第十八章 七日間だけの時刻表
七日間が、始まった。
第七遅延区へ戻ったとき、ハルカが七番線のホームにいた。すずなたちが廃止路線の扉から出てきたのを見て、ハルカは特に驚いた様子を見せなかった。待っていた、という顔をしていた。
「戻りましたね」
「はい。ご連絡をいただいた通りに動きました」
「時刻中枢へ、着きましたか」
「着きました。暫定証明書が登録されました。セイから、七日間の猶予をもらいました」
ハルカはミオを見て、ネムを見た。
「七日間、ここにいていいですか。管理局本局の判断として、七日間の観察期間が設けられました。第七遅延区の管轄内での行動が認められています」
すずなは尋ねた。
「わかりました。鐘ヶ瀬主任として、その条件を受け入れます」
「ありがとうございます」
「礼は不要です。ただし、一つ確認があります」
「何ですか」
「七日後、セイが承認しなかった場合、あなたはどうするつもりですか」
すずなはハルカを見た。
「また話し合います」
「何度でも?」
「何度でも」
「セイが承認しない限り、遅延証明書は無効になります。それを承知の上で、話し合いを続けるということですか」
「はい」
「その間、あなたの立場は、どうなりますか」
「管理局の方針に逆らっている状態です。処分の対象になり得ます」
「わかった上で、続けますか」
「続けます。止まる理由が、わたしにはありません」
ハルカは少しの間、すずなを見ていた。
「星見」
「はい」
「一つだけ、言います」
「はい」
「私は、あなたに言いました。あなたは駅員には向いていないかもしれない、と」
「覚えています」
「撤回はしません。でも、向いていない人間が、向いていない場所で動くことが、時に必要だということは、あります」
「そうですか」
「そういうことだと、思っています」
ハルカは踵を返して、管理局の建物へ戻った。
すずなはその背中を見ていた。
「ハルカさん、いい人だね」
ミオが言った。
「そうですね」
「認めないふりして、助けてくれてる」
「認めないふりをしているかどうかは、わかりません。ただ、できることをしてくれています」
「同じことじゃないの」
「少し違います。ハルカ主任は、規則の側にいます。それは変わっていません。でも、規則の中でできることを、選んでいます」
「すずなと同じじゃん」
「……似ているかもしれません」
七日間、すずなは動いた。
観察記録をつけた。ミオとネムが第七遅延区に存在することで、周辺の時刻表にどういう変化が起きるか、毎日記録した。キップが補助した。数値と事実だけを記録した。感情を入れなかった。セイが見ても反論できないように、丁寧に、正確に。
三日目に、最初の記録が出た。
ミオとネムが存在する区画の周辺で、時刻の誤差がわずかに縮小していた。
ただし、数値は小さかった。誤差の範囲だと言われれば、それまでだった。
「これは」
すずなは記録を確認した。
「誤差が縮んでいる。でも、まだ証拠にはなりません」
「そうだ。セイが見れば、偶然だと言うだろう」
キップは記録用紙の端を前足で押さえた。
「新人。喜ぶな。記録しろ」
「はい」
すずなは書いた。縮小、と。
ただし、判断保留、とも。
四日目には、逆の記録が出た。
第五貨物線の時刻誤差が、前日より広がっていた。
すずなは、その数値を見た瞬間、手を止めた。
「……悪化しています」
「一箇所だけだ」
「でも、悪化は悪化です。セイが見れば、こちらを重く見るかもしれません」
「見るだろうな」
キップは否定しなかった。
だから、すずなも消さなかった。
不利な記録も、同じ筆圧で書いた。都合のいい事実だけを並べたなら、それは記録ではなく、言い訳になる。
五日目に、白紙駅から報告が来た。
長期滞在していた乗客が、初めて前へ進む意思を示した、という内容だった。時刻表の誤差と直接関係があるとは言えない。けれど、すずなはその報告も別紙にまとめた。
六日目には、郵便車両の担当者から連絡が来た。未送達の言葉の処理速度が、わずかに上がっているという。
七日目の夜、すずなは最後の記録を書き終えた。
日付、時刻、観測地点、誤差の増減。七日分の数字が、机の上に並んでいる。
キップがその上を歩き、前足で記録用紙を一枚ずつ押さえながら確認した。
「新人」
「はい」
「局所的な揺れはある。悪化した区画も一つある。だが、全体では縮んでいる」
「全体では」
「そうだ。ミオとネムが存在することで、第七遅延区全体の時刻表が破綻に近づいている、というセイの主張とは逆の結果だ」
照合が終わったあと、すずなは記録を一冊の薄い綴じ紐にまとめた。
明日、セイに渡すためのものだった。けれど、その前に、最初に見せるべき相手がいると思った。
「これが、七日間の結果です」
ミオは記録を読んだ。読みながら、少しずつ表情が変わった。
「時刻表の誤差が、縮んでる」
「はい」
「わたしがいることで、縮んでる」
「記録上は、そうなっています。キップの考えでは、ミオとネムが安定して存在することで、周辺の遅延乗客が安定する可能性があります。遅延乗客の安定が、時刻表の歪みを減らす」
「わたしが、時刻表を直してるってこと?」
「直している、というより、安定させている。でも、そういうことになります」
ミオは記録を見た。数字と事実が並んでいる記録を、しばらく見ていた。
「これ、セイに見せるの?」
「明日、見せます」
「それで、どうなるかな」
「わかりません。でも、データとして渡します。判断するのはセイです」
「セイが、それでも承認しなかったら」
「また話し合います」
「また言った、また話し合います」
ミオは笑った。でも、今日の笑いは少し違った。疲れた笑いではなかった。少し、力のある笑いだった。
「七日間、すずなが作ってくれた記録だね、これ」
「キップも手伝いました」
「でも、すずなが作った」
「作りました」
「わたしのために」
「ミオとネムのために、です」
「ありがとう。すごく、ありがとう」
「礼は不要です」
「言う」
「聞きます」
ミオが少し笑った。
「すずな、礼を受け取るようになったね」
「受け取るべき場面だったので」
「成長してる」
「そうでしょうか」
「してる。最初はもっと、何でも自分で抱えてた。今は受け取れる」
すずなは少し考えた。
「ミオがいたからかもしれません」
「わたしが?」
「ミオが、わたしの言葉を覚えていると言いました。わたしの口癖を知っていると言いました。それを聞いて、自分が誰かに受け取られているということを、初めてわかった気がしました」
ミオはすずなを見ていた。
「すずながわたしを受け取ってくれて、わたしがすずなを受け取って」
「そういうことになります」
「じゃあ、お互い様だね」
「お互い様です」
ミオは記録を返した。すずなはそれをノートに挟んだ。
「ねえ、すずな」
「はい」
「承認されなくても、管理局の記録から外れても、一緒にいてくれる?」
「います」
「すぐ答えるんだ」
「七日間、考えました」
「そっか」
「遅延証明書の発行には、責任を引き受ける者の署名が必要です。わたしが署名します。そうすれば、管理局の記録から外れる可能性があります」
「それって、管理局の駅員じゃなくなるってこと?」
「定刻から外れた駅員、ということになります」
「定刻から外れた駅員」
「見習いのまま、終わるかもしれません。でも、それでいいと思っています」
「なんで」
「定刻通りの場所にいても、ミオのそばにいられないなら、意味がないからです」
ミオは黙っていた。
「すずな」
「はい」
「わたしのために、そこまでしてくれるの」
「ミオのためだけではありません。わたしがそうしたいからです」
「同じことじゃないの」
「違います。わたしが選んでいるということが、違います。誰かに言われたのでも、規則があるからでもなく、わたしがそうしたいから、そうします」
ミオはしばらく、すずなを見ていた。
「わたし、あの星屑の中の声が聞けて、よかった」
「おかえりという声ですか」
「うん。あれを聞いて、帰りたい場所を持てることを知った。そして今、帰りたい場所がある」
そう言って、すずなの方を向いた。
「すずなのそば」
「知っています」
「覚えてた」
「覚えています」
「何回言っても、忘れないでいてくれる?」
「忘れません」
「ずっと?」
「ずっと」
ミオは少し目を閉じた。閉じて、また開けた。
「じゃあ、明日のこと、任せる。すずなに任せる」
「任せてください」
「わたしは何をすればいい?」
「そこにいてください。いるだけで、じゅうぶんです」




