死ぬ隊長
「討伐終了から一刻以内に、隊長は死亡する」
薄灰色の一文を、カイはしばらく見つめた。
まただ。
二週間ほど前、同じ色の文字が祝鐘の落下と三人の負傷を告げた。実際に鐘は落ち、負傷者も三人だった。
だが、あの事故には原因があった。古くなった留め具が壊れただけだ。
偶然と言おうと思えば、まだ言える。
二度目も同じならどうだ。
黒い文字の方には、こうある。
「王都騎士団は北街道の灰狼を討伐する」
周囲の書記たちは、その一文だけを書き写していた。
カイは自分の作業紙へ薄灰色の文まで写し、すぐに紙を伏せた。
未来が見える。
そんな結論には、まだ飛びつきたくない。
なら、確かめればいい。
表の予言は正式な文書となって騎士団へ送られる。どの隊が出るのか。隊長は誰か。死ぬ理由になりそうなものが、本当にあるのか。
見間違いかどうかは、現実の側を調べれば分かる。
「騎士団への認証文、俺が届けます」
正書官が少し意外そうな顔をした。
普段のカイなら、わざわざ外へ出る仕事を進んで引き受けたりしない。
自分でもそう思う。
だが今回は、書庫の椅子に座ったままでは確かめられなかった。
*
王都騎士団の詰所では、灰狼討伐の準備が始まっていた。
北街道で荷馬が襲われ、今朝には商人一人が怪我をしたらしい。予言が出る前から、討伐そのものは検討されていたという。
カイが認証文を渡すと、一人の若い騎士が内容を確認した。
赤褐色の短い髪。長身で、軽い鎧の留め具まできっちり締めている。
「神殿の書記が届けに来るのは珍しいな」
「ついでに確認したいことがあります」
「何を?」
「今回の隊長ですが、持病はありますか」
騎士の眉が動いた。
「ない。少なくとも俺は聞いてない」
「治療役は同行します?」
「当然だ」
「解毒薬は?」
「待て」
そこで初めて、騎士の視線が認証文からカイへ移った。
「何を心配してる?」
遠回しに聞くのはここまでらしい。
カイは一度だけ周囲を見た。出発準備で人は多いが、こちらへ注意を向けている者はいない。
「予言には、続きがありました」
「続き?」
「俺にだけ見えた一文です」
言ってから、自分でも相当怪しいと思った。
騎士は笑わなかった。
ただ、短く聞いた。
「何て書いてあった」
「討伐終了から一刻以内に、隊長は死亡する」
数秒、沈黙があった。
「証拠は?」
「ありません」
「他に見た奴は」
「いません」
「隊長が死ぬ理由は?」
「分かりません」
騎士は息を吐いた。
「それで隊を止めろって話なら無理だ」
「そこまでは言ってません」
北街道ではすでに被害が出ている。表の予言がなくても、灰狼は討伐する必要がある。
カイが知りたいのは、止める方法ではない。
隊長が死ぬ理由だ。
「何か分かったら、もう一度来ます」
「具体的な根拠があるならな」
騎士は認証文を持って踵を返しかけ、思い出したように止まった。
「ガレス・ヴォルクだ。俺は今回の討伐隊に入る」
カイも名を返した。
ガレスは一度だけ頷き、今度こそ準備へ戻った。
信じてもらえなかった。
当然だ。
むしろ、追い出されなかっただけ話が早い。
*
隊長が死ぬ。
その結果から逆に考える。
戦闘中の傷なら、「討伐終了から一刻以内」という書き方は妙だった。伏兵なら灰狼とは限らない。持病や過労も調べた限りでは手掛かりがない。
残ったのは毒だった。
神殿の古い討伐記録をめくっていたカイの指が、一枚の報告書で止まった。
四十年以上前の灰狼討伐。
討伐そのものは成功。
その後、一人の騎士が急に呼吸を乱し、倒れている。
傷は浅かった。
記録の端に、奇妙な記述が残っていた。
――群れの一頭、舌および牙根に黒変あり。
それだけだった。
カイは報告書を抱え、薬師のもとへ走った。
「灰狼に毒?」
老いた薬師は最初、露骨に眉をひそめた。
「普通の灰狼にはないよ」
「普通じゃない個体なら?」
報告書を見せる。
薬師の表情が変わった。
「……ずいぶん古い記録を掘ったね」
「知ってるんですか」
「昔聞いた程度だ。ごく稀に、牙の根に毒を持つのが出るとか。噛まれてすぐ死ぬような毒じゃない。だから厄介なんだ」
「症状は?」
「息苦しさ、脈の乱れ。傷を負ったまま走り回れば、早く出るかもしれない」
カイは報告書を握る手に力を入れた。
一刻以内。
初めて、薄灰色の文字と現実の間に一本の線がつながった。
「解毒できますか」
「古い処方なら残ってる。ただし効く保証はしないよ」
「作ってください」
即答した。
薬師が薬棚へ向かう。
間に合うか。
そう考えたところで、店の外から騎士団の鐘が聞こえた。
短く、二度。
薬師が窓へ顔を向ける。
「出発の鐘じゃないか?」
カイは店を飛び出した。
通りの向こう、北門へ続く道を騎馬の列が進んでいる。
予定より早い。
灰狼による被害が増え、討伐隊は出発を前倒ししたらしい。
薬は、まだできていない。
カイは遠ざかる騎馬の列を見た。
ここで神殿へ戻れば、自分の仕事は終わる。薄灰色の文字が間違いなら、それで何も起きない。
だが正しければ、死ぬのは自分ではなく隊長だ。
祝鐘の時は、見なかったことにした。
今度は、それでは済ませられなかった。




