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銀河鉄道管理局・第七遅延区の少女たち――遅れてきた未来と、記録にない少女――  作者: 明石竜


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19/22

第十九章 猶予の終わる朝

 次の日の朝、セイが来た。

 第七遅延区の会議室には、すずな、ミオ、ネム、キップ、そしてハルカが集まっていた。セイは定刻通りに現れ、穏やかな顔のまま、静かに席に着いた。

 ハルカは、すずなの隣ではなく、少し離れた席に座っていた。見習い駅員の保護者としてではなく、第七遅延区の主任として、そこにいるように見えた。

 すずなは、七日間の記録を差し出した。

「観察記録です」

 セイは受け取った。ページをめくった。数字を確認して、グラフを見た。

 しばらく、黙って読んでいた。

「時刻の誤差が縮小しています」

「はい」 

「分岐存在が存在することで、周辺の安定が増した可能性があります」

「記録上は、そうなっています」

「これは、私の想定と異なります」

セイは感情のない声だったが、認めていた。

「セイの想定と異なるということは、想定が正確ではなかった可能性があります」

「あります。ただし、七日間のデータだけでは、長期的な影響は判断できません」

「そうです。だから、七日間以上、観察を続けることを提案します」

「観察を続けることに、終わりはありますか」

「ミオとネムが、第七遅延区の一部として機能するようになれば、終わりにできます」

「第七遅延区の一部として」

「遅延乗客を安定させる機能を持つ存在として、正式に認めることです。処理対象ではなく、遅延区の構成員として」

 セイは少しの間、黙っていた。

「それは、管理局の規則にない扱いです」

「規則に禁じられてもいません」

「また屁理屈を言いますか」

「規則の解釈です」


 セイの視線が、すずなからミオへ移った。次にネム、キップへと順に向けられ、最後にハルカのところで止まった。

「鐘ヶ瀬主任」

「はい」

「あなたは、第三十二条第七項を適用しました。本局の方針に反する可能性がある判断です。その理由を、今ここで話してもらえますか」


 ハルカはすぐには答えなかった。

 視線を伏せることも、言い訳を探すこともしなかった。ただ、自分の中にある言葉を確かめるように、短く息を吸った。

「話します。十年前、私は規則通りに乗客を引き渡しました。後悔しています。今回、同じ後悔をしたくないと思いました。それが理由です」

「感情的な理由です」  

 セイの声は責めるものではなかった。ただ、分類するような声だった。

「そうです。私は感情で動きました。普段はしないことです。でも、今回はしました」

「感情で動いたことを、後悔していますか」

「していません」

その答えだけは、早かった。

 セイはハルカを長い間、見ていた。

「セイ」

 すずなは呼んだ。

「はい」

「セイは、今回の判断を、何を根拠に下そうとしていますか」

「管理局の規則と、時刻表の管理という目的です」


 すずなは、その答えをノートに書く代わりに、頭の中で一つずつ並べた。

 規則。目的。記録。

 セイは感情では動かない。ならば、感情ではなく、セイの言葉で話すしかない。

「規則と目的が、判断の根拠ですね」

「そうです」

「七日間の記録は、時刻表の管理という目的に対して、ミオとネムの存在が有効である可能性を示しています。目的に照らして、有効であれば、残す判断ができます」


 セイはすぐには答えなかった。

 ミオが、すずなの隣で小さく息を止めたのがわかった。

「論理として、筋は通っています」

「では、規則の面はどうですか。遅延証明書の承認を、本局として行う規則上の障害はありますか」

「明示的な障害は、ありません」

「ならば」

 そこまで言って、すずなは言葉を止めた。

 最後の一歩を、自分で言い切っていいのか迷った。

 けれど、セイは冷静に続きを引き取った。


「ならば、承認できる、ということになります。論理として、認めます」


 すずなは息を止めた。

「承認する、ということですか」

「暫定証明書を、正式な遅延証明書として承認します。ただし、条件があります」

「条件は」

「観察を継続します。定期的に記録を提出してください。データが悪化した場合は、再度話し合いをします」

「わかりました」


 ミオが何か言いかけて、やめた。

 ネムはミオの袖を握っていた。

 まだ終わっていない。すずなにも、それはわかった。

「また、遅延証明書の責任を引き受ける者が必要です。誰がなりますか」

「わたしです。星見すずなが、責任を引き受けます」

「それは、管理局の記録から外れることを意味します」

「承知しています」

「後悔しませんか」

「しません」

 答えは、すぐに出た。今度は、考える必要がなかった。

「キップも署名するつもりですか」

「する。吾輩も、責任を引き受ける」

セイはキップを見た。

「あなたは、過去に後悔した判断があると言いました」

「あります」

「今回は、後悔しないと思いますか」

「思います。なぜなら、今回は、動いたからです」

 キップは丁寧語で答えた。いつもの偉そうな声ではなかった。小さな補助車掌が、自分の記録に署名する声だった。


 セイはしばらく黙っていた。

「では、手続きを進めましょう」

 セイは端末を取り出した。正式な遅延証明書の手続きを進め始めた。すずなは署名した。キップも署名した。

 画面に、完了の表示が出た。

 その瞬間、すずなの管理局の記録が、更新された。駅員見習いから、遅延区構成員補助という、管理局には前例のない区分へ変わった。

 キップも同様に、記録が更新された。

 ミオの記録が、消滅確認リストから、正規存在リストへ移動した。

 ネムも、同じように。

「完了しました。灯野ミオさん、十和田ネムさん。管理局の記録に、正式に存在することになりました」

 ミオは黙っていた。

 ネムも黙っていた。

 それから、ネムが泣いた。声を出さないで、涙だけが出た。ミオがネムを抱きしめた。ミオも、少し目が赤くなった。

「すずな」

ミオは、ネムを抱きしめたまま呼んだ。

「はい」

「ありがとう」

「わたしだけではありません」

「知ってる。でも、ありがとう」

 すずなは答えなかった。

 答えの代わりに、懐中時計を取り出した。

 針が、動いていた。

 管理局の定刻ではなかった。でも、止まってもいなかった。どこへ向かうかが、はっきりしていた。

 ミオの方向だった。

 それは最初から、変わっていなかった。

 セイが立ち上がった。

「星見すずな」

「はい」

「あなたは、管理局の定刻から外れました」

「はい」

「後悔はありませんか」

「ありません」

「定刻から外れることは、正しいことだと思いますか」

 すずなは少し考えた。

「わかりません。でも、わたしがしたいことをしたので、それでいいと思っています」

「正しいかどうかより、したいかどうかが優先されますか」

「今回は、そうなりました」

「今後も、そうですか」

「今後は、状況によって考えます」

「まだ整理するんですか」

「必要な場面では、整理します」

 セイは少しだけ、目を細めた。感情は見えなかった。

「わかりました。観察記録の提出を、忘れないように」

「忘れません」

「話し合いを続ける意思があるなら、いつでも連絡を」

「連絡します」

 セイは会議室を出た。静かに、穏やかに。

 会議室に、残された人たちがいた。

「終わりましたね」

ハルカが言った。

「一区切りです。終わりではありません。観察を続けます」

 ずずなは伝える。

「そうですね」

ハルカはちょっとだけ笑った。すずなが見た中で、初めてハルカが笑った。

「観察記録の提出先は、私でいいですか」

「お願いします」

「わかりました」

ハルカは立ち上がった。

「では、通常業務に戻ります」

「主任」

 すずなが呼んだ。

「何ですか」

「ありがとうございました」

「礼は不要です」

「言います」

「聞きません」

「聞いてください。主任が動いてくれなければ、ここまで来られませんでした」

 ハルカは少しの間、すずなを見た。

「星見」

「はい」

「未登録乗客の発見時に即時報告せよ、という命令を出しました。覚えていますか」

「覚えています」

「その命令に、あなたは従いませんでした」

「発令日より前の発見案件だったので」

「屁理屈でした」

「規則の解釈でした」

 ハルカは少し、目を細めた。

「続けてください」

それだけ言って、会議室を出た。

 

 ミオがネムを離した。ネムは涙を拭いた。

「終わったの?」

ネムが尋ねた。

「一区切りです」

すずなは答えた。

「ワタシたち、いていいの?」

「います」

「ずっと?」

「観察記録を提出し続ける限り、いられます」

「じゃあ、ずっといられるね」

「そうなります」

 ネムはちょっとだけ笑った。泣いたあとの笑い方だったが、力のある笑い方だった。

「流星野には帰れないけど」

「帰れません」

「でも、ここにいていい」

「います」

「ありがとう、すずな」

「ネムが存在してくれていたから、記録が取れました。ネムも、いてくれてありがとうございます」

「そんなこと言う人、初めて」

「事実なので」


 ミオがすずなの隣に来た。

「すずな」

「はい」

「管理局の記録から外れたね」

「外れました。遅延区構成員補助、という区分になりました。前例のない区分です」

「定刻から外れた駅員」

「そういうことになります」

「かっこいいね」

「そうですか」

「うん。すずなっぽい」

「どういう意味ですか」

「規則の中で動いてたすずなが、最後に一番規則の外に出た。でも、ちゃんと記録して、ちゃんと話し合って、ちゃんと認めてもらった。すずなのやり方だ」

 ミオに言われ、すずなは少し考えた。

「ミオと出会ったから、そうなりました」

「わたしが変えたの?」

「変えたというより、気づかせてもらいました。規則の正しさと、すべきことが違う場合があることを」

「それ、すずながわたしに言った言葉だよ」

「ミオが先に気づいていたことを、あとからわたしも気づきました」

「どっちが先かわかんないね。一緒に気づいたのかもしれない」

 ミオはにこっと笑った。

「そうかもしれません」

「新人」

「はい」

「これからのことを、確認したい」

「どうぞ」

「管理局の記録から外れた。駅員見習いではなくなった。ここで何をするつもりだ」

「観察記録をつけます。ミオとネムの存在が、第七遅延区の乗客にどう影響するかを記録します。その記録をセイに定期的に提出します」

「それだけか」

「それ以外にも、第七遅延区で、遅延乗客の対応を続けます。正式な駅員ではなくなりましたが、できることは残っています」

「ハルカ主任が認めるか」

「聞いてみます。続けてください、と言われた気がしました」

「あの人は認めるだろうな。認めないふりをしながら」

「ミオも同じことを言いました」

「正しい見立てだ」

「では、これからも第七遅延区にいます。定刻から外れた駅員として」

「定刻から外れた駅員と、定刻から外れた存在たちで、遅延区を動かすか」

「そういうことになります」

「変な区画になるな」

「変かもしれません。でも、悪くないと思います」

 キップはしっぽを揺らした。

「吾輩は、補助車掌のままでいい。変わらなくていいか」

「変わらなくていいです」

「よし」

 キップが満足そうにしっぽを揺らした。

「じゃあ、わたしは?」

 ミオが自分を指さした。

「ミオは、いてください」

「いるだけ?」

「ミオがいることが、一番大事です」

「なんか、役に立ちたい」

「乗客の話を聞く、ということはできますか。ミオは、ユキノさんのことをわたしより早く理解しました。カナメさんにも、伝わる言葉を持っていました」

「そういう役割?」

「そういうことができる人だと、思っています」

「できるかな」

「できます」

「言い切るんだね」

「できると思っているので」

 ミオはちょっとだけ笑った。

今度はネムが、自分の胸に手を当てた。

「ネムは?」

「ネムは、歌ってください」

「え?」

「ネムが歌を歌うと、周辺の状態が安定する可能性があります。七日間の記録で、そう判断しました」

「歌うだけでいいの?」

「歌うだけで、じゅうぶんです」

「お父さんの変な歌でいい?」

「いいです」

 ネムはしばらく考えた。それから、少しだけ歌い始めた。空を泳ぐ魚の歌。七日間の中で、すずなが何度か聞いた歌。

 会議室に、歌が広がった。

 窓の外の第七遅延区のホームで、遅延乗客が一人、立っていた。ホームの端で、もう来ない列車の方向を見ていた。

 その人が、少しだけ顔を上げた。

 窓の中から聞こえてくる歌を、聞いているような顔をした。

 すずなはそれを見ていた。

「キップ」

「何だ」

「今の記録を取りました」

「どういう内容で」

「ネムの歌が、遅延乗客の状態に影響した可能性あり。継続観察が必要」

「観察を続けるんだな」

「続けます」

 キップはしっぽを揺らした。

「変な区画だ」

「変でいいと思います」

「吾輩もそう思う」

 会議室に、ネムの歌が続いていた。窓の外に、第七遅延区の午後の光が差していた。

 すずなは懐中時計を取り出した。

 針が動いていた。

 管理局の定刻ではない。でも、止まってもいない。ある方向に向かって、今日は今までで一番、安定した動き方をしていた。

 ミオの方向だった。

 ネムの歌の方向だった。

 キップのいる肩の方向だった。

 第七遅延区の、これからの方向だった。

 すずなはそれを見て、ポケットにしまった。

 ノートを開いた。今日の記録を書き始めた。

 日付と、時刻と、場所。事実から始める。いつも通りに。

 でも今日は、最初の一行のあとに、もう一行だけ追加した。

 ──定刻から外れた駅員として、第七遅延区での業務を開始する。

 それだけ書いて、ノートを閉じた。

 窓の外で、遅延乗客がまだホームに立っていた。もう来ない列車の方向を見ていた。でも、さっきより少しだけ、肩の力が抜けていた。

 すずなはそれを見て、立ち上がった。

「行きます」

「どこへ」

ミオが尋ねた。

「ホームです。乗客がいます」

「一緒に行っていい?」

「来てください」

 すずなたちは、会議室を出た。

 廊下を歩いた。七番線のホームへ出た。

 夕方の光の中で、ホームは静かだった。遅延乗客が一人、端に立っていた。

 すずなは歩み寄った。

 乗客が振り返った。

 すずなは制服の襟を正して、帽子のつばに触れた。

「こんにちは。何かお手伝いできることはありますか」

 乗客は少し驚いた顔をした。それから、少しだけ肩の力が抜けた。

「列車を、待っていたんです。でも、来ないんです」

「乗り遅れた列車ですか」

「そうかもしれません」

「そうかもしれない、ということは、まだわかっていないんですね」

「はい」

「では、一緒に確認しましょう」

 すずなはノートを開いた。

 ミオが隣に来た。

 ネムは少し離れたところで、また小さな声で歌い始めた。

 キップがすずなの肩に乗った。

 第七遅延区の夕方が、穏やかに続いていた。


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