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開かれる水門

「その言葉は、通常記録には残っていない」


 セドリックの声は低かった。


 カイは机の上に置かれた古い記録を見る。


「続き、ですか」


「ああ」


「私が勝手にそう呼んでいただけです」


「だから聞いている」


 セドリックはリゼ・ハルンの記録へ手を置いた。


「神殿には、通常の記録官が閲覧できない記録がある」


 イネスの眉が動いた。


「封印記録ですか」


「そうだ」


「そこにリゼ・ハルンの記録が?」


 セドリックは答えるまで少し間を置いた。


「ある」


 カイは思わず身を乗り出した。


「何が書かれているんです?」


「今、君に見せるつもりはない」


「なぜです」


「君の話と、過去の記録を混ぜたくないからだ」


 カイは黙った。


 先に答えを見せれば、自分の証言がそれに引っ張られたと判断される。


 イネスなら同じことを言いそうだった。


「では、一つだけ」


 セドリックが続ける。


「リゼ・ハルンは、生前こう訴えていた。白碑には、皆が読む予言の先に、さらに言葉が続くことがあると」


 カイの背筋が伸びた。


「続きが見える人間が、他にもいた?」


「そう主張した者がいた。それ以上はまだ言えない」


「それで、私の警告を記録していたんですか」


 建国祭の前。


 百二十人が負傷すると告げた時、セドリックは一字も変えず記録させた。


「照合するためですか」


「それも理由の一つだ」


 セドリックは否定しなかった。


「君が何を言い、何が起き、何が起きなかったのか。すべて残す必要があった」


「信じていたわけではない」


 イネスが言う。


「信じるには証拠が足りない」


 セドリックはカイを見る。


「今もだ」


 そこは変わらないらしい。


 けれど、カイを見る目は以前とは違っていた。


 妄言を口にする補助書記ではない。


 過去の記録と照合すべき存在になっている。


 それだけでも十分大きな違いだった。



 十日あまり後。


 白碑に、新しい黒文字が浮かんだ。


「大雨の夜、西水門は開放され、河岸都市の中心部は浸水を免れる」


 水門を開き、水を別の場所へ逃がす。


 その結果、都市の中心部は守られる。


 これまで以上に、公共の意味が大きい予言だった。


 そして、その下。


 カイにだけ見える薄灰色の文字。


「開放後、下町の住民三百人が溺死する」


 三百人。


 カイは数字を見たまま、しばらく動けなかった。


 東門の百二十人より、さらに多い。


 だが今回は、単純に人を逃がせば済む話とも限らない。


 水門を開かなければ、表予言が示した中心部への浸水を防げない可能性がある。


 表を止めれば救える。


 そんな簡単な話ではなかった。


 カイは薄灰色の一文を書き写すと、そのままセドリックのもとへ向かった。


 紙を読み終えたセドリックは、すぐに言った。


「水門は止めない」


 予想していた答えだった。


「分かっています」


 セドリックが顔を上げる。


「反対しないのか」


「中心部が浸水するかもしれないのに、三百人だけ見て水門を止めることはできません」


「ではどうする」


「開けたまま、三百人も救います」


 言ってから、カイ自身が少し無茶だと思った。


 原因すら分かっていない。


 それでも、最初から片方を諦める理由にはならない。


 セドリックはしばらくカイを見た。


「公式調査団を出す」


「公式?」


「今回は君たちだけで動かす規模ではない」


 セドリック自身が責任者として同行する。


 ガレスは護衛と水門設備の確認。


 イネスは過去の水害記録。


 ミナは下町の住民と商人から情報を集める。


 そしてカイは、予言と現場を照合する。


 初めて、最初から全員の役割が揃った。



 軍用馬車を使い、二日後には河岸都市へ入った。


 大きな川に沿って建物が並び、その低い側へ下町が広がっている。


 中心部との高低差は、遠目にも分かった。


 水門を開けば、水は低い方へ流れる。


 裏予言が下町を指した理由だけなら、それで説明できる。


 だが、それなら三百人もの住民が暮らす場所に、逃げ道がないのはおかしい。


 水利庁舎で現在の水路図が広げられた。


 川。


 西水門。


 放水路。


 下町。


 カイは図面を目で追う。


 その横で、イネスが持参した過去の水害記録をめくっていた。


「妙ですね」


「何がです?」


「昔の補修記録に《下町排水路》という名称があります」


 イネスが一行を指した。


 カイは現在の図面を見直した。


「どこです?」


「それを探しています」


 線はない。


 名称もない。


 下町から水を逃がすはずの排水路だけが、現在の水路図から消えていた。

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