勝者は朝を迎えない
「優勝者は翌朝までに死亡する」
三度目の薄灰色の文字を見たとき、カイはもう目をこすらなかった。
白碑に浮かんだ黒い文字は、その一行上だ。
「王国武術選定会で優勝者が決まる」
周囲の書記たちは黒い文だけを転写している。
見えているのは、やはり自分だけ。
カイは薄灰色の一文を作業紙の端へ書き写し、正式な転写紙には黒い文だけを記した。
灰狼の一件から十日ほど。
カイは白碑の常任補助になった。正書官へ一歩近づいたはずなのに、増えたのは啓示の間の清掃と転写準備、それから白碑の点検だ。
面倒は増えた。
だが今回は、その立場のおかげで予言が現れた瞬間に動ける。
認証が終わると、カイは紙を折って懐へ入れた。
向かう先は一つだった。
*
「今回は、誰が死ぬかも決まってないのか」
武術場で警備確認をしていたガレスは、紙を読むなり眉を寄せた。
「優勝者です。大会が終わるまで誰かは分かりません」
「なら、先に候補を全部洗う」
即答だった。
以前なら、まず「証拠は」と返されていた。
まだ信じられているわけではない。
それでも、無視されなくなった。
カイには十分だった。
二人は出場者、武器、食事、治療体制を順に確認した。
武器は試合前に運営が預かり、不正な加工がないか検査する。食事は全員が同じ厨房を使う。試合後には治療役が必ず選手を診る。
優勝候補に恨みを持つ者も調べた。
賭けで大金を動かしている者もいる。
怪しい人間なら、いくらでもいた。
だが、決め手がない。
「勝つ奴が分からないなら、誰か一人に毒を盛るのは無理か」
ガレスが腕を組む。
「全員を狙えばできます」
「それなら死ぬのは優勝者だけじゃない」
「はい」
そこでカイは止まった。
優勝者だけ。
薄灰色の文は、最初からそう書いている。
誰が勝つかは分からない。
なのに、勝った者だけが死ぬ。
なら、狙われるのは人物ではない。
勝者という立場だ。
カイは懐から紙を出した。
「優勝者は翌朝までに死亡する」
「また読んでどうする」
「試合中に死ぬとは書かれてません」
ガレスの目が細くなった。
「続けろ」
「優勝したあと、勝者だけがすることは?」
ガレスは少し黙った。
「表彰。王家への挨拶。それから……英雄の間」
「何です、それ」
「優勝者が一晩過ごす部屋だ。昔からの儀式でな」
勝者はその夜、武術場に隣接する《英雄の間》へ入る。
室内の《誓いの火》を夜明けまで絶やさず、一人で過ごす。
翌朝、部屋を出たところで王家の徽章を受け取る。
カイはすぐに立ち上がった。
「そこです」
「まだ何も見てないだろ」
「だから見ます」
ガレスは一瞬だけ黙り、それから笑った。
「俺は人間を疑ってた。お前は『優勝者だけ』って条件を疑うのか」
「人を調べても何も出ませんでしたから」
「分かった。案内する」
ガレスが先に歩き出した。
疑う相手ではなく、調べる場所をカイに選ばせた。
それは前回までになかった変化だった。
*
英雄の間は、武術場の奥にある小さな石室だった。
厚い扉。
高い位置の細い窓。
壁際には、石造りの祝火炉。
冬前に改修されたばかりらしく、壁板も天井も新しい。
むしろ安全そうに見える。
それが気になった。
「誓いの火は、夜通し燃やすんですよね」
「ああ」
「窓は?」
「閉める。外から声をかけられないようにする決まりだ」
「扉も?」
「閉める」
一人。
閉め切った部屋。
夜通し燃える火。
カイは祝火炉へ近づいた。
炉の上には煙を逃がす煙道が伸びている。
床に落ちていた薄い紙片を拾い、煙道の口へ近づけた。
動かない。
風がないにしても、不自然だった。
「最近、ここで火を使いましたか」
部屋を開けた係員が首を横に振る。
「改修後は一度も。本番前に誓いの火を焚くのは縁起が悪いとされておりますので」
「改修した場所は?」
「屋根と壁です。雨漏りがありましたので」
屋根。
カイは顔を上げた。
煙道も、当然そこを抜けている。
炉の横へ回ると、新しい壁板の下から古い煤が細くのぞいていた。
「ガレスさん」
呼ぶ前に、ガレスも屈み込んだ。
「ここ、何か塞いでるな」
「掃除口かもしれません」
「壁の改修で隠した?」
「それだけなら煙は上へ抜けます」
問題は屋根だ。
改修後、一度も火を入れていない。
もし工事で煙道の出口まで塞がれていたら。
閉じた窓。
厚い扉。
一晩中の火。
勝者だけが入る部屋。
予言の条件が、一つにつながった。
「優勝者が死ぬのは、試合のせいじゃない」
ガレスがカイを見る。
「この部屋か」
「たぶん」
「たぶん?」
「まだ証拠がありません」
カイは祝火炉を見た。
明日には大会が始まる。
勝者が決まれば、その夜にはここへ入る。
なら、確認する方法は一つだ。
「試し焚きをします」
「縁起が悪いらしいぞ」
「人が死ぬよりはましです」
ガレスの口元がわずかに上がった。
「それはそうだ」
カイは煙道を見上げた。
「明日までに、この部屋が人を殺すかどうか確かめます」




