第十章 星屑貨物の行き先
廃止路線の先に、駅があった。
キップは知っていた。この路線の終点に、かつて小さな駅があったことを。廃止と同時に閉鎖されて、今は誰も使っていない。でも、壊されてはいない。管理局の記録では「閉鎖済み施設」として扱われていて、存在そのものは残っている。
朝になって、すずなはキップからそれを聞いた。
「駅が残っているなら、使えますか」
「閉鎖済みだが、構造は残っている。電力も最低限は通っているはずだ」
「ハルカ主任から承認された廃止路線の使用範囲に、その駅は含まれますか」
「廃止路線全体の使用を承認された。終点の駅も、路線の一部だ」
「なら、使えます」
すずなはミオとネムに伝えた。今夜の巡回変更が終われば、七番線の状況は元に戻る可能性がある。ただし、管理局の通達はまだ有効で、上層部の動きも読めない。廃止路線の奥にある駅まで移動すれば、もう少し時間が稼げるかもしれない。
「行く」
ミオが言うと、ネムも頷いた。
すずなたちは、廃止路線をさらに奥へ進んだ。
レールは古く、場所によっては錆が浮いていた。天井の窓から銀河の光が差し込んでいるが、現役の路線より暗い。ネムはミオの手を握って歩いた。最初はゆっくりだったが、しばらくすると自分のペースが出てきた。
三十分ほど歩いたとき、前方に光が見えた。
駅の照明だった。最低限の電力で点いている、薄い橙色の光だった。
駅に着いた。
ホームは小さかった。ベンチが二つ、古い案内板が一枚、改札の跡が残っている。案内板には、行き先が書かれていた。
──星屑貨物駅。
「星屑貨物駅。変な名前」
ミオが読んだ。
「星屑貨物を扱う駅だ」
キップが言った。
「星屑貨物って何ですか」
すずなは尋ねた。
「誰にも選ばれなかった未来、間に合わなかった約束、届かなかった夢。そういったものが、最終的にここへ集まる。遅延区で処理されなかった貨物の、最終集積場所だ」
「最終集積場所」
「吾輩がこの路線で車掌をしていたころ、時々ここまで来ることがあった。ここから先は、どこへも続かない」
すずなはホームの奥を見た。ホームの端に、大きな倉庫があった。扉は古いが、鍵はかかっていなかった。
「入れますか」
「入れるとは思う。ただ……」
キップは少し言いよどんだ。
「中は、覚悟して入ったほうがいい」
「何があるんですか」
「見ればわかる」
すずなは扉を引いた。
中は広かった。
倉庫の天井は高く、壁に沿って棚が並んでいるが、棚には何も乗っていない。代わりに、床から天井まで、光が満ちていた。
光、というより、光のかたちをした何かだった。星のように小さくて、でも一つひとつが違う形をしていて、ゆっくりと漂っている。数えきれないほど、無数の光のかけらが倉庫の中をふわりふわりと浮いていた。
「これが」
すずなは呟く。
「星屑だ。誰にも選ばれなかった未来たちだ」
ミオが倉庫の中を見ていた。一歩、中へ入った。光のかけらが、ミオのそばで少し揺れた。ミオの手を伸ばすと、光のかけらが指先に近づいた。触れる前に、少しだけ揺れて、離れた。
「触れないんですか?」
すずなは尋ねた。
「触れられる。ただ、触れると崩れる場合がある。形を保てないほど薄くなった未来は、認識されると消える」
「認識されると消える」
「誰かに見つかることで、消えるものもある。見つかることを待っているものもある。どちらかは、近づいてみないとわからない」
ネムが倉庫に入ってきた。光のかけらを見上げた。
「きれい」
「ここにあるものは、みんな、誰かの未来のかけらです」
すずなはネムに言った。
「誰かの?」
「ここへ来た人たちの。乗り遅れた人たちの。間に合わなかった人たちの」
「流星野も、ここにある?」
すずなはキップを見た。キップは少し考えた。
「消えた町の記憶が、貨物として流れてくることはある。ただ、どこにあるかは、わからない」
「ネム、探してみる?」
ミオは尋ねた。
「……探せる?」
「わからない。でも、やってみようか」
ミオはゆっくりと倉庫の中を歩いた。光のかけらが、ミオの周りで揺れた。すずなは少し離れてついていった。ネムはミオの隣を歩いた。
倉庫は広く、どこまでも続くような感覚があった。実際には壁があるはずだが、光のかけらが満ちているせいで、奥がよく見えない。
歩きながら、ミオが言った。
「何かが、近い気がする」
「何が」
「わからない。でも、知ってるものが、近い」
すずなは懐中時計を取り出した。
針が、動いていた。
いつもと違う動き方だった。ミオのそばにいるときの、どこへ向かうかわからない動き方ではなかった。ある方向に向かって、ゆっくりと動いていた。すずなはその方向を、倉庫の中で確認した。
「こちらです」
針が示す方向へ歩いた。光のかけらをかき分けるように、でも触れないように、慎重に進んだ。
倉庫の奥の方に、少し大きな光のかたまりがあった。他の星屑より大きく、形がはっきりしていた。輪郭があった。遠目には、何かの景色のように見えた。
近づいた。
川だった。
光でできた川が、倉庫の床近くを流れていた。川のほとりに、橋があった。橋の上から、小さな空が見えた。空には、銀河が映っていた。川沿いに、小さな家が並んでいる。夏の夜の景色だった。
「流星野だ」
ネムの声が、震えていた。
「これ、流星野だ」
ネムは橋の方へ歩こうとした。すずなはそっと手を伸ばした。止めるためではなく、一緒に歩くために。
「気をつけてください。触れると崩れるかもしれません」
「うん」
ネムは小さく頷いた。
ゆっくりと近づいた。光でできた橋のそばまで来て、ネムは立ち止まった。橋の上に、光でできた人影があった。大人の人影と、子どもの人影が並んで、光でできた川を見ていた。
「お父さん」
ネムは呼んだ。
人影は動かなかった。声は届かない。でも、ネムは確かにそこにいる人を見ていた。
「お父さん、変な歌を歌ってた。橋の上で。夏の夜に」
人影が、かすかに揺れた気がした。風が吹いたわけではない。でも、揺れた気がした。
「ネム、触れたい?」
ミオは尋ねた。
「触れたら、崩れる」
「崩れるかもしれない。でも、触れてみる?」
ネムはしばらく考えた。光でできた父親の人影を見ていた。
「触れない」
「なんで」
「このままにしておきたい。触れて崩れたら、見えなくなっちゃうから。このままなら、ここにある」
すずなは、ネムの言葉を聞いていた。触れて崩れるより、触れずに残す。手の届くところにあっても、手を出さない。それがネムの選んだことだった。
「ここにあるんですね」
すずながそう言うと、
「うん」
ネムは頷いた。
「流星野は、ここにある。なくなってない」
「なくなっていません」
ネムは光の橋を見ていた。光でできた父親と、光でできた川と、光でできた銀河を。
「ありがとう、連れてきてくれて」
「わたしたちが見つけたわけではありません。キップが、ここを知っていました」
「キップ、ありがとう」
ネムはキップを見た。
「礼は不要だ」
キップはいつもの口調だったが、しっぽが少し揺れていた。
しばらくして、ミオがすずなを呼んだ。
倉庫の別の場所にミオはいた。ネムから少し離れた場所で何かを見ていた。
「すずな、来て」
すずなは近づいた。
ミオが見ていたのは、小さな光のかたまりだった。他の星屑より小さく、形もはっきりしていない。でも、何かの景色の断片のように見えた。
「これ、わたしのだと思う」
「ミオの?」
「触れてみてもいい?」
「崩れるかもしれません」
「わかってる。でも、触れてみたい」
すずなは時計を確認した。針が、ミオが見ている光のかたまりに向かって、はっきりと動いていた。反応がある。ミオに関係する何かだという確認が、取れた。
「触れてみてください」
ミオはゆっくりと手を伸ばした。光のかたまりが、ミオの指先に近づいた。触れた瞬間、光が広がった。
崩れなかった。
代わりに、形が変わった。小さな家の断片。知らない町の一角。誰かに呼ばれる声の断片。言葉にならない音が、倉庫の中でかすかに響いた。
「ミオ」という声がした。
誰かが呼ぶ声だった。誰の声かはわからない。でも、その声がミオを呼んでいた。確かに呼んでいた。
ミオは動かなかった。
光の景色が、少しずつ広がった。小さな家の窓に、光が灯っていた。夕方か夜の景色だった。誰かがその家の中にいる気配があった。
「おかえり」という声が、した。
ミオの手が、小さく震えた。
「ミオ」
すずなは呼びかけた。
「……聞こえた。わたしを呼ぶ声と、おかえりって言う声が、聞こえた」
「はい」
「誰かが、わたしのことを待ってた。その未来では」
「そうだと思います」
「わたしは、誰かに待たれてた」
それは事実だった。消えた未来の中で、ミオを待っている誰かがいた。その記録が、星屑として、ここに残っていた。
ミオは光の景色を見続けていた。やがて、少しずつ薄れてきた。触れたことで、少しずつ崩れ始めていた。
「崩れていきます」
「うん、見てる」
「見ていますか」
「うん。見ておきたい。なくなるまで」
すずなは何も言わなかった。隣に立って、一緒に見ていた。
小さな家が、窓の光が、誰かの声が、少しずつ消えていった。最後に残ったのは、ミオという名前を呼ぶ声の断片だけで、それも間もなく消えた。
倉庫の中に、静寂が戻った。
ミオは手を下ろした。
「すずな」
「はい」
「わたし、本当にいたんだね。その未来では」
「います。今もここにいます」
「消えた未来の中では、いた。今は、ここにいる。どちらの場所でも、わたしはいた」
「はい」
「そっか」
ミオは深く息を吐いた。
すずなはミオを見ていた。ミオの輪郭が、今日は揺れていなかった。薄くもなかった。倉庫の光の中で、はっきりとそこにあった。
「ミオ」
「なに」
「今日、確認できましたか」
「何を?」
「あなたが存在していたということを」
「確認できた」
ミオはちょっとだけ笑った。
「ありがとう、連れてきてくれて」
「キップが知っていた場所です」
「でも、一緒に来てくれたのは、すずなだから」
すずなは答えなかった。答えの代わりに、懐中時計を見た。
針が、動いていた。
どこへ向かうかわからない動き方では、もうなかった。ある方向に向かって、ゆっくりと、でも確かに動いていた。完全に正確ではないが、向かっている方向が、はっきりとわかった。
ミオの方向だった。
すずなはそれを見て、少しだけ驚いた。驚いて、でも、おかしいとは思わなかった。
「ミオ」
「なに」
「整理が、終わりました」
ミオが振り返った。すずなを見た。
「整理?」
「ずっと整理中だと言っていたこと、です」
「整理できたの?」
「はい」
「何が整理できたの」
すずなは言葉を選んだ。感情を入れないようにしようとして、でも、今夜は感情を入れていいと思った。
「ミオにここにいてほしい、という気持ちが、理由ではなく、答えになりました」
「理由じゃなくて、答え?」
「理由は、動くための根拠です。答えは、それ自体が結論です。わたしは今まで、ミオのそばにいる理由を探していました。でも、今は理由ではなく、ミオのそばにいたいという答えがあります」
ミオはすずなを見ていた。倉庫の星屑の光の中で、すずなを見ていた。
「それって、すずなが、わたしのことを」
「好きです。好き、という言葉の意味をうまく説明できませんが、ミオにいてほしいと思っています。ミオのそばにいたいと思っています。それが好きということなら、好きです」
ミオはしばらく、何も言わなかった。
それから、少し笑った。困ったような、照れたような、でも今夜一番の笑い方だった。
「すずなって、告白するとき長いね」
「整理する必要がありました」
「整理しなくていいよ、そういうのは」
「でも、正確に伝えたかったので」
「正確じゃなくても伝わるから。伝わってる」
「そうですか」
「うん」
ミオは倉庫の光を見た。
「わたしも、好きだよ。最初から言ってたけど」
「最初に言ってくれましたね」
「そのとき、すずなは整理中だって言ってた」
「今は整理が終わりました」
「知ってる。すずなが告白したから」
「告白。そういう言葉になりますか」
「なるよ」
すずなはそうか、と思った。告白というのは、自分の気持ちを相手に伝えることだ。自分がしたことが、そういうことだったのか、とすずなは少しだけあとから気がついた。
「ミオ」
「なに」
「管理局がどう動いても、わたしはミオのそばにいます」
「そんなこと言って、大丈夫?」
「大丈夫かどうかは、わかりません。でも、言いました」
「規則は?」
「整理が終わったので、今夜は後回しです」
ミオが笑った。声を出して、倉庫に響くくらいの笑い方をした。星屑の光が、笑い声に合わせて少し揺れた気がした。
倉庫の入り口のところで、ネムとキップが待っていた。
ネムはすずなとミオを見て、またあの顔をした。安心する、と言っていた顔だ。
「終わった?」
「はい」
すずなは答えた。
「何が?」
「整理です」
「?」
「難しい話ではありません」
「新人、一つ聞くが」
「はい」
「今後、管理局と正面からぶつかる可能性がある。それでも、今の答えは変わらないか」
すずなは少し考えた。
「変わりません」
「根拠は」
「整理が終わったので」
キップは少しの間、すずなを見た。それから、前を向いた。
「そうか」
「キップ」
「何だ」
「これからも、一緒にいてもらえますか」
「吾輩は補助車掌だ。新人の同行は職務の範囲内だ」
「職務ではないと思いますが」
「吾輩が職務と言ったら、職務だ」
すずなは、ちょっとだけ笑った。
星屑貨物駅に、夜の光が差し込んでいた。誰にも選ばれなかった未来たちが、ひっそりと漂っていた。ネムが覚えている流星野の川が、倉庫のどこかに今もある。ミオを待っていた誰かの声が、崩れてもここにあった。
すずなは懐中時計をポケットにしまった。
針は動き続けていた。管理局の定刻を示すのではなく、すずなが向かうべき方向を示すように。




