戯する程度の弱い妖だ。だが、その背中には細い黒線があり、五つの角を描くように歪んでいた。
A級退魔師が霊符を投げる。
妖は潰れるように消えた。
しかし、その消え方が妙だった。
霧になって散るのではなく、細い線となって階段の上へ吸い込まれた。
「集まってる」
陽鞠は眉を寄せた。
「展望階に核がある?」
「可能性は高い」
A級退魔師が言う。
朔夜の霊力が、わずかに揺れた。
陽鞠はすぐに彼を見る。
「朔夜?」
「何か、呼んでる」
朔夜の声が低い。
「声?」
「声じゃない。霊力の引き」
彼は階段の上を見た。
黒い瞳が、奥の暗がりを捉えている。
「俺の方へ、集まろうとしてる」
陽鞠の胸が冷える。
やはり。
朔夜を呼んでいる。
陽鞠はすぐに朔夜の手を取った。
指輪が触れる。
ちり、と小さく鳴った。
「朔夜は朔夜」
「まだ揺れてない」
「先に言った」
「早い」
「早めの方がいい」
朔夜は少しだけ息を吐いた。
「そうだな」
階段を上る。
一段ごとに、空気が重くなる。
壁に貼られた案内板には、展望レストラン、土産物コーナー、屋上デッキの文字が薄く残っていた。だが、どの矢印も黒い染みで塗り潰されている。染みは乾いた墨のように見えるが、近づくと霊気を帯びていた。
階段の踊り場に、黒い影妖が三体いた。
小型の獣のような形。
背中には黒い五芒星の残滓。
陽鞠と朔夜が近づいた瞬間、三体の首が一斉に動いた。
陽鞠ではなく、朔夜を見る。
そして、一体が前脚を折った。
膝をつくように。
朔夜の手がわずかに強張る。
陽鞠はすぐに手を握った。
「見て」
「陽鞠を見る」
「うん」
朔夜の視線が、妖から陽鞠へ戻る。
その一瞬で、膝をついていた妖が跳ねた。
服従のような姿勢から、急に攻撃へ切り替わる。
朔夜が反応した。
刀が抜かれる。
銀の刃が、飛びかかってきた影妖を真っ二つにした。黒い霧が散り、五芒星の線が崩れる。残り二体が壁を這い、天井から襲いかかる。
陽鞠は結界を張った。
天井から落ちる一体の軌道を横へずらし、朔夜の刃の前へ流す。もう一体は、階段下にいた補助班へ向かおうとしていた。陽鞠は細い膜で足を絡め取り、踊り場へ引き戻す。
A級退魔師の霊符が、そこへ刺さった。
二体目が燃える。
三体目を朔夜が斬る。
妖は消えた。
だが、消えた霧がまた階段の上へ吸い込まれていく。
朔夜の霊力が、わずかに引かれる。
「上に、集めてる」
陽鞠が言う。
A級退魔師が端末を確認する。
「展望階の中央に反応増大。巡回員らしき人影も同じ階にある」
「行くしかないですね」
陽鞠は弓を握り直した。
「篠宮、綴喜。絶対に離れるな」
「はい」
朔夜が短く返す。
階段を上りきると、展望階に出た。
そこは円形の広い空間だった。
かつては街を一望できるガラス張りの展望室だったのだろう。今は大きなガラス窓の半分が板で塞がれ、残りのガラスも曇っている。床には割れた椅子や、倒れた柵、壊れた自動販売機が転がっていた。奥には屋上デッキへ出る扉があり、その前に巡回員らしき男性が倒れている。
生きている。
胸がわずかに上下している。
陽鞠はすぐに避難結界を展開した。
「巡回員さん保護します!」
金色の膜が、倒れた男性を包もうとする。
その瞬間、展望階のガラス全面に黒い手形が浮かんだ。
数えきれないほど。
外側から。
内側から。
どちらともつかない場所から。
手形が一斉に、ガラスを叩いた。
どん。
どん。
どん。
展望階全体が揺れる。
A級退魔師が叫んだ。
「来るぞ!」
ガラスの向こうから、影妖が次々と染み出してきた。
低級妖。
中級に近いもの。
形もばらばら。
鳥のような影、獣のような影、人の腕だけの影、顔のない子どもの形をした影。
すべてに共通しているのは、背中や胸元に沈んだ黒い五芒星の線。
そして、朔夜へ向けられた視線。
陽鞠は息を呑んだ。
「多い……!」
朔夜を中心に、妖たちが集まっていく。
まるで、銀に群がる黒い虫のように。
朔夜の霊力が、彼らを呼んでいるわけではない。
呼ばされている。
誰かが、朔夜を中心に餌の印を置いた。
陽鞠はそう直感した。
「朔夜、後ろ!」
「見えてる!」
朔夜の刀が走る。
正面から来た影獣を斬り、背後から伸びた黒い腕を霊符で焼く。霊符が空中で燃え、赤い火花を散らした。右から飛びかかった鳥影を鞘で叩き落とし、次の瞬間には刀の切っ先で核を貫く。
速い。
重い。
だが、数が多すぎる。
しかも妖たちは、倒されても完全には散らない。黒い霧になり、床を這い、また別の影へ吸い込まれる。核の奥に沈む五芒星が、霧を集めて再構築している。
陽鞠は結界を何層にも張った。
巡回員の保護。
補助班の避難路。
朔夜の背後の防御。
階段側の封鎖。
ガラス窓からの侵入抑制。
同時に五つ。
負担が重い。
指先が痛む。
でも、止められない。
朔夜の周囲に妖が集まりすぎている。
陽鞠が手を離せば、一瞬で呑まれる。
朔夜は刀を振るいながら、霊符を歯で咥えた。
左手で符を抜き、刀の鍔へ押し当てる。黒銀の霊力が符へ流れ、刃に薄い火が灯る。そのまま踏み込み、集まってきた三体の影妖を一息に斬った。
影が裂ける。
霧が散る。
だが、その霧の奥で、何かが揺れた。
陽鞠の金眼が、それを捉える。
朔夜の背後。
霧の中。
黒い影が、朔夜の輪郭に重なるように立っていた。
人の形に近い。
だが、朔夜ではない。
もっと大きい。
長い影。
頭領。
そんな言葉が、なぜか陽鞠の頭に浮かんだ。
無数の妖が膝をつく中心に立つ、黒い影。
命令を待つ群れの前にいる、見えない主。
朔夜の魂の奥で、何かの影が揺らいでいる。
陽鞠の喉が詰まった。
「朔夜……!」
朔夜自身も、気づいたのかもしれない。
彼の刀が、一瞬だけ止まった。
その一瞬で、四体の影妖が同時に膝をついた。
朔夜の前で。
命令を待つように。
陽鞠の結界の上からでも、異様な霊力の揺れが伝わってきた。妖たちは襲うのではなく、朔夜へ従おうとしている。だが、従属の形を取った直後、黒い五芒星が暴れ、彼らの身体が歪む。
服従。
暴走。
命令待ち。
凶暴化。
矛盾した反応が、朔夜の周囲で渦を巻く。
朔夜の呼吸が乱れた。
「……なんだ、これ」
声が低い。
刀を握る手が震えている。
歯を食いしばり、揺れを抑え込もうとしている。
だが、妖たちが膝をつくたび、朔夜の奥の影が濃くなる。
黒い頭領のような影。
それは朔夜の背後に立っているようで、同時に、彼の中から立ち上がっているようにも見えた。
陽鞠は血の気が引いた。
囮。
朔夜は囮にされた。
妖を集めるための。
いや、それだけではない。
朔夜の奥の影を揺らすための。
その反応を引き出すための。
そして、それを見た陽鞠がどう動くかを試すための。
展望階のガラスに、黒い五芒星が一斉に浮かぶ。
陽鞠の結界が軋んだ。
補助班の一人が叫ぶ。
「篠宮さん、階段側が!」
階段側からも妖が上がってきていた。
別班の退路を塞ぐように。
陽鞠は歯を食いしばる。
巡回員。
補助班。
階段。
朔夜。
全部守りたい。
だが、結界を広げすぎれば、また味方まで弾くかもしれない。
白い光はまだ出ていない。
でも、黒い五芒星の奥に、白い熱が沈んでいる。
陽鞠の金眼がうずく。
「落ち着いて……」
自分に言う。
「私は私」
朔夜が揺れている。
行かなければ。
でも、ここで結界を崩せば巡回員が危ない。
陽鞠は瞬時に判断した。
「A班、巡回員さんをお願いします! 私の避難結界ごと階段側へ移動できます!」
A級退魔師が反応する。
「篠宮は?」
「朔夜のところへ行きます!」
「単独で動くなと言われている!」
「離されたらもっと危ない!」
陽鞠は結界の形を変えた。
巡回員を包んでいた膜を、固定式から移動式へ。A級退魔師と補助班の霊力を通し、妖だけを弾く形に変える。階段側の妖を避けながら、避難結界をゆっくり後退させる。
同時に、自分の足元へ足場結界を置いた。
朔夜までは距離がある。
展望階の中央。
妖の群れの中心。
そこへ一直線に行く。
朔夜はまだ戦っている。
刀が動く。
霊符が燃える。
しかし、彼の斬撃は少しずつ重くなっていた。妖が膝をつくたび、彼の呼吸が乱れる。背後の影が揺らぐ。黒い頭領のような気配が、朔夜の輪郭を飲み込もうとしている。
「朔夜!」
陽鞠は叫んだ。
朔夜の黒い瞳が、こちらへ向く。
戻りかける。
だが、その瞬間、床から黒い腕が伸び、陽鞠の足首を掴んだ。
「っ!」
陽鞠は刀を抜きかける。
だが、腕は一本ではなかった。
床の影から、何十本もの手が伸びる。陽鞠を止めるために。朔夜へ向かわせないために。
玻月の気配はない。
姿もない。
だが、仕掛けは明らかに誰かの意図を持っている。
朔夜を孤立させる。
陽鞠を足止めする。
その両方。
陽鞠は怒りで目を見開いた。
「邪魔!」
金色の結界を足元で爆ぜさせる。
黒い腕が弾ける。
一本、二本、十本。
しかし、砕けた影がすぐに床へ戻り、また腕になる。
きりがない。
陽鞠は弓を背から外す時間すら惜しかった。
腰の刀を抜く。
金色の霊力を刃へまとわせ、足元の影を斬った。斬撃そのものに結界を重ね、切った瞬間に影の再生路を封じる。
黒い腕が崩れる。
陽鞠は走った。
展望階の床を蹴り、足場結界を連続で置く。
ガラス窓から染み出す妖が進路を塞ぐ。陽鞠は刀で一体を斬り、結界で二体目を弾く。三体目が口のない顔で白い光を漏らしかけた。
「見るな!」
朔夜の声が飛んだ。
陽鞠は反射的に目を逸らす。
同時に、朔夜の霊符が白い光の妖へ突き刺さった。霊符が燃え、白い光の出口を焼き潰す。朔夜はまだ陽鞠を見ていた。妖の群れの中心にいながら。
それが危うかった。
彼が陽鞠を見るたび、周囲の妖がさらに集まる。
まるで、二人の視線のやりとりまで餌にしているように。
陽鞠は歯を食いしばった。
「朔夜、私を見るのはいいけど、背中!」
「わかってる!」
朔夜は背後から襲いかかった影妖を、振り向かずに斬った。
だが、その直後、彼の正面で三体がまた膝をつく。
頭領の影が揺れる。
今度は、もっと濃い。
朔夜の足元に、黒い影の輪が広がる。
そこへ、妖たちが集まってくる。
従うために。
殺すために。
どちらともつかない狂った群れとして。
朔夜の喉から、低い息が漏れた。
「俺は……」
陽鞠の胸が締めつけられる。
彼が言いかけた言葉がわかった。
俺は何だ。
その問いへ行かせてはいけない。
行かせる前に、呼ぶ。
「朔夜!」
陽鞠は叫んだ。
「今の朔夜は朔夜!」
影妖の腕が、陽鞠の肩を掠めた。
制服が裂ける。
熱い痛みが走る。
だが、止まらない。
「私の隣にいる男でしょ!」
朔夜の目が揺れる。
「任務前に長くキスしたくせに、勝手に変な頭領みたいな顔してんじゃない!」
展望階の空気が一瞬、妙な形で固まった。
朔夜の表情が、ほんの一瞬だけ壊れた。
「今それを言うか」
「戻したいから言う!」
「雑だな」
「生きるための雑さ!」
朔夜の口元が、わずかに動いた。
戻ってきている。
でも、まだ足りない。
陽鞠はさらに走る。
朔夜まで、あと数メートル。
その間に、妖が壁のように集まる。
黒い五芒星が一斉に浮かぶ。
白い光が、奥で膨らむ。
陽鞠の金眼が熱くなる。
足が重い。
視界の端が白く滲む。
しかし、朔夜の声が飛んだ。
「陽鞠!」
名前。
それだけで戻る。
陽鞠は刀を握り直し、前方へ結界を放った。
広げすぎない。
進むための道だけを作る。
金色の結界が、妖の群れを左右へ割った。完全に弾き飛ばすのではない。ほんの一瞬だけ、隙間を作る。人一人が通れる細い道。
陽鞠はそこへ飛び込んだ。
朔夜が同時に刀を振るう。
彼の斬撃が、陽鞠の前方の妖を斬る。
陽鞠の結界が、朔夜の背後から伸びる腕を止める。
距離が縮まる。
あと三歩。
二歩。
一歩。
その時、床の黒い影が盛り上がった。
朔夜と陽鞠の間に、頭領の影のようなものが立った。
輪郭は曖昧。
顔はない。
だが、巨大な気配だけがあった。
妖たちが、その影へ膝をつく。
朔夜の霊力が、激しく揺れた。
「朔夜!」
陽鞠は手を伸ばした。
影が二人の間を遮る。
朔夜も手を伸ばす。
指輪と指輪が、まだ届かない。
わずかに足りない。
黒い影が、朔夜の腕へ絡む。
命令しろ。
従わせろ。
そんな声にならない圧が、陽鞠の結界越しにも伝わる。
朔夜の歯が、ぎり、と鳴った。
刀を握る手が震える。
だが、彼は妖へ命じなかった。
膝をつく群れへ、目を向けなかった。
陽鞠だけを見た。
「陽鞠」
低く呼ぶ。
「こっち!」
陽鞠は叫ぶ。
足場結界を自分の前へ置き、影の壁へ突っ込んだ。
体当たりではない。
拒絶結界。
刀の切っ先と、自分の肩の前に、金色の膜を集中させる。頭領の影を斬るのではなく、押しのける。
自分と朔夜の間に入るな。
その意思だけを形にする。
金色の膜が、黒い影に触れる。
焼けるような痛みが肩へ走った。
陽鞠の視界が白く弾ける。
でも、止まらない。
「私は私!」
叫ぶ。
「朔夜は朔夜!」
金色の結界が爆ぜた。
影の壁が、一瞬だけ裂ける。
その隙間から、朔夜の手が伸びた。
陽鞠の手が届く。
指が触れる。
指輪がぶつかった。
ちりん、と音が鳴った。
強く。
展望階の黒い手形も、妖の叫びも、壊れたガラスの軋みも、その一瞬だけ遠ざかった。
二つの指輪が熱を持つ。
朔夜の黒銀の霊力が、陽鞠へ流れる。
陽鞠の金色の霊力が、それを受け止める。
頭領の影が揺らいだ。
妖たちが一斉に身をよじる。
従属の形が崩れる。
暴走の形も崩れる。
朔夜は陽鞠の手を強く握った。
「戻った」
声が掠れている。
「うん」
陽鞠も息が荒い。
「戻した」
「お前が来た」
「朔夜が呼んだ」
二人は、妖の群れの中心で向かい合う。
背後には、まだ凶暴化妖がいる。
床には黒い影。
ガラスには五芒星。
巡回員の避難も、完全には終わっていない。
戦いは終わっていない。
むしろ、ここからが危険だった。
それでも、二人は繋がった。
離されなかった。
頭領の影が、二人のすぐ横でまた揺れる。
消えてはいない。
ただ、少し薄くなっただけだ。
朔夜はその影を横目で見た。
顔に苦さが浮かぶ。
「俺の中のものか」
「まだ決めない」
陽鞠は即座に言った。
「名前をつけない。御影堂が何か仕掛けたのか、黒い印が見せてるのか、朔夜の奥に本当にあるものなのか、まだわからない」
「でも、ある」
「うん」
陽鞠は嘘をつかなかった。
「あるかもしれない。でも、今の朔夜は朔夜」
「……ああ」
「それだけは変えない」
朔夜は刀を構え直した。
片手は陽鞠と繋いだまま。
「なら、斬る」
「うん」
「命令はしない」
「うん」
「従わせない」
「うん」
「俺は、斬る」
陽鞠は頷いた。
「私は守る。繋ぐ。道を作る」
妖たちが再び動き出した。
黒い五芒星が脈打つ。
白い光が膨らむ。
頭領の影が、朔夜の背後で揺れる。
しかし、今度は朔夜だけではない。
陽鞠が隣にいる。
指輪が熱い。
手が繋がっている。
「朔夜、右から三体。左の床に影」
「見えてる」
「足場出す」
「頼む」
陽鞠が金色の足場を置く。
朔夜が踏む。
刀が走る。
命令を待つ妖たちを、従わせるのではなく斬るために。
陽鞠は結界を広げすぎず、必要な線だけを張る。巡回員を守る膜。補助班の退路。朔夜の背後。自分の足元。すべて細く、強く、繋いでいく。
展望階のガラスに、また黒い手形が増える。
それでも、陽鞠はもう一度叫んだ。
「朔夜、離れないで!」
「離れない!」
刃と結界が、同時に光った。




