外れ続けた警告者
「油を買ったのは、第三区倉庫の責任者でした」
記録庫へ戻ってきたミナは、机に一枚の控えを置いた。
灯火用の油、四壺。
倉庫責任者の名で注文され、昨日、荷運び人が受け取っている。
「穀物倉庫に油は持ち込まないって話でしたよね」
「少なくとも、表向きはな」
ガレスが控えを手に取った。
イネスは別の帳簿を開いたまま、顔を上げない。
「こちらも一致しました」
同じ受領番号が、二度使われていた。
一度目は穀物の搬入。
二度目は軍への払い出し。
だが、軍側に二度目の受領記録はない。
「倉庫から出たことにして、穀物を抜いた?」
カイが聞く。
「その可能性はあります」
イネスは帳簿の端を指した。
「ただし、まだ横領と断定はできません」
「じゃあ、何なら言えます?」
「記録上あるはずの穀物がなく、存在しない払い出しが記されている。責任者の名で油が買われた。そこまでです」
短いが、十分だった。
火事が起きれば、焼けた穀物の量を正確に数えるのは難しい。
帳簿上の不足も、今回の火災で失ったことにできる。
「新しい積荷を燃やして、前からない分まで隠すつもりだ」
カイが言うと、ガレスはすぐ立ち上がった。
「倉庫を押さえる」
「今、捕まえるの?」
ミナが聞いた。
「油を買っただけでは弱い」
ガレスは座り直した。
「警戒されれば、別の方法に変えられるかもしれない」
裏予言は搬入後と告げている。
積荷が届くまでは、火はつかない。
「輸送隊は止めません。危険なのは搬入後です」
その時、イネスが二冊目の帳簿を開いた。
南区の商会から、倉庫街へ長期間運ばれていた大量の油が並んでいる。
「これも関係あるんじゃないの?」
ミナが聞く。
「量も期間も違います」
イネスは二つの記録を分けた。
「四壺は今回の放火に使える量。南区の記録は何年も続いています。冬支度でも説明できる」
「保留ですね」
カイが言った。
気にはなる。
だが、大きな謎を追って目の前の火事を逃せば意味がない。
「今夜使われる油から止めます」
*
午後、北方穀物輸送隊が王都第三区倉庫へ到着した。
荷車が順番に門をくぐり、積荷が一つずつ確認される。
不足はなかった。
「北方穀物輸送隊は、すべての積荷を王都第三区倉庫へ運び終える」
白碑の予言は、その通りになった。
残るのは、その後だ。
倉庫責任者は、新しい積荷の半分ほどを奥の二区画へまとめるよう指示した。
空きの多かった場所だ。
カイが見ると、ガレスも小さく頷いた。
搬入を終えると、ガレスは作業員を外へ出し、倉庫内の警備を入れ替えた。
カイとミナは向かいの詰所から裏口を見る。
イネスは帳簿の写しを抱え、ガレスと倉庫内に残った。
日が落ちてしばらくした頃、裏口が開いた。
倉庫責任者と二人の荷運び人が入っていく。
一人の手には、油壺。
もう一人は布と火打ち具を持っていた。
「動いた」
カイたちが倉庫へ入ると、すでにガレスが三人の前に立っていた。
「夜の点検にしては、妙な持ち物だな」
「湿気避けの処置です」
責任者は油壺を背に隠した。
「穀物へ油を?」
イネスが帳簿を開く。
「存在しない払い出し記録の説明もお願いします」
責任者の顔から血の気が引いた。
「火事になれば、不足分まで分からなくなると思ったんですね」
カイが言う。
「違う」
「なら、油も帳簿も説明できます」
「黙れ!」
責任者が一歩出た。
ガレスがその腕を取り、床へ押さえ込む。
油壺は割れずに転がった。
「倉庫責任者を拘束する。帳簿改ざんと放火未遂の疑いだ」
イネスは抱えていた写しを机へ置いた。
「倉庫を燃やしても、数字までは消えません」
火はつかなかった。
届いた穀物も、一袋も焼けなかった。
*
翌朝。
イネスは七十二年前の記録を机いっぱいに広げていた。
警告した書記の名は、リゼ・ハルン。
最初は、橋の完成式後に起きる崩落。
次は、穀物倉庫の火災。
どちらの惨事も起きていない。
事故記録には何も残らず、虚偽を訴えた処分記録だけが別々に保管されていた。
だから、これまで誰も一人の警告者としてまとめていなかったのだ。
「外れ続けた警告者、か」
カイがつぶやく。
「逆かもしれません」
イネスが眼鏡を押し上げる。
「外れたのではなく、外し続けた」
証拠はない。
だが、カイと同じことをしていたなら説明できる。
「今後、白碑の下に文字が出たら、私にも知らせてください」
「信じたんですか」
「いいえ」
イネスは即答した。
「起きなかった結果まで、今度は記録します」
それで十分だった。
記録庫の扉が開いた。
入ってきたセドリックは、机上の古い記録を一目見るなり足を止めた。
「その記録は、どこから?」
「通常書架です」
イネスが答える。
セドリックはリゼの名を確認し、記録を閉じた。
「この一式は神殿長預かりとする。複写を禁じ、閲覧者を記録しなさい」
「なぜです?」
カイが聞く。
セドリックは答えなかった。
視線が、カイの作業紙で止まる。
表予言。
その下に書いた、薄灰色の続き。
セドリックの指が、その二文字に触れた。
「カイ・レムナ」
声から、いつもの穏やかさが消えていた。
「続きという言葉を、どこで知った」




