勝利の鐘
「西の道は、もう使えません!」
南鐘楼の前で、ミナの使いがカイを呼び止めた。
煙に追われた住民を、東の通りへ誘導しているという。
まだ四千人ほどが南区に残っている。逃げ道が一つ減った。
「東は通れますか」
「騎士が確認しています。神殿長の命令で、軍の荷車も別の道へ回しました」
受け入れる場所だけでなく、そこまでの道も必要だ。
カイは使いに詰所への報告を頼み、鐘楼へ入った。
「こっちだ」
ガレスが地下への階段を示した。
塞がれていた戸口には補強材が入り、その先で技師が待っている。
灯りの届く範囲に煙はない。
「道は、つながっていました」
技師が調査中の図を広げた。
鐘楼の下で、幾本もの地下路が分かれている。
西の道は火災が起きた倉庫側へ。東の道は、住民を逃がしている通りの地下へ続く。
別々の火元を、ここから消せるわけではない。
だが、敵が地上の警備を避けて行き来できる道でもあった。
「区画を分ける門は?」
「西の通路に一枚。動くことは確認しました。東の道と、ここの階段は残せます」
カイは図面に印を付け、写しを詰所へ送らせた。
「東の出口にも警備を。捜索する人の出入りを、必ず数えてください」
全部の地下路が分かったわけではない。
見つけた道から一つずつ、敵が自由に使えない道へ変える。
*
技師が確認した通路を進む間にも、地上から報告が届いた。
「新たに三か所です」
イネスの書き付けを、伝令が読み上げる。
西の倉庫は火災対応中。橋際の工房と、染物店の地下は騎士が確保した。
初めに押さえた六か所も、警備を続けている。
これで九か所。
残る三か所は、まだ見つからない。
「退避は?」
「二千人ほど残っています。東の通りへ移動中です」
西から回った住民も合流し、列の後ろは煙の見える通りにかかっているという。
カイは地上の地図を見た。
東の通りが使えなくなれば、残った人々は引き返すことになる。
西には煙がある。
もう、逃げる道を減らせない。
その時、西の通路から騎士が戻ってきた。
「奥に男が三人。呼び止めたら、剣を抜いた!」
ガレスがカイを壁際へ下がらせた。
技師とカイの前に、護衛の騎士たちが並ぶ。
灯りの向こうに人影が見えた。
剣がぶつかる音が響く。
敵の一人が、ガレスの横を抜けようとした。
目を向けた先は、東への分かれ道だった。
「西の門を閉じます」
カイは技師へ告げた。
「閉じれば、西側の捜索は中断です」
「地上から探し直します」
まだ油庫は残っている。
ここを開けておけば、場所を突き止められるかもしれない。
だが、その間に敵が東へ抜ければ、住民の逃げ道が危ない。
「今は、通さない方を選びます」
技師が頷いた。
カイは戻ってきた騎士へ向き直る。
「奥に味方は?」
「捜索に入った四人、全員戻っています」
ガレスと護衛が、敵を西の通路へ押し戻す。
カイは門の手前から呼んだ。
「ガレス、戻って!」
最後の騎士が通り、ガレスがこちらへ退いた。
技師たちの操作で、重い門が下り始める。
敵が駆け寄るより先に、門が床へ届いた。
向こう側から音がした。
カイは一歩下がる。
火が消えたのではない。敵を捕らえたわけでもない。
ただ、東へ通じるこの道だけは塞いだ。
「門には俺たちがつく。お前は上の状況を確かめろ」
ガレスに促され、カイは階段へ向かった。
*
地上へ出ても、西の空には煙が残っていた。
別の場所でも火が上がり、鐘楼前を救援の荷車が通っていく。
カイは立ち止まらず、臨時詰所へ戻った。
イネスが次々に届く報告を地図へ置く。
「東の出口は騎士が確保。ミナから、残るのは最後の通りの確認だと」
カイは椅子を引いたが、座れなかった。
窓の向こうを人々が通っていく。
子どもの手を引く父親。背負った荷物を何度も直す女。
一人が通り過ぎるたび、次の一人を探した。
昼を回った頃、王宮からの伝令が到着した。
「侵攻軍の撃退を確認。勝利を公示します!」
やがて、鐘が鳴った。
神殿から。南鐘楼から。
王都中へ、勝利の音が広がっていく。
「勝利の鐘が鳴る時、南区で二万人が死亡する」
頭の中に、薄灰色の一文が浮かんだ。
カイは外へ目を向けた。
人々は歩いている。鐘を聞いて顔を上げ、それでも騎士の案内に従って進んでいく。
まだ、喜ぶには早い。
カイは次の報告を受け取った。
残っていた三つの油庫は、技師が確かめた地下路を地上の建物と照合して見つかった。
煉瓦倉庫と裏通りの長屋は、火がつく前に騎士が確保。
河港の荷扱い場では火災が起きていたが、周囲の住民は退避を終えていた。
各地の消火は、そのまま続いている。
十二か所すべてに対応が届いた。
それでも、カイは最後の紙を待った。
夕方、ミナが詰所へ入ってきた。
「最後の通りも確認した。住民は全員、外に出たよ」
イネスが受け入れ先からの名簿と照合する。
残留の印が、一つずつ消えた。
「死亡の報告はありません。捜索と消火の担当者も、全員の所在を確認しています」
カイは、自分の転写紙を開いた。
王国軍は侵攻軍を王都外へ退けた。
南区の家も店も、すべて無事だったわけではない。
それでも、今日失われるはずだった人たちは、夕食を待っている。
「裏予言は、外れた」
声にすると、ようやく息が抜けた。
ミナが紙をのぞき込む。
「じゃあ、その下に書こうよ。何をしたか」
イネスが新しい記録用紙を広げた。
表題には、南区退避・封鎖の実施記録。
その下の、立案者の欄へ筆を運ぶ。
「カイ・レムナ。あなたの名前で残します」
カイは今度は、頷いた。




