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金眼の退魔少女は、銀髪の相棒と今日も妖を斬ってキスをする~もう神の子にはならない。金眼少女と銀髪退魔師の学園任務~  作者: なつめ


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第1話 金眼の特待生


 退魔学園の朝は、普通の学校より少しだけ騒がしい。


 少しだけ、という言い方はかなり控えめかもしれない。


 正門の前を、制服姿の生徒たちが流れていく。肩から竹刀袋のように刀を提げた者。通学鞄に護符をぶら下げた者。手首に数珠を巻いた者。教科書と一緒に霊符の束を抱え、寝癖のついた頭で欠伸をしている者。遠目にはどこにでもある私立高校の朝に見えるのに、近づけば、靴音の隙間に鈴の音と紙札の擦れる音が混じっていた。


 校門の両脇には、古びた石柱が立っている。


 表面に刻まれた梵字は、朝日を浴びて薄く光っていた。結界の境界を示す印だ。門を潜るたび、生徒たちの身体にまとわりついた外の穢れが淡い火花となって剥がれ落ちる。霊力の弱い生徒はそれだけで肩を竦め、慣れている生徒は何事もなかったように通り過ぎていく。


 その流れが、ふと割れた。


 ざわめきが、波のように左右へ広がる。


「来た」


 誰かが小さく呟いた。


 それだけで、正門前の空気が一段変わった。


 篠宮陽鞠は、朝日を正面から受けながら歩いてきた。


 身長は百四十センチ。周囲の生徒たちに比べれば明らかに小柄で、並んで歩く者の肩口にも届かない。けれど、その存在感は小さくなかった。むしろ、視線を奪う力だけで言えば、門前にいる誰よりも強かった。


 髪は金色だった。


 派手に染めたような明るい金ではなく、陽に透かすと蜂蜜のように柔らかく光る金髪。けれど根元には黒が少しだけ伸びている。きっちり整えすぎていないその色の境目が、彼女の強気さと年相応の雑さを同時に見せていた。セミロングの髪は肩の少し下で揺れ、歩くたびに毛先がブレザーの襟をくすぐる。


 瞳は金色。


 朝の光を映しているのではない。瞳そのものが、内側から金に光っているようだった。真っ直ぐで、強く、逃げない目。睨んでいるわけでもないのに、見られた者は一瞬だけ息を止める。あの瞳に射抜かれると、嘘をつくことさえ下手になりそうだと、学園の生徒たちはよく噂していた。


 制服は退魔学園指定のブレザーだった。


 濃紺の生地に銀糸の校章。白いシャツの襟元には細いリボンが結ばれているが、少し緩い。規定通りのはずのブレザーは、陽鞠が着ると不思議と戦装束に見えた。袖口から覗く手首は細く、指先も小さい。なのに、その指は弓を引くために鍛えられた硬さを持っている。


 スカートは、かなり短い。


 階段で教師に見つかれば確実に注意される長さだった。陽鞠はそれを気にした様子もなく、黒いハイソックスとローファーで軽く地面を蹴って進む。歩幅は小さいのに、歩く速度は速い。小動物のように見えて、獣よりずっと鋭い。


 背中には弓があった。


 黒塗りの弓身に、金の細い文様が走っている。弦はただの糸ではなく、霊力を通すための特殊な繊維で編まれていた。陽鞠が一度弓を引けば、その射線には結界が重なり、矢は妖の核を探して曲がると言われている。弓袋の端から覗く破魔矢の羽根は白く、朝風にかすかに揺れていた。


 腰には日本刀。


 小柄な身体にはやや長く見える刀が、制服のスカートとありえないほど自然に馴染んでいる。鞘は深い黒。鍔には細かな花紋。帯ではなく、制服用に加工された腰ベルトへ固定されていた。刃が抜かれていないのに、近くを通るだけで空気がひりつく。陽鞠は遠距離だけの退魔師ではない。懐に入られても、斬る。


 耳には小さな金のピアスが揺れていた。


 片方は月、片方は矢羽根の形。首元には細いチェーンのネックレス。制服の白いシャツの隙間で、小さな銀の輪が光る。左手首には黒い革紐と銀飾りのブレスレット。足首にも、靴下の上からかすかに見える細いアンクレットがある。派手すぎないのに、ひとつひとつが彼女の身体の動きに合わせて光を拾った。


 右手の薬指には、指輪。


 細い銀の輪に、小さな金色の石が埋め込まれている。朝日を受けるたび、その石は陽鞠の瞳と同じ色にきらめいた。


「陽鞠、歩くの速い」


 隣から低い声が落ちてきた。


 声の主は、綴喜朔夜だった。


 陽鞠の隣に立つと、その身長差は現実感を少し失う。朔夜は二百センチある。馬鹿みたいに高い。いや、馬鹿みたいという言葉は人間の成長に失礼かもしれないが、実際、校門前の一年生たちが見上げて首を痛めそうになっているのだから仕方ない。


 銀髪のウルフカットが、朝風に揺れた。


 襟足は長めで、首筋にかかる毛先だけが少し跳ねている。銀色といっても冷たい金属のような色ではなく、月光を含んだような柔らかい色だった。前髪の隙間から覗く目は、切れ長の黒。白目との境がくっきりしていて、笑っていない時はひどく冷たく見える。


 顔立ちは整っていた。


 けれど近寄りがたさも同じくらいあった。背が高く、手足が長く、ただ立っているだけで影が落ちる。授業中に真面目な顔でノートを取っていれば、誰もが優等生だと思うだろう。実際、成績も実技も優秀なのだから、見た目だけなら詐欺ではない。


 ただし制服は崩れていた。


 ブレザーは肩に綺麗に合っているのに、ネクタイは緩い。シャツの第一ボタンは開いていて、襟元が少しだらしない。袖口も片方だけ雑に捲られている。規定違反というほどではないが、教師が見れば眉間に皺を寄せる程度には乱れていた。


 そして、その乱れ方が似合っているのが腹立たしい。


 耳には陽鞠と同じ形のピアス。月と矢羽根の意匠が左右逆に揺れている。首にはお揃いのネックレス。陽鞠のものよりチェーンが少し長く、開いた襟元から銀の輪が覗いていた。左手首のブレスレットは黒革に銀飾り。足首にも同じ細工のアンクレット。制服の下に隠れて見えにくいそれを、知っている者だけが気づく。


 左手の薬指には、指輪があった。


 陽鞠のものと対になっている銀の輪。石は黒に近い深い色で、角度によってわずかに金が混じる。彼の黒い瞳の奥に、ときおり浮かぶ危うい光に似ていた。


 陽鞠は繋いだ手を少しだけ持ち上げた。


「朔夜の足が長すぎるんでしょ。私に合わせなさいよ」


「合わせてる」


「嘘。半歩早い」


「じゃあ抱えていく?」


「朝からやめて。正門でそれやったら、かがり先生に首根っこ掴まれる」


「俺の首根っこ、届くかな」


「先生をなめない方がいいよ。脚立を持ってでも掴みに来る」


 陽鞠がそう言うと、朔夜は口元だけで笑った。


 冷たく見える顔が、陽鞠に向けられた時だけ少し緩む。その変化を見た周囲の女子生徒が、声にならない悲鳴を飲み込んだ。男子生徒の何人かは露骨に目を逸らす。朝から恋人同士の空気を浴びせられる側にも人権はある、という顔だった。残念ながら、退魔学園の朝にそんな優しい制度はない。


「今日も手繋いでる」


「そりゃ恋人だし」


「でも任務中もあの距離だぞ」


「最強ペアだからな」


「陽鞠先輩の結界、昨日の実技見た? 三重に見えて五重だったらしい」


「朔夜先輩は刀抜く前に妖核の位置読んだって聞いた」


「S級って、やっぱ人間じゃないよな」


 噂声は、抑えられているつもりで普通に届いていた。


 陽鞠は聞こえないふりをしている。慣れているからだ。学園に入ってから何度も見られ、囁かれ、時には崇めるような視線を向けられてきた。金色の瞳。桁外れの霊力。学生でありながら実戦任務へ出る特待生。どれも陽鞠を特別扱いする理由になる。


 だが、特別という言葉は便利な刃物でもある。


 綺麗な響きで人を囲い、逃げ道を塞ぎ、違うものとして扱う。


 陽鞠は、繋いだ手に少しだけ力を込めた。


 すると朔夜の指が、返事のように絡み直してくる。大きな手だった。陽鞠の手がほとんど隠れてしまう。指輪同士が触れ、ちり、と小さな音が鳴った。


 その音を聞くと、陽鞠の胸の奥にある硬いものが少しだけほどけた。


「何」


 朔夜が見下ろす。


「別に」


「別にって顔じゃない」


「朝から最強ペアとか言われると、ちょっと肩凝るなって思っただけ」


「小さいのに肩凝るんだ」


「身長関係ないでしょ。斬るよ」


「腰の刀、抜くの面倒だろ」


「背中の弓で射る」


「近い」


「じゃあ結界で潰す」


「物騒。可愛い」


「その流れで可愛いって言うの、本当にどうかしてる」


 陽鞠は睨んだ。


 朔夜はまったく怯まなかった。むしろ楽しそうに、親指で陽鞠の手の甲を撫でる。人前で何をしているのか。人前である。正門である。朝である。世界には場所と時間という概念があるはずなのに、朔夜は陽鞠が隣にいるとそのあたりの常識をよく捨てる。


 周囲の視線が増えた。


 陽鞠は少しだけ頬を熱くしたが、手は離さなかった。


 正門を潜る。


 結界の薄い膜が、二人の身体を撫でた。普通なら外から持ち込まれた穢れが弾けるはずだ。だが、陽鞠と朔夜の周囲だけ、光の反応が少し違った。金と銀が混じるような火花が、二人の指先から一瞬だけ散る。


 門柱の梵字が、淡く強く光った。


 近くにいた下級生が息を呑む。


「今の、見た?」


「二人の霊力、混ざった?」


「やば……」


 陽鞠は聞こえないふりを続けた。


 朔夜は聞こえているくせに興味がなさそうだった。彼はいつもそうだ。周囲がどれだけ騒いでも、陽鞠の表情しか見ていない。危険な妖が現れた時でさえ、まず陽鞠の呼吸を聞く。次に敵を見る。順番がおかしい。だが、その順番に何度も救われた。


 校舎へ続く石畳の道は、朝露でわずかに濡れていた。


 両脇には桜の木が並んでいる。季節は花の盛りを過ぎていたが、枝先にはまだ薄い花弁が残り、風が吹くたびに淡く散った。花びらのいくつかが陽鞠の髪に触れ、金の毛先に引っかかる。


 朔夜が手を伸ばした。


 陽鞠の髪から花びらを取る。ただそれだけの仕草なのに、指先がやけに丁寧だった。ピアスが揺れる。銀の飾りが小さく鳴る。


「ついてた」


「ありがと」


「ん」


 朔夜は取った花びらを見て、なぜか陽鞠の耳元に挿そうとした。


「何してるの」


「似合うかなって」


「私は花瓶じゃない」


「知ってる。俺の彼女」


「朝から堂々と言うな」


「事実だし」


 陽鞠は反論しようとして、やめた。


 事実だった。


 そう思った瞬間、胸の奥がむずがゆくなる。任務ではA級退魔師でも怯むような妖を斬るのに、こういう言葉にはまだ慣れない。おかしな話だ。妖の牙より、恋人の一言の方が扱いに困る。人間の感情は本当に面倒な構造をしている。


 昇降口が近づくと、さらに生徒が増えた。


 靴箱の前で立ち止まっていた生徒たちが、二人に気づいて道を開ける。陽鞠は肩を竦めた。


「別に避けなくていいのに」


「怖いんだろ」


「私が?」


「俺も」


「朔夜は怖いかもね。背が高すぎるし、目つき悪いし、制服崩れてるし」


「陽鞠は可愛いから怖くない?」


「そういう話じゃない」


「俺は怖いよ」


 朔夜の声が、少し低くなった。


 陽鞠が見上げる。


 彼の黒い瞳は、いつものように眠たげで、少し不機嫌そうで、それでも陽鞠を見る時だけ柔らかい。けれど、その奥に一瞬だけ冷たい影が差した。


「お前が本気で怒ったら、学園の結界ごとひっくり返りそう」


「やらないし」


「知ってる」


「じゃあ言わないで」


「でも見てみたい」


「朔夜」


「冗談」


 ちっとも冗談に聞こえなかった。


 陽鞠は繋いでいない方の手で、朔夜のネクタイを掴んだ。緩く結ばれた布が指の中で少し歪む。朔夜は素直に身を屈めた。二百センチの男を百四十センチの少女が引き寄せる光景は、何度見ても脳が理解を拒む。周囲の生徒がまた息を止める。


「変なこと考えない」


「考えてない」


「嘘」


「ばれた?」


「ばれる」


 陽鞠は小さく睨んでから、ネクタイを離した。


 その瞬間だった。


 陽鞠のスマートフォンが鳴った。


 同時に、朔夜の端末も低く震える。


 ただの通知音ではない。学園から支給された任務用端末だけが鳴らす、澄んだ鈴のような音。聞いた者の背筋に、自然と緊張を走らせる音だった。


 昇降口のざわめきが、一瞬で薄くなる。


 陽鞠はポケットから端末を取り出した。画面に赤い文字が浮かんでいる。


 緊急任務。


 発生地点は学園から三駅離れた商業区。朝の通勤時間帯。低級妖と思われる反応が、短時間でA級相当まで膨れ上がっている。一般人の避難誘導が遅れており、現地の退魔師だけでは対応困難。


 陽鞠の金色の瞳が、すっと細くなった。


 朝の甘い空気が切り替わる。


 背中の弓が、わずかに鳴った。腰の日本刀の鞘が、彼女の動きに合わせて硬い音を立てる。先ほどまで照れていた少女の顔から、迷いが消えた。小柄な身体の内側で、霊力が静かに立ち上がる。


 まるで薄い金の炎だった。


「朔夜」


「見た。行く」


「現地、一般人多い」


「お前は結界。俺が核を斬る」


「まだ妖の形もわかってない」


「じゃあ見てから斬る」


「雑」


「いつものことだろ」


「自覚あるなら直しなさいよ」


 言いながら、陽鞠は端末をしまった。


 周囲の生徒たちが道を開ける。誰も軽口を叩かなかった。S級特待生が任務へ向かう。その意味を、退魔学園の生徒なら嫌でも知っている。


 妖は、教科書の中の存在ではない。


 人を襲う。食う。壊す。泣き声を真似て誘い出す。家族の声で扉を開けさせる。低級妖であっても、凶暴化すれば普通の人間など紙細工のように裂かれる。


 だから退魔師がいる。


 だから、陽鞠と朔夜が呼ばれる。


 陽鞠が一歩踏み出そうとした時、朔夜がその手を引いた。


「待て」


「何。急がないと」


「忘れてる」


 陽鞠は一瞬だけ目を瞬いた。


 次の瞬間、意味を理解して頬に熱が上る。


「ここで?」


「ここで」


「昇降口だけど」


「任務前だろ」


「人、いるけど」


「いつもいる」


「開き直りがすごい」


 朔夜は答えず、陽鞠の顎に指をかけた。


 大きな手だった。骨ばった指先が、陽鞠の顎をそっと持ち上げる。強引ではない。逃げようと思えば逃げられるくらいの力。けれど陽鞠は逃げなかった。むしろ、ほんの少しだけ顎を上げる。


 朔夜の黒い瞳が近づく。


 銀髪の影が、陽鞠の金色の瞳に落ちる。


「任務前のキス、まだ」


 低い声が、二人の間だけに落ちた。


 陽鞠は小さく息を吸った。


「……すぐ終わらせてよ」


「無理」


「努力して」


「善処する」


「絶対しないやつ」


 文句は、唇で塞がれた。


 最初は軽く触れるだけだった。


 朝の冷たい空気の中で、朔夜の唇だけが少し温かい。陽鞠の睫毛が震える。背中の弓の紐が肩に食い込み、腰の刀がわずかに重く感じられた。けれど、その重ささえ、彼がここにいるという感覚に溶けていく。


 陽鞠の右手が、朔夜のブレザーを掴んだ。


 指先に制服の生地が皺を作る。朔夜の左手が、陽鞠の腰へ回った。短いスカートの上、ブレザーの裾のあたりを支えるように抱き寄せる。近づいた拍子に、二人の指輪が触れた。


 ちり、と澄んだ音が鳴る。


 その音が、陽鞠の耳の奥でやけに大きく響いた。


「ん……」


 吐息が漏れた。


 自分の声に気づいて、陽鞠は朔夜のブレザーをさらに強く掴む。喉の奥から出た小さな音を誤魔化すように、眉を寄せた。けれど朔夜は誤魔化されない。唇を離すどころか、角度を変えてもう一度触れてくる。


 ピアスが揺れた。


 月と矢羽根の飾りが、二人の頬の近くで小さく鳴る。


 周囲は完全に固まっていた。


 一年生らしき男子生徒が、持っていた上履きを片方落とした。女子生徒の一人は両手で口を押さえ、声を出さないよう必死に耐えている。別の生徒は顔を赤くして壁の方を向いた。見てはいけないと思っているのに、視線だけが戻ってくる。人間の理性はこういう時、だいたい敗北する。


 誰かが小声で言った。


「任務前の、あれ……本当にやるんだ」


「噂じゃなかった……」


「最強ペア、距離感おかしい」


「でも、なんか……勝てそうって思う」


 最後の声に、陽鞠の指が少しだけ緩んだ。


 朔夜が唇を離す。


 近すぎる距離で、互いの呼吸が混じった。陽鞠は少しだけ息を乱していた。金色の瞳が潤んで見えるのが悔しくて、わざと睨む。


「長い」


「短い」


「嘘つき」


「足りない」


「任務」


「終わったら続き」


「任務後もする気でしょ」


「当たり前だろ。生きて戻るんだから」


 その言葉に、陽鞠は黙った。


 生きて戻る。


 軽い口調だった。けれど朔夜は、その言葉だけは絶対に冗談で言わない。任務前のキスは、ただ甘いだけの儀式ではなかった。行って、斬って、守って、必ず戻る。その約束を、言葉より深く身体に刻むためのものだった。


 陽鞠は息を整えた。


 腰の日本刀に手を添える。背中の弓の位置を直す。右手薬指の指輪が、朝日を受けて金色に光った。


「行くよ、朔夜」


「ああ」


「一般人優先。妖核は見つけ次第、私が射線を作る」


「俺が斬る」


「勝手に前出すぎないで」


「お前が後ろにいるなら出る」


「そういうところ」


「嫌い?」


「……嫌いじゃないから困ってる」


 朔夜が笑った。


 陽鞠はそれ以上言わせないように、繋いだ手を引いて走り出した。


 昇降口を抜け、石畳を蹴る。朝露が跳ねる。桜の花びらが二人の間を舞った。陽鞠の金髪が光を弾き、朔夜の銀髪が風を切る。二人のアクセサリーが、走るたびにかすかに鳴った。ピアス、ブレスレット、指輪。お揃いの小さな音が、任務へ向かう足音に混じっていく。


 正門の結界が、二人を送り出すように開いた。


 外の空気が流れ込む。


 その向こうに、わずかな血の匂いがした。


 陽鞠の金色の瞳が、鋭く前を向く。


 もう、登校中の恋人の顔ではなかった。


 退魔学園のS級特待生。


 最強ペアの片割れ。


 篠宮陽鞠は、繋いだ手を離さないまま、朝の街へ駆け出した。


 隣には、綴喜朔夜がいる。


 背の高い銀髪の少年は、彼女の歩幅に合わせながら、それでも誰より速く走った。黒い瞳はすでに冷たく、任務先にいる妖を捉える前から斬る気でいる。


 陽鞠は小さく笑った。


 怖くないわけではない。


 血も、悲鳴も、妖の牙も、何度見たって慣れない。慣れていいものでもない。けれど、隣の手の熱がある。指輪が触れる音がある。任務前に交わした約束が、まだ唇に残っている。


 だから走れる。


 だから戦える。


 陽鞠は息を吸い、朝の光の中で言った。


「今日も斬って帰るよ」


 朔夜が、当然のように答えた。


「帰ったら、もう一回な」


「妖よりしつこい」


「妖は斬れるけど、俺は無理だろ」


「斬ってみようか」


「その前にキスで許して」


「任務終わってから!」


 二人の声が、朝の街へ消えていく。


 背後の退魔学園では、まだ生徒たちが呆然と見送っていた。


 金眼の少女と、銀髪の少年。


 手を繋いで登校し、任務通知ひとつで戦場へ走り、出発前に平然とキスをする、退魔学園最強の特待生たち。


 誰かが、ぽつりと呟いた。


「……あれが、S級」


 その声に、誰も笑わなかった。


 朝日は明るい。


 けれど、街のどこかでは妖が人を襲っている。


 陽鞠の背中で弓が鳴り、朔夜の腰で刀が揺れた。二人の指輪がまた触れて、ちり、と小さな音を立てる。


 その音だけが、甘く、確かで、戦いの朝に似合わないほど優しかった。


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