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四十七人

「ありました」


 イネスが机の上へ古い図面を広げた。


 現在の水路図より、二十年以上古い。


 紙の端は傷んでいたが、下町を横切る一本の線ははっきり残っている。


「下町排水路」


 カイが文字を読む。


「今の図面にはありません」


「ええ。ですが、昔は確実に存在しています」


 排水路は下町を通り、さらに低い川下へ抜けていた。


 西水門が開いた時、流れ込んだ水を逃がすための道だ。


「これが使えれば?」


「少なくとも、下町に水が溜まり続けることは防げます」


 イネスはそこで言葉を切った。


「使えれば、ですが」



 ガレスと水利技師を連れ、古い図面に記された場所を調べた。


 入口らしき場所は見つかった。


 だが、水は流れていない。


 石と土砂の向こうで、古い水路が完全に塞がっている。


「掘れば通せるか?」


 ガレスが聞く。


 技師は首を横に振った。


「中の状態が分かりません。入口だけ開けても、途中が崩れていれば意味がない」


「調べるのにどれくらい?」


「半日は欲しい。その後、復旧にどれだけかかるかです」


 カイは下町を見た。


 裏予言では三百人が溺死する。


 水門から流れ込む水。


 消えた排水路。


 低い場所に広がる下町。


 原因は、かなり絞れた。


 そこへミナが戻ってきた。


「下町、今いる住民はだいたい三百人」


 数字を聞いた瞬間、全員が黙った。


「……ほぼ同じですね」


 カイが言う。


「裏の数字と?」


「はい」


 つまり、三百人の一部が巻き込まれるのではない。


 下町そのものが危険になる。


「避難は?」


 ガレスが聞いた。


「できる。でも、いきなり全員に『水門が開いたら死ぬ』なんて言ったら大騒ぎになるよ」


 建国祭の時と同じだった。


 正しい情報でも、伝え方を間違えれば別の危険を作る。


「排水路を直すだけでも足りない。避難だけに賭けるのも危ない」


 カイは旧図面と下町を交互に見た。


「両方、準備する必要があります」


 その時だった。


「カイ・レムナ」


 後ろからセドリックの声がした。


「少し歩こう」



 川沿いに、小さな慰霊碑が立っていた。


 セドリックはその前まで行かなかった。


 少し離れた場所で足を止める。


「二十七年前、私はこの街にいた」


 カイは黙って続きを待った。


「当時、私は三十一歳。神殿から派遣されたばかりの神殿官だった」


 その年も、大雨が降った。


 白碑には予言が出た。


「第三夜鐘に、西水門は開放される」


 水門を開けば都市中心部は守られる。


 だが、放水先の集落に十二人が残っていた。


「私は水門を開けるべきではないと考えた」


 セドリックの視線が慰霊碑へ向く。


「十二人を救う時間が欲しかった。だから水門を鎖で固定し、開放を半刻遅らせた」


 カイは、セドリックの右脚を見た。


「結果は?」


「水圧が限界を超えた」


 鎖が壊れた。


 水門も損傷した。


 制御できなくなった水が、本来流れるはずのなかった三つの地区へ流れ込んだ。


「四十七人が死んだ」


 セドリックは静かに言った。


「私は救助中に脚を潰した。それだけで済んだ」


 第8話の建国祭。


 第11話で見せた右脚の遅れ。


 証拠のない危険だけで公的計画を止めない姿勢。


 全部がつながった。


「私は十二人を選び、四十七人を死なせた」


「十二人を助けようとしたことを、後悔しているんですか」


「違う」


 セドリックは即答した。


「十二人を救うべきだった」


 カイは顔を上げた。


「だが、確実に都市を守る仕組みを止める以外の方法を、私は探し切らなかった」


 水門を開くか。


 十二人を救うか。


 当時のセドリックは二つから一つを選んだ。


「一人の判断で、公共の仕組みを止めた。そして失敗した」


 だから今のセドリックは可能性だけでは動かない。


 人命を軽く見ているからではない。


 人を救おうとして、より多くを失ったからだ。


「君が水門を止めろと言わなかった時、少し驚いた」


 セドリックが言った。


「止めれば、中心部が危ない」


「三百人も見捨てない」


「はい」


 セドリックは短く息を吐いた。


「二十七年前の私には、その答えがなかった」



 庁舎へ戻ると、水利技師が駆け込んできた。


「神殿長!」


 濡れた観測紙を差し出す。


「上流の雨量が予測を超えています」


 セドリックが紙を読む。


「どれほど早まる」


「水門開放を、予定より半日早めます」


「半日?」


 カイは旧図面を見た。


 排水路の調査。


 閉塞箇所の復旧。


 三百人の避難。


 そのために見込んでいた時間が、一気に消えた。


 外では、すでに雨が降り始めている。


 ガレスがカイを見る。


「どうする?」


 水門は止めない。


 三百人も見捨てない。


 その条件は変わらない。


 変わったのは、残された時間だけだ。


 カイは旧図面を掴んだ。


「両方、間に合わせます」


 次に水門を止めれば、四十七人では済まないかもしれない。


 だから今度は、水門を開けたまま救うしかない。

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