第9話 オレンジジュース
オレンジジュースはおいしいね
街の門をくぐった瞬間、アロンは天に向かって首を仰け反らせた。
「……暑い。暑すぎるぞ……服の中、汗でびっしょびしょだ……」
「……宿に戻ったら風呂だ、アロン。今この瞬間、命より優先されるのは風呂。風呂以外、考えられない」
二人は完全に“燃え尽きた”ような足取りで、街の通りを歩いていた。
誰が見てもそれは“ダンジョン帰りの冒険者”というより“サウナに連続20時間放り込まれた人間”の表情だった。
そのまま、よろよろといつもの宿屋へ。
二人が借りている部屋は一室構成。風呂完備。家具は必要最低限。つまり、最適解。
宿に入って靴を脱ぐ暇も惜しいといった様子で、アロンは襟元をひっぱりながら呟く。
「……水風呂でもいいな。氷くれ。全部の」
「それ風呂じゃなくて、拷問だぞ」
「そっちのほうが生き返る……」
そんな会話を交わしながら、リンカは足元の荷物を置き、軽くタオルを肩にかけて振り向く。
「……で、どうする?…一緒に入るのか?」
アロンは壁にもたれかかりながら、うっすら目を閉じて答えた。
「ああ。お前の風呂は毎回やたら長いしな……今日は効率重視でいこう」
「一緒に入ると言うのに、なんだその態度は」
「いや、嬉しいぞ……お前の裸が見られて……大歓喜だ……」
「おい、疲れに任せてとんでもないことを口走るな。寝言は寝て言え」
「むしろこのまま寝たい。風呂の中で」
「……溺れる瞬間は見届けてやる」
そんな塩気のあるやりとりを交わしつつ、ふたりは静かに浴場の扉を開けた。
湯気の向こう、しばしの安息がそこにはあった。
---
エンバリ街・グラン・オルディネールの一室。鏡台の前で、レダは凄まじい勢いで身支度を整えていた。
「なんでよ……!なんであのふたり、生きてるのよ!!」
声は掠れ、目は見開かれ、手元は震えていた。
「生き埋めにしたはずでしょ!?転送陣も階段も全部、全部爆破したのに!!死ぬ以外に選択肢なかったでしょ!!?!」
鏡の中に映る自分自身の顔が、怒りで歪む。
まるで“生存報告”そのものが自分の尊厳を踏みにじったかのように、レダは咆哮する。
「……いいわ、もう……生き埋めじゃ甘かったってことなのよね!?そうよ!!天がどうとか希望がどうとか────最期を見届けなかった私が愚かだったのよ!!」
目が、紅く染まっていく。
「だったら……今度こそ、私が直接!この手で殺してやるだけ……アイツらの宿ごとまとめて、吹き飛ばしてやるわ!!!」
満身に怒りを纏ったその瞬間────
「そんなに大声出して……何を企んでいるのかしら?」
背後から届いた声は、あまりに静かだった。
それが逆に、レダの全身に寒気を走らせた。
ぶわ、と身体中の毛穴から汗が吹き出す。
背筋が凍り、声が出なくなる。
ゆっくりと、まるで操られるように振り返ると────
そこにいた。
漆黒のドレス。白磁の肌。血のように赤い口紅。
何も持たず、何も構えていないのに、まるで“全方位から銃口を突きつけられている”かのような存在感。
「ベ………ベラ……ドンナ」
その背後には、無言のまま佇む数人の部下たち。
誰もが目を合わせようとせず、ただレダだけを正面から見据えていた。
「私で良ければ────手伝いましょうかね、レダさん」
声に笑みはあった。
だが目には、完全なる“支配”が宿っていた。
「ち、違うのよ……っ! な、何を聞かされてるのか知らないけど……ご、誤解よ! 私は、私は何もしてないっ……!」
豪華なホテルの一室。
レダは絨毯の上を這うように後ずさりながら、顔を引きつらせていた。
脂汗がこめかみから流れ落ち、目は完全に焦点を失っていた。
「悪いのは……そう、アイツらよ! 全部、全部アイツら! 私は知らない、知らな────っ」
────ドン
小さな破裂音とともに、レダの両膝から下が“消えた”。
血飛沫がじわりと絨毯に染み、身体が傾ぐ。
「ギィ……あああああああああああああああああああああっっ!!!!!」
床を転がる。爪を割りながら、何かを掴もうと手を伸ばす。
だが誰も救いの手は差し出さない。
ベラドンナが、ゆっくりとその顔を覗き込むようにしゃがみ込む。
そして、血に濡れた赤色の髪を指先で掴み、無造作に引き上げた。
「誤解?」
その声は、まるで咎めも疑いもない。だが、温度もなかった。
「知らない?してない?それ……私にとっては、どうでもいいことなの」
レダの唇がかすかに震えるが、もう言葉は出ない。
声帯が恐怖で締め付けられていた。
「私が興味あるのは、ただ一つ───たった一つの事実」
ベラドンナは、目元を一切歪めることなく、呟いた。
「仲介人はね、“信用”が命なの。冒険者との信頼だけで成り立っていると言っても過言じゃないの」
レダの喉が、ごくりと震える。
痛みより、恐怖が身体を支配していた。
「……お前は、私の信用を“汚した”」
空気が沈黙に沈む。
音は一切なかった。時間すら止まったように────
「贖え」
---
「ふい〜〜……この瞬間が至極と言ってもいい」
アロンはそう言いながら、ベッドの上にダイブした。全身の関節が布団に吸い込まれるように沈み込む。
「全くだ……」
リンカもタオルを頭にかけたまま、アロンの横に崩れ落ちるように腰を下ろした。
「私とお前とで入るには狭かったが……まあ、それも悪くはない」
「いい湯だったな……命の残り香まで浸かった気分だ」
蒸気が抜け、照明がやわらかく灯る部屋には、ルームサービスで届いたフルーツの盛り合わせが広げられている。
パインの香り、瑞々しいスイカ、そして中央に堂々と輝くオレンジ。
「しかし、あれだな……馬鹿みたいな仕事だったな」
「同意しかない。次から意味不明な事を言い出す依頼主”はNGいれとけ……ってお前、そのオレンジ……それは私のだ」
「ん?何か言ったか───」
「食べるな。おい。食べるなと言ってるだろ…出せ。今すぐ出せ。それ、私が狙ってたやつだ」
「いや…すでに口に……」
「問題ない、さっさと出せ。出さないなら無理矢理口の中に手を突っ込むぞ」
そんなくだらない攻防が続いていたその時────
コン、コン……
窓ガラスが、何かに軽く叩かれた。
「ん?」
アロンがフルーツ越しに目線を向ける。
カーテンの向こう、夜の空気に紛れるように羽ばたく、小さな影。
「魔導鳥……? この羽形……これは……」
アロンは立ち上がり、窓を開けた。
入ってきたのは、魔力で生成された鳥。滑らかな羽、くちばしに刻印。そして瞳に微かな揺らぎ。
「……間違いない。ベラドンナの魔法だ」
鳥はアロンの前に着地し、こちらを一瞥した。
そして、くちばしをゆっくりと開く。
『おふたりさん。……レダのお痛は、どうだったかしら?』
声は、あまりにも優雅だった。
だがその温度は、紅茶に混ぜた氷のように冷たく、よく響いた。
アロンはタオルを頭にかけたまま、鳥の嘴を見つめる。
「なんで知ってんだ? まさか、お前が一枚噛んでたのか?」
『まさか。そんな不利益なことはしないわ……あなた達の帰還が遅かったから、ちょいと調べたのよ』
「はえ〜…凄い早い情報」
『悪かったわね。私が紹介した仕事で、あなたたちが生き埋めにされるなんて』
「次からは依頼主の素行調査も入れろよ……ベテランパーティーですら壊滅しかねない状況だったぞ?」
『次から気をつけるわ……で?そんな状況の中、アンタたちどうやって切り抜けたの?』
ごく普通の────だが不穏なほど情報収集に長けた女が、純粋な好奇心で訊いてくる。
アロンは首を回しながら答える。
「天井をぶち抜いて、地上までロッククライミングだ。暑さで2人ともぶっ倒れる所だったぞ」
『……とんだ作戦ね。もっとこう、クールな脱出劇を想像してたんだけど』
「現実は地味で泥まみれで暑苦しいんだよ。知ってるだろ?」
『ええ、よく知ってるわ……まあ、報酬はちゃんと用意しておくわ。後────』
一拍、間が空いた。
『────私から、“クールな報酬”もあげるわ』
その瞬間────窓の外で、世界が一瞬白く染まった。
ドオォォォォン!!!!!!
かつて街の南側にあった廃倉庫。音の方角からして、そこが爆ぜたとすぐにわかった。
明らかに、“自然の現象”ではない爆発音だった。
本日何度目か聞いた爆発とは“異なる音”……その残響を聞きながら、アロンとリンカはゆっくりオレンジジュースを口に運ぶ。
その味は、やたらと……爽やかだった。
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