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新入社員の私、実は課長の妻です 〜会社では冷たい上司、家では私に甘える旦那様〜  作者: ちょこまろ


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第5話 課長、嫉妬を隠せていません

失敗をそのままにせず、次に生かすためのチェックリストを作った小春。


少しずつ、新入社員として自分の力で前へ進み始めます。


そんな小春の頑張りを、瀬川もちゃんと見てくれていました。


――ただし。


そのやり取りを、三メートル先から見ている人が一人。


会社では冷静沈着な黒沢課長。


でも中身は、小春の夫です。


第5話「課長、嫉妬を隠せていません」。


果たして誠司は、最後まで“課長の顔”を守れるのでしょうか。


お楽しみください。

 修正した資料作成の流れは、少しずつ私の中に残っていった。


 更新日を見る。

 元データを確認する。

 チェック欄に印をつける。

 提出前に、もう一度声に出す。


 地味だ。

 とても地味だ。


 でも、こういう地味なことが、仕事では大事なのだと思う。


「高瀬さん、昨日のチェックリスト見たよ。あれ分かりやすいね」


 午前中、瀬川さんが声をかけてくれた。


「本当ですか?」


「うん。俺も新人の時、ああいうの欲しかった」


「ありがとうございます」


「俺、失敗したあとに逃げない人って、すごいと思う」


「え?」


「高瀬さん、ちゃんと自分のミスを見て、次に変えようとしてるでしょ。そういうの、簡単じゃないと思う」


 その言葉に、私は少しだけ驚いた。


 瀬川さんは、ただ優しいだけではなく、ちゃんと見てくれていたのだ。


「まだまだですけど」


「そういうところ、いいと思う」


 瀬川さんは、少しだけ照れたように笑った。


 その笑顔を見た瞬間、私は嫌な予感がした。


 いやいやいや。

 瀬川さん、そこで照れないでください。

 こちら既婚者です。

 しかも夫、三メートル先で課長の顔をしたまま嫉妬しています。


 恋愛イベントを発生させる場所が複雑すぎる。


 その日の午後、瀬川さんが資料の作り方を教えてくれた。


「ここは関数で一気に出せるよ」


「すごい。ありがとうございます」


「慣れると早いから」


 瀬川さんは画面を指差しながら丁寧に説明してくれる。

 距離が少し近い。


 普通の距離。

 普通の職場の距離。

 でも、夫目線ではアウトかもしれない距離。


 課長席を見ない。

 見たら負け。

 見たら絶対に何か感じる。


「高瀬さん、ここ分かる?」


「あ、はい。大丈夫です」


「じゃあ、一回やってみて」


「はい」


 私が操作していると、瀬川さんが笑った。


「覚えるの早いね」


「いえ、まだまだです」


「でも真面目だし、伸びると思う」


 また褒めてくれる。

 ありがたい。

 すごくありがたい。


 でも、今その角度で笑わないでください。

 背後で課長のペンが止まる未来が見えます。


「ありがとうございます」


 その瞬間。


「瀬川」


 低い声がした。


 ほら。

 未来、的中。


「はい」


 黒沢課長が立っていた。


「その資料、十五時まででは?」


「あ、はい。今、説明が終わったので戻ります」


「お願いします」


「すみません」


 瀬川さんは自席へ戻った。


 黒沢課長は、私の方を見た。


「高瀬さん」


「はい」


「分からないことがあれば、三浦さんにも確認してください。作業を止める相手は分散した方がいい」


「はい。承知しました」


 言っていることは正しい。

 とても正しい。


 でも、その奥に夫がいる。

 夫が「近い」と言っている。


 分かる。

 分かりすぎる。


 私は真面目な顔で頷いた。


 お願い。

 顔に出ないで、私。


 退勤後、私は駅前のスーパーで買い物をしてから帰った。


 今日は肉じゃがにしよう。

 誠司さんの好きな味に少し甘めにする。


 いや、甘やかしている。

 でも今日は嫉妬で頑張って我慢していたから、少しはいい。


 帰宅して料理をしていると、誠司さんが帰ってきた。


「ただいま」


「おかえりなさい」


 私は振り向かずに言った。


「手、洗ってください」


「ああ」


 誠司さんは素直に洗面所へ向かう。


 そして戻ってくると、なぜかキッチンの入口に立ったまま動かない。


「どうしました?」


「瀬川と、近かった」


 直球。

 夫、直球すぎる。


「仕事を教えてもらっていただけです」


「分かっている」


「分かっている顔ではありません」


「分かっているが、気になった」


「会社で?」


「会社で」


「課長なのに?」


「夫でもある」


 私は菜箸を置いて、誠司さんを見た。


 しゅんとしている。

 会社であんなに有能な人が、家で嫉妬を認めてしゅんとしている。


 これはずるい。

 怒りにくい。


「誠司さん」


「はい」


「会社では嫉妬しない」


「はい」


「仕事を教えてくれる先輩に対して、怖い顔をしない」


「はい」


「私を信じる」


 誠司さんは少しだけ目を伏せた。


「信じている」


「じゃあ、顔に出さない」


「努力する」


「また努力」


「……気をつける」


「よろしい」


 私は満足して頷いた。


 誠司さんは少し近づいてきた。


「小春」


「はい」


「瀬川に笑っていた」


「笑いますよ、職場ですから」


「俺にも笑ってほしい」


「家で笑ってます」


「会社では?」


「会社では高瀬さんです」


 誠司さんは黙った。


 大型犬が叱られた顔をしている。


 だめ。

 この顔には弱い。


「……でも」


 私は少しだけ声を落とした。


「今日、課長として助けてくれたのは分かっています。作業相手を分散しろって言ってくれたの、正しかったです」


「そうか」


「だから、ありがとうございます」


 誠司さんの表情が柔らかくなる。


「小春が困らないようにしたかった」


「それは課長として?」


「課長としても、夫としても」


「またずるい答え」


 私は笑ってしまった。


 夕食を食べながら、誠司さんは少し機嫌を直した。


「肉じゃが、おいしい」


「嫉妬を反省した人用です」


「反省している」


「本当ですか?」


「ああ」


「明日から瀬川さんに怖い顔をしない?」


「……善処する」


「誠司さん」


「しない」


「よろしい」


 私たちはそんな会話をしながら、普通に夕食を食べた。


 けれど翌日、事態は少し動いた。


 昼前、瀬川さんが私の席に来た。


「高瀬さん」


「はい」


「今日じゃなくていいんだけど、今度、仕事終わりに少し相談乗ってもらえないかな」


「相談、ですか?」


「うん。新人に言うのも変かもしれないけど、高瀬さんって話しやすくて」


 私は返事に困った。


 仕事の相談なら聞きたい。

 でも、仕事終わり。

 二人で。

 それは少しまずい。


 課長席のペンが、また止まった。


 お願い。

 ペンを止めないで。

 周囲にバレるから。


「あの、仕事の相談でしたら、社内で――」


 私がそう言いかけた時、瀬川さんが少し照れたように笑った。


「高瀬さんって、彼氏いるの?」


 空気が止まった。


 私は瞬きした。


 彼氏。


 彼氏はいない。

 夫がいる。


 いや、そういう問題ではない。


 どう答える。

 どう答えればいい。


 結婚しています、と言えば終わる。

 でも誰と、となる。

 秘密婚が崩れる。


 いません、と嘘をつくのは嫌だ。

 誠司さんにも失礼だ。


 私が固まっていると、背後から低い声がした。


「瀬川」


 黒沢課長だった。


 声が静かすぎて怖い。


「今は業務時間です」


「す、すみません」


「私的な質問は控えてください」


「はい」


 瀬川さんは慌てて席に戻った。


 私は心臓がどきどきしていた。


 助かった。

 でも、これは。


 絶対に怪しまれる。


 周囲の何人かが、こちらを見ていた。


 黒沢課長はすぐに通常の顔に戻った。


「高瀬さん、午後の資料を確認してください」


「はい」


 私は席に座りながら、内心で叫んだ。


 秘密が。

 秘密がそろそろ危ない。


 しかも、夫の嫉妬が強めに漏れています。


 このままだと、会社では秘密どころではなくなる。

第5話をお読みいただき、ありがとうございます。


小春の頑張りを認め、優しく声をかけてくれる瀬川。


もちろん小春にその気はありません。


でも誠司にとっては、分かっていても気になるようで――。


会社では課長として冷静に。

家では夫として素直に嫉妬。


「瀬川に笑っていた」

「笑いますよ、職場ですから」


仕事のできる課長なのに、妻のことになると分かりやすい誠司でした。


そして最後に、瀬川から飛び出した一言。


「高瀬さんって、彼氏いるの?」


彼氏はいない。

でも、夫がいる。


しかも、その夫はすぐ後ろにいる。


秘密を守れば答えにくい。

嘘をつけば誠司にも失礼。


そして誠司自身も、ついに課長として割って入ってしまいました。


二人の秘密は、いよいよ周囲に怪しまれ始めます。


次話「秘密がバレそうです」。


小春が自分の言葉でどう答えるのか、引き続きお楽しみいただけましたら嬉しいです。

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