第8話 自己解釈型天啓妄想症候群
勿論、そんな症候群などありません
八階層目の空気は、ひときわ重かった。
湿度ではない。魔力でもない。
もっと───“人間の感情”に似た、粘るような重さ。
その最奥、広間に繋がるアーチを越えたとき、アロンの歩みがわずかに止まった。
「……誰かいるな」
その場に、ひとりの女が立っていた。
腰に手を当て、足を組み、広間の奥で静かに彼らを迎えている。
「久しぶりね、お二人さん」
妙に明るい声だった。
「……レダか」
アロンが名を呼ぶ。
赤い髪。金属細工のアクセサリ。気怠そうな立ち姿と、どこか“爆発前”の空気を孕んだ瞳。
間違いなく、あのレダだった。
「依頼主が自らダンジョンに潜るって、それもう依頼する意味ないだろ」
皮肉混じりに吐き捨てたアロンの言葉に、レダはふふ、と笑って返す。
「意味はあるわよ。ねぇ、“餌に釣られる魚”って、どんな顔してるのか……特等席で見てみたかったのよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに────
────ドォォォンッ!!
咄嗟に耳を塞いでも間に合わなかった。
背後から響く爆発音が、空間の空気を撹拌する。
熱と風と轟音が、アロンとリンカの鼓膜を突き抜けた。
振り向いた二人の視界に映ったのは、崩れた階段口。
逃げ道が…断たれた。
「……何やってんだ、お前…ほんとに頭、イカれてるのか?」
アロンの声には、嘲りではなく本気の呆れが混じっていた。
「ふふふ……私は“クリア”よ。透明なの。もう中身は“あなたたちに復讐する”っていう、たったひとつの想いだけ。透けて見えるでしょう?」
その言葉の温度はまるで狂気を氷に閉じ込めたようだった。
レダは笑っている。ほんとうに、心の底から愉しそうに。
「途中の盗賊……あれもお前の仕込みか?」
リンカが冷静な声で問う。空気に温度差があった。
レダはくすくすと笑いながら、まるで食後の余談のように頷いた。
「ええ、そうよ。まったく役に立たないクズたちだったけど。……母親の顔、見てみたいわね。きっとゴミ。あれはゴミから生まれたって顔だった」
「……イかれてるな。間違いない」
リンカが淡々と呟いた。
だがレダの耳に、その声は届いていなかったのか。あるいは届いていたのに、意図的に無視していたのか。どちらにせよ、次の瞬間には彼女の“舞台”が始まっていた。
「でも、まあ当然よね?あなたたちみたいなクズを掃除するのは、私みたいな天使の役目ってわけ。きっと……天もそう言ってる」
その目に光はなかった。
代わりに、緑色の光が地に灯る――彼女の足元、転送陣が淡く明滅していた。
レダは振り返らず、ほんの数歩進んでその中心に立つ。
「じゃ、さよなら。心ゆくまで後悔して死になさい」
言葉と同時に、レダの姿はふっと転送陣に飲まれ、かき消えた。
そして────次の瞬間、空間が揺れる。
ゴウ、と風が巻き、爆発が広間を叩いた。
転送陣の中心部が一瞬で崩れ、魔力の裂け目が火花を散らして燃え尽きる。
「……あの女、やりやがった」
アロンが低く唸る。
ふと、階段のほうを振り向く───そこにも、黒煙が立ち込めていた。
耳をつんざくような炸裂音の残響。
その真下、先ほどまで昇ってきた帰路────崩れていた。
転送陣、消失…
階段、爆破…
つまりこの空間は、完全に閉じた。
アロンとリンカは今この瞬間、“生き埋め”になった。
---
崩れた階段の残骸を見上げながら、アロンはしばらく黙っていた。
その頬に、乾いた小石が落ちて転がる。風はない。熱気だけが、じわりと肺を圧迫している。
「……いや…ほんとやばすぎるだろ…頭、爆発させた方が脳みそすっきりすんじゃないの?」
「爆発魔法、逆向きに撃たせるか」
「一回解雇しただけで頭イカれるって何食べたんだ。理性ゼロかよ」
「同感だな。“厄災級の頭脳構造”って感じだった」
ふたりの間に流れるのは緊迫感ではなく、ただの呆れと毒のある雑談だった。
目の前の転送陣は完全に焼き切れ、帰還の手段は潰されていたが、それよりもレダの“人格”についての方が議論の熱量が高かった。
「……しかし、あの“天がそう言ってるのよ”とかいうセリフ。もう病気だ病気」
「病名つけるなら“自己解釈型天啓妄想症候群”…発症者1名だ」
「もう保険も降りないな、それ……」
一通りレダへの愚痴を吐き尽くしたあと、ついにリンカが口を開いた。
「……で、どうするつもりだ?」
「ん?」
「このままだと、ここでふたり仲良く酸欠で死ぬだけだぞ。ただでさえ私はこんな暑い場所に長く居たくないんだ。早く脱出させてくれ」
額を拭いながら呟くレンカ……
「ふむ……案は軽く千を超えるな。だが、お前が無傷で、って条件をつけると一気に狭まる」
「それを考えるのがお前の仕事だろ? 自称SSSランク冒険者さん」
「“自称”ってつけるな。俺のランクは心の格付け機関が正式に認定してる」
「そんな機関は無い」
「少なくともお前と俺の中では機能してるだろ?」
「そろそろ酸欠でキツい」
「早くね?」
────
───
──
場所は地上、エンバリ街の中心にある高級ホテル『グラン・オルディネール』。
その最上階に位置するスカイラウンジでは、今まさに“異様な祝宴”が開かれていた。
主役はレダ、ただひとり。
「ギャハハハハハッッ!!私をッ、この私をッ! 解雇した報いよッ!!罰!罰ッッ!!!」
銀のテーブルに並ぶのは宝石のような前菜、骨の芯まで旨味が染み込んだ肉の山、そして高級な酒瓶が何本も空いている。
本人はと言えば、頬を紅潮させながら目を細め、まるでこの世のすべてが祝福しているかのような笑顔を浮かべていた。
「いや〜……今日は本当に、素晴らしい日だわ……!ああん、ねぇ!酒っ!もっと高いやつよ!そうね、ラベルに王冠ついてるの持ってきて!!」
彼女の通る声がラウンジ中に響く。
周囲の客たちは誰もが視線を逸らし、ウェイターでさえどこか怯えた様子で注文を捌いていた。
誰もが思っていた────“関わってはいけない人種だ”と。
だが、当のレダ本人はその空気すらもワインと一緒に胃に流し込んでいる様子だった。
テーブルに頬杖をつきながら、まるで玩具を見下ろすように窓際へ歩み寄る。
「さて……下々の者どもは今日も奴隷のように蠢いてるのかしら。ふふふ、見下ろす景色って、最高よね」
高層階から見下ろす街の門。
馬車が行き交い、商人が叫び、子供が走り、冒険者が行き来する────そんな雑多な日常を、あざけるように見下ろす。
────そのはずだった。
「……な、」
レダの肩がひくりと揺れた。
「……なんでよ……」
言葉にならない吐息が漏れる。
ワインの香りも、頭の血の巡りも、一気に霧散していった。
その眼下に映っていたのは────街門を、まるで何事もなかったように歩いている二人の影。
ひとりは、だらしなく伸びをしながらあくびをしていた。
もうひとりは、その背におとなしく乗っていた。
アロンとリンカ。
レダの世界が、音もなく爆発した。
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