↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/22

表を壊さず救う

 火を入れて間もなく、英雄の間に煙が戻ってきた。


 祝火炉の上へ昇るはずの煙が、炉口から薄く室内へ押し返される。


「止めろ」


 ガレスの声で、立ち会っていた係員がすぐ火を落とした。


 扉も窓も開けたままの試し焚きだった。それでも、煙の流れがおかしいことは誰の目にも分かった。


 カイは廊下へ出て、息を整えた。


 昨夜考えた仮説は当たっていた。


 だが、これだけでは足りない。


「煙道を全部見られますか」


 呼ばれていた修繕職人が、屋根と壁を調べ始めた。


 ほどなく、原因は見つかった。


 冬前の屋根工事で、煙道の出口近くが新しい部材に塞がれていた。さらに壁側の点検口まで板で覆われ、煙の逃げ道がほとんど残っていない。


 改修後、一度も火を入れていなかったせいで発見が遅れた。


 閉め切った部屋で、夜通し火を焚く。


 優勝者だけが入る。


 そして翌朝までに死ぬ。


 薄灰色の一文と、ようやく現実がつながった。


「大会を止めるか?」


 ガレスが聞いた。


 カイは首を振った。


「止める必要はありません」


「言い切るな」


「原因が分かったからです」


 大会そのものが危険なのではない。


 危険なのは、優勝したあとに使う部屋だ。


 なら、壊すべきなのは大会ではなく、死ぬ条件の方だった。


「煙道を直して、もう一度試します。正常なら大会は予定どおり。英雄の間も使えます」


「間に合わなかったら?」


「そのときは儀式だけ止めます」


 ガレスが少しだけ目を細めた。


「勝者を決めるところまでは変えないのか」


「白碑に出たからじゃありません。大会には大会の意味があります。危険な部分だけ取り除けばいい」


 自分で口にしてから、カイは少し驚いた。


 灰狼の時は、とにかく隊長を死なせないことで精一杯だった。


 今回は違う。


 起こるはずの出来事まで壊す必要はない。


 残すべきものを残して、死ぬはずだった結果だけを変える。


 それでいい。



 修繕は昼前まで続いた。


 塞がれていた箇所が開かれ、工事前と同じ排気経路が仮に復旧される。


 二度目の試し焚きでは、煙は素直に煙道へ吸われた。


 職人が別の方法でも確認し、係員が安全を認める。


 会場責任者が、カイへ確認書を差し出した。


「安全になった、と書けるか?」


 カイは筆を取らなかった。


「確認できたのは、煙が正常に抜けることだけです。明日の朝まで何も起きないとは書けません」


「そこまで慎重にするのか」


「白碑は、対策した後の未来までは教えてくれませんから」


 代わりに、夜間も係員が外から異常の有無を確かめることを提案した。


 ガレスが横で小さく笑う。


「都合のいいところだけ予言者にならないんだな」


「書記なので。確認できないことは書けません」


 そこでようやく、ガレスが腕を組んだ。


「これで一つ潰れたな」


「まだです」


「まだ?」


「優勝者が明日の朝、生きて部屋を出るまでは」


 ガレスは呆れた顔をした。


「慎重すぎるだろ」


「死ぬって書いてあったんです。慎重にもなります」


「それもそうか」


 午後、武術選定会は予定どおり始まった。


 カイは試合を観客席の端から眺めた。


 剣がぶつかる音が響くたび、周囲から歓声が上がる。


 勝敗そのものにカイの出番はない。


 それでいい。


 日が傾く頃、最後の試合が終わった。


 審判が勝者の腕を上げる。


 大きな歓声が武術場を揺らした。


「王国武術選定会で優勝者が決まる」


 白碑に出た一文は、そのまま現実になった。


 次は、その下だ。



 夜。


 優勝者は慣例どおり英雄の間へ入った。


 誓いの火が灯され、扉が閉じる。


 カイとガレスは廊下に残った。


「帰らないのか」


「帰れると思います?」


「思わないな」


 ガレスも壁へ背を預けた。


「俺も残る」


「警備だからですか」


「半分はな」


 残り半分を聞く前に、ガレスは目を閉じた。


 夜は長かった。


 途中、係員が何度か外から異常がないか確かめた。


 それでもカイは眠れなかった。


 白碑は対策後の未来を教えてくれない。


 原因を間違えていた可能性もある。


 別の死因が残っている可能性もある。


 できるのは、考えて、調べて、選んだ結果を待つことだけだった。


 やがて高い窓から朝の光が差した。


 扉が開く。


 優勝者が、自分の足で廊下へ出てきた。


「おはようございます」


 眠そうな声だった。


 それだけだった。


 倒れない。


 苦しみもしない。


 生きている。


 カイは肺の奥に残っていた息を、ようやく吐いた。


 表の予言は当たった。


 その後の死だけが、起きなかった。


 偶然ではない。


 灰狼に続いて二度目だ。


 予言された出来事を残したまま、その先にある破滅だけを変えられる。


 これが、自分の勝ち方なのだ。


「カイ」


 呼ばれて、顔を上げた。


 一瞬、誰のことか分からなかった。


 ガレスはこれまで、公務中のカイをずっと「書記殿」と呼んでいた。


「次に、あの薄い文字が見えたら」


 ガレスが言う。


「最初から俺を呼べ」


「信じたんですか」


「予言はまだ信じてない」


 即答だった。


「でも、お前が見つけた危険は二度、人を救った。そこは信じる」


 ガレスは廊下の先へ歩き出し、振り返った。


「一人で調べるより、騎士がいた方が楽だろ」


 正書官になって、静かな書庫で暮らす。


 その予定からは、少しずつ遠ざかっている気がした。


 なのにカイは、断る理由を思いつかなかった。


「次も頼みます、ガレス」


「任せろ」


 薄灰色の一文は、まだカイにしか見えない。


 けれど次にそれが現れた時、もう一人で動く必要はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。