第十一章 灯野ミオという事故
翌朝、すずなはキップからの短い連絡で、それを知った。
管理局の内線端末ではなく、キップが直接廃止路線まで走ってきた。珍しいことだった。キップが走るのを、すずなはほとんど見たことがない。
「新人、本局から人が来た」
「誰ですか」
「烏丸セイだ」
すずなはその名前を、一昨日ハルカから聞いていた。局長代理。通達の発令元。管理局の上層部にいる人物。
「第七遅延区へ来た理由は」
「分岐存在の件だろう。直接確認に来た、ということだ」
「ハルカ主任は」
「本局の訪問を受けて、対応中だ。今のところ、こちらの動きは把握されていないと思うが、時間の問題だ」
ミオがすずなとキップの会話を聞いていた。ネムは朝の眠りから覚めたところで、ベンチに座って二人を見ていた。
「その人が来たら、どうなるの?」
ネムはすずなに尋ねた。
「わかりません。でも、動く必要があります」
「どこへ?」
「まだ決まっていません。考えます」
「今考えるの?」
「今です」
すずなは頭の中で整理した。廃止路線にいる今は、管理局からは見えない。ただし、廃止路線の使用承認はハルカが記録した。烏丸セイがハルカから情報を得れば、廃止路線への侵入も考えられる。
「キップ」
「何だ」
「廃止路線の出口は、七番線の扉だけですか」
「この路線では、そうだ。ただし、星屑貨物駅からさらに奥へ進むと、別の区画へつながる通路がある。廃止当時に封鎖されたはずだが、物理的な構造は残っているかもしれない」
「確認できますか」
「吾輩が昔通ったことがある。記憶が正しければ、ある」
「行きます」
一行は星屑貨物駅を出て、さらに奥へ進んだ。ネムはミオの手を握って歩いた。昨日よりも足取りがしっかりしていた。
キップの記憶通り、奥に通路があった。封鎖の跡があったが、扉はすでに外れていた。長い年月で、封鎖が機能しなくなっていた。
「どこへ続きますか」
「第七遅延区の管轄外の区画だ。別の遅延区につながっている」
「管轄外であれば、今回の通達の対象外になります」
「通達の発令元は本局だ。管轄外でも、セイの権限は及ぶ可能性がある」
「ただし、今すぐに探しに来ることはできません。時間は稼げます」
「そうだな」
通路を抜けた先は、使われていない区画だった。照明はなく、銀河の光だけが天窓から差し込んでいる。埃が積もっていて、長い間誰も来ていないことがわかった。
とりあえず、今夜の場所はここにする。すずなはそう決めた。
昼ごろ、キップが様子を見に管理局へ戻った。
戻ってきたキップの顔を見て、すずなは状況が動いたことを察した。
「セイが、ハルカ主任に聞いたようだ」
「廃止路線の件を」
「承認記録が残っていた。ただ……」
キップは少し間を置いた。
「ハルカ主任の話し方が、慎重だったらしい。承認した事実は認めたが、現在地については、把握していないと答えた」
「把握していない、というのは」
「事実として、ハルカ主任は今の場所を知らない。廃止路線の使用を承認したが、その先へ進んだことは、記録にない。だから嘘ではない」
すずなはその言葉を考えた。ハルカは廃止路線の先にある星屑貨物駅のことを、すずなに話していない。通路の先の区画のことも、知らないはずだ。結果として、ハルカは本当のことを言っていることになる。
「セイは、どんな人物でしたか」
「会っていない。ハルカ主任から聞いた話だ。穏やかで、丁寧で、感情的な言葉を使わない。だが」
「だが?」
「底が見えない、とハルカ主任が言っていた。人間的な悪意はない。だからこそ怖い、と」
ミオが聞いていた。
「その人が、わたしを消しにくるの?」
「直接そういう言い方はしないだろう。ただ、目的はそういうことだ」
「なんで悪意がないのに、消せるの?」
「それが正しいことだと思っているからだ。一人の分岐存在を残すことで、世界の時刻表に歪みが出る。その歪みは、多くの人々の人生に影響する。セイはその影響を知っているから、一人を消すことを、正当な処理と考える」
「正しいの?」
「間違っていない、とは言える。ただ」
キップは言葉を選んだ。
「正しいことが、すべきことかどうかは、別の問題だ」
ミオはしばらく黙っていた。
「わたしは間違いなの? 事故なの?」
「セイの言葉では、不要な分岐だ。だが、吾輩の言葉では、違う」
「キップはどう呼ぶの?」
「ミオだ。それだけだ」
ミオはちょっとだけ笑った。
すずなはキップを見て、それからミオを見た。ミオの輪郭は、今日も薄かった。昨夜より少し薄い気がした。定着することで安定する、とキップは言っていたが、それでも少しずつ薄れていく速度は、完全には止められていない。
「ミオ、今日の状態はどうですか?」
「ちょっと重い。体が」
「重い?」
「昨日より、重い感じがする。動きにくいっていうか」
ミオは自分の手を見た。
「昨日、あの光のかたまりに触れたから、少し使った感じがあって」
「無理をしましたか」
「わかんない。でも、大丈夫」
「大丈夫ではなさそうです」
「大丈夫だって言ってるじゃん」
「ミオが大丈夫と言うときは、大丈夫ではないことが多い」
ミオは少し黙った。
「……そんなこと言ったの、すずなが初めて」
「そうですか」
「誰も、そんなとこ見てなかった」
「見ていました。一緒にいたので」
ミオは何か言いかけて、止めた。代わりに、少しだけ俯いた。俯いて、また顔を上げた。
「少し、しんどい」
「正直に言ってくれてありがとうございます」
「すずなに言うなら、正直に言える気がする」
すずなはミオの隣に座った。ミオの手のそばに、自分の手を置いた。触れるかどうかの距離で置いた。ミオが、すずなの手を見た。それから、手を重ねた。触れた。
どちらも何も言わなかった。
ネムが二人を見ていた。安心する顔をしていた。
夕方になって、セイが動いた。
キップが知らせに来た。
「管理局の全担当者に、捜索命令が出た。分岐存在の現在地を確認するため、管轄内の全区画を確認するという命令だ」
「廃止路線も含みますか」
「含まれると思っていい。時間の問題だ」
「ハルカ主任は」
「命令に従っている。従わないわけにはいかない」
すずなは状況を整理した。
管轄内の全区画確認であれば、廃止路線も含まれる。今いる区画は管轄外かもしれないが、廃止路線を通ってくれば、ここまで来られる可能性がある。時間は限られていた。
「キップ。この先に、どこかに出られる場所はありますか」
「この区画は第八遅延区につながっている。第八遅延区に出ることはできる」
「第八遅延区は、今回の通達の対象ですか」
「本局からの通達であれば、第八も対象のはずだ。ただし、第八遅延区の主任が誰かによって、動き方が変わる」
「誰ですか」
「第八は古い区画で、主任は長くそこにいる人間だ。名前は知っているが、吾輩が最後に会ったのはかなり前だ」
「ハルカ主任に似た人ですか。規則を厳しく守る人」
「いや、あそこの主任は、少し違う。規則を守るが、裁量も大きい。自分の判断を持っている人間だ」
「話が通じる可能性がありますか」
「わからない。ただ、ハルカ主任よりは、可能性があるかもしれない」
すずなは決めた。
「第八遅延区に移動します」
「話が通じなかった場合は」
「その場合は、また考えます」
「いつもそれだ」
「状況が変わってから考えたほうが、正確に判断できます」
キップは鼻を鳴らした。否定はしなかった。
移動の準備をしながら、ミオがすずなに言った。
「ねえ、すずな」
「はい」
「セイって人が来たら、どうするの」
「会うことになれば、話します」
「話して、どうにかなると思う?」
「わかりません。でも、話さなければ、何もわかりません」
「セイは、わたしを消すことが正しいと思ってる。そう簡単には変わらないんじゃない?」
「変えようとするよりも、伝えることの方が大事だと思っています」
「何を伝えるの」
すずなは少し考えた。
「ミオがここにいること。消えた未来の中にいたこと。スープの味を覚えていること。星屑の中に、ミオを待っていた人がいたこと。それを伝えることが、何か変えるかどうかは、わかりません。でも、伝えずに終わりたくない」
ミオはすずなを見ていた。
「すずな」
「はい」
「わたしのために、そこまで言えるんだね」
「言えます」
「怖くないの」
「怖い。でも、言います」
ミオは少し目を細めた。
「ありがとう」
「礼を言わなくていいです」
「言う。キップもそうだけど、礼を言わせて。感謝してるから」
「吾輩に礼を言うな」
「言う」
「聞かない」
「言う」
キップは耳を立てて、そっぽを向いた。
ネムが話しかけた。
「わたしもありがとう」
「ネムも礼を言うな」
「言う」
「お前たちは揃いも揃って」
「「「言う」」」
三人が同時に言った。
キップはしっぽを大きく揺らして、通路の方向を向いた。
「行くぞ。時間がない」
すずなたちは、通路を抜けた。
第八遅延区への路線は、第七よりも古かった。壁の石が、年月を重ねた色をしている。天窓から差し込む銀河の光だけが変わらず、床を薄く照らしていた。
歩きながら、ミオがすずなの隣に来た。
「すずな」
「はい」
「もし、セイの言うことが正しかったら」
「何が」
「わたしが消えることで、世界の時刻表が正しくなる。たくさんの人の未来が、ちゃんとした定刻に戻る。それが本当なら」
「はい」
「わたし、消えるべきなのかな」
すずなは歩みを止めなかった。前を向いたまま、答えた。
「わたしには、判断できません」
「え?」
「世界の時刻表がどう変わるか、わたしには見えません。だから、セイの言うことが本当かどうかも、確認できません」
「でも、もし本当なら」
「本当だとしても、わたしはミオに消えてほしくない。それがわたしの答えです」
「たくさんの人の未来より、わたし一人の方が大事なの?」
「大事かどうかという比較ではありません。わたしには、見えていないたくさんの人より、目の前にいるミオの方が、わかります。わかる人を、大切にしたいです」
ミオは黙って歩いていた。
「……すずなって、正直だよね」
「嘘をつくと、あとで辻褄が合わなくなるので」
「それ、また言った」
「また言いましたか」
「何回目かな。でも、好き。その言葉」
ミオは少し笑った。
「そうですか」
「うん。すずながすずなでいるって感じがして、安心する」
すずなはその言葉を、頭の中に書き留めた。記録ではなく、覚えておくために。
通路の先に、光が見えてきた。
第八遅延区の入口だった。
すずなは懐中時計を見た。針は動いていた。管理局の定刻ではない方向へ、でも確かに向かっている方向へ。
扉の前で、すずなは一度立ち止まった。
扉の向こうに何があるかは、わからない。話が通じるかどうかも、わからない。でも、止まっていることはできない。
「行きます」
すずなは扉を開けた。




