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南区2万人

「勝利の鐘が鳴る時、南区で二万人が死亡する」


 カイは、その数字をしばらく見つめた。


 二万人。


 白碑に浮かんだ薄灰色の文字。


 その一行上には、誰にでも見える黒い予言がある。


「王国軍は侵攻軍を王都外へ退ける」


 要塞を奪還してから四日。


 補給路を失ったラグナ軍は、それでも南下を続けている。


 狙いは王都。


 誰もが決戦を覚悟していた。


 その戦いに、王国軍は勝つ。


 正書室の空気がわずかに緩んだ。


 だが、カイにはその下が見えている。


 勝った時に、二万人が死ぬ。


 しかも戦場ではない。


 王都南区だ。


 カイは薄灰色の一文を書き写した。


 その瞬間、第三村で見つけた三枚の資料が頭に浮かんだ。


 偽造された王都通行証。


 南区の地下図面。


 そして、油商会の印。


 偶然で済ませるには、揃いすぎている。



「戦争そのものによる被害ではないと思います」


 神殿長室の机に、三枚の資料が並べられた。


 セドリック。


 ガレス。


 イネス。


 ミナ。


 国境から戻った四人が揃っている。


「理由は?」


 セドリックが聞いた。


「裏予言は『勝利の鐘が鳴る時』です」


 カイは黒い予言も横へ置いた。


「その時には、侵攻軍は王都の外へ退けられている」


「敵軍が南区へ攻め込むなら、表予言と噛み合わない」


 ガレスが言う。


「はい」


 だから、外から燃やすのではない。


 すでに中にある。


 カイは地下図面を指した。


「国境の敵兵が、王都南区の地下図面と偽造通行証を持っていた。しかも、印は以前調べた油商会と同じです」


 倉庫火災を調べた時。


 今回の放火とは量も期間も違うとして、保留にした記録があった。


 南区の商会が、何年も継続して油を買っている。


「イネスさん」


「確認しました」


 イネスが帳簿の写しを置く。


「購入量に急激な増加はありません。逆に、それが不自然です」


「どういうこと?」


 ミナが聞いた。


「毎月少しずつ。数年続いています」


 戦争が始まってから大量に買えば目立つ。


 だが、平時から運び込んでいたなら。


 カイは南区の地図を見る。


 倉庫。


 工房。


 河港。


 王都の物流が集まる地区だ。


「侵攻する前から準備していた」


 ガレスの声が低くなる。


「可能性はあります」


 イネスは断定しなかった。


 だが、今回はカイも同じだった。


 まだ証拠が足りない。


「勝利の鐘を止めれば?」


 ミナが聞く。


 カイは首を振った。


「意味はないと思います」


「なんで?」


「裏予言は『鐘が鳴ったから死ぬ』とは書いてない」


 勝利の鐘が鳴る時。


 それは原因ではなく、時刻を示しているだけかもしれない。


「鐘を止めて安心する方が危ないです」


 セドリックがしばらく黙っていた。


「何が必要だ」


 以前なら、まず証拠を求められていた。


 今回は違う。


「南区の地下と、油商会を調べる許可を」


「出そう」


 即答だった。


「ただし、南区全体の避難命令はまだ出せない」


「分かっています」


 二万人を動かせば、王都全体が混乱する。


 まずは原因を掴む。


 カイは資料をまとめた。


「見つけます」



 南区へ入ったのは、その日の午後だった。


 表通りだけを見れば、戦争前と大きくは変わらない。


 荷車が走り、倉庫では荷運び人が働いている。


 ただ、街の外では敵軍が近づいている。


 店を閉める者も増えていた。


「例の油商会、表向きは普通だよ」


 先に聞き込みへ出ていたミナが戻ってきた。


「工房用の油とか灯火油を扱ってる。昔からある店」


「怪しい動きは?」


「店そのものにはない」


「そのものには?」


 ミナが紙を一枚出した。


「三年前から、別の商会名義で倉庫を借りてる」


「別の商会?」


「登記を調べたら住所が変なんだって」


 イネスが紙を受け取る。


 確認して、すぐ眉を寄せた。


「この住所には商会が存在しません」


「偽名?」


「少なくとも、正式な登録とは一致しません」


 カイは第三村で見つけた地下図面を広げた。


 ミナが調べた倉庫の位置を重ねる。


 南区の端。


 河港から少し離れた一角。


 そして。


「地下図面の線と重なる」


 ガレスが言った。


 古い地下通路の真上だった。



 倉庫の扉は閉まっていた。


 看板もない。


 セドリックから渡された調査許可を見せ、管理人を呼ぶ。


 だが、誰も出てこなかった。


「開けるぞ」


 ガレスが確認し、鍵を外させた。


 中は空に近かった。


 木箱が数個。


 古い荷車。


 壁際に空の棚。


「外れ?」


 ミナが言う。


 カイは答えなかった。


 地下図面では、この場所の真下を通路が走っている。


 倉庫内を歩く。


 床。


 壁。


 棚。


 そして一番奥。


 古い荷車の下だけ、床板の色が違った。


「ガレス」


「ああ」


 荷車を動かす。


 床には、鉄の取っ手が付いていた。


 地下へ下りる扉だった。


 開けた瞬間。


 強い油の臭いが上がってきた。


 誰も言葉を発しなかった。


 ガレスが灯りを下へ向ける。


 地下倉庫。


 壁際まで並べられた容器。


 一つや二つではない。


 奥は暗く、どこまで続いているのかも分からない。


 イネスが静かに言った。


「これだけの量、帳簿にはありません」


 カイは地下図面を見る。


 この倉庫は、図面の端にすぎない。


 一本の線が、さらに南区の奥へ伸びている。


「ここだけじゃない」


 地下にある大量の火油。


 勝利の鐘が鳴る時、南区で二万人が死亡する。


 ようやく、その二つが同じ形に見え始めた。

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